その八(1)
八
ドームの入りは八割ぐらいか、ほんのわずかの空間が空いているぐらいである。
「しかし何ていうかな、昨日とはまったく待遇が違うね。人のカバンの中まで、手を突っ込んであさるなんて!」
怒っているのは競羅だ。その言葉に数弥は、
「まあ、バックネット席は網が張ってあって、物を投げ込むことができませんからね。それに球場でテロなんて起こされたら大変すから」
「それはわかるけどね、いい気分がしないね」
「まあまあ姉貴、そんなことで文句を言ってても始まらねえよ」
絵里がたしなめるように声を出した。
「あんたは納得するのだね」
「そういうものだからよ。従えばいいんよ。それが、この球場のルールなのだからよ」
絵里は、突っ張ってはいるが、長いものにはまかれろというタイプである。
「そうだね。終わったことだからいいか、さて、席はどこなのだい?」
「あそこす」
と言って数弥が示した場所は、観客席、最上段で右中間ど真ん中であった。
「あの場所かよ?」
「ええ、昨日も最上段でしたし、今日も、この方がいいともいまして」
と数弥に従い、四人は指定された観客席に向かった。四人並びというわけでなく、縦横二列ずつだ。絵里と数弥が下段、天美と競羅が上段ということになった。
席に座った後、競羅が数弥に向かって口を開いた。
「あんた、ここに来たのは、この子がホームランボール取るのが目的だと言ってたよね」
「そうすよ、何か変すか」
「変も何も、屯倉選手は右打者だよ。あんた、真面目に言ってるのかい」
「ええ、真面目すよ。姐さんは右打者で、ホームランはレフト方向すか」
「当たり前だろ。どうやって、右方向に打ち込むことができるのだよ?」
「それは、姐さん、剣道仕込みだから、腰は使っていませんし。左しか飛びませんよね」
「どういう意味だよ?」
二人のその会話に、絵里は困ったような顔をしていたが、天美は、耳を澄ませて聞いていた。何か重要な言葉が聞ける期待感か、
「姐さんは、普通にボールをバットに巻き込んで打っているだけす。だから、当然、右打席ならレフト方向に飛びます。ところが。屯倉選手は、ここぞというときには、ライト方向に打っているのです。それだけ、腰回りや手首のひねりが、しなやかなのです。通算的にもレフト五割、センター一割、ライト四割すか。だから、ここでいいんすよ」
「うーん、変態的な奴だね」
「ええ、ホームの試合では、応援団のいるライトスタンドを意識しているのか、右方向の方が多いす。ファンにとっては、たまらない選手すよ」
「なるほど、だから、ここライトスタンドと言うのね」
天美が声をあげた。そのあと彼女は、
「さっきまで、なぜ、ライトスタンドと呼んでるか不思議だったの、だって、普通だったら、左打席の前だから直線的に言ったらレフトスタンドでしょ。今回の数弥さんの説明でよくわかった。右打者から見て、右方向だからライトと言うのね」
「いや、天ちゃん。そうなんすけど・・」
「もういいじゃねえか、ブンヤ、あってるのだから」
絵里の声がした。そのあと絵里は、
「こいつが無い知恵をひねって、そういう解釈をしたんだ。そうだぜ、打者から見て右だだからライト、右打席は投手から見て右だから右、こうやって覚えておきな」
「おっ、あんた、さえたことを言うね」
競羅が声を出した。
「たりめえよ。こんな、ちんちくりん、と一緒にしてもらっては困るぜ。しかしよお、ホームランって、こんな、高いところまで飛んでくるか」
「それは、まずないすね」
「ないって、あんた!」
競羅のとがめに応ずるように数弥は、
「でも、低いところに座っていて、その上を越された場合はどうするんす。どこに飛んでいったかわかりませんし、そのあと、上に駆け上がるんすか」
「それは、確かにいえるね」
「でしょう。上からだったら、どこの方向に飛んで行っても見えるんすよ。そういうことで。この右中間最上段がベストポイントなんす」
「しかし、聞いていると本気で取る気か、ものすごい人が多いぜ」
天美の能力を知らない絵里はそう尋ねた。
「狙ってるのは、サヨナラホームランだよ。そのときは、客も減ってるだろ」
「姉貴、いつから預言者になったのだい? 大体、サヨナラホームランなんて、滅多にでねえぜ、今日なんて、王者が滅多打ちにして終了よ」
「それが、あんたの予想かい?」
「そうだぜ、サヨナラホームランより、よっぽど現実的よ。どうせ、この、ちんちくりんが現実知らずに欲しいといったのだろうよ。だから、俺より気合の入った服着てよ」
絵里も言いたい放題だ。その言葉に、天美もカチンとした。そして、
「そうね、あの、変な人たちのところに落ちると面白いよね」
と言って、突きつけるように指をさしたのはライトスタンドの応援団席だ。そこには、【王者奉賛会】と背中に文字が書かれた金色のはっぴを着た若者たちが集まっていた。
また、【優勝奪回は王者の使命!】という横断幕を、これみよがしに大きく横に掲げ、大太鼓の横では、【絶対王者】と茶色地で金糸で染められた大きな旗を振っていた。
団員の一人が、指をさした天美に気がついたのか、にらみつけてきた。眉間に傷がある、いかにもケンカが好きそうな若者だ。他の団員たちも気がつき、何かが起きそうな雰囲気であったが。分別のありそうな団員が彼らに声をかけて事なきを得た。あわてて競羅が、
「あんた、前から言っているけど。むやみやたらに人を指さしてはいけないよ」
「どうして?」
「どうしてっていう問題ではないだろ。雰囲気を見ればわかるだろ」
「だからこそ、ああいう威張った態度見ると、本能的に思わず指したくなるのよね」
この強気さが天美の性格である。競羅も気が強い人間だが、さすがに、この向こう見ずな天美の態度には困っていた。
「とにかくね。こっちは球場に野球を見に来てるのだよ。ケンカをしに来たわけじゃないからね。そういう挑発的なこと、やめてもらわないと」
「何か、姉貴らしくねえ言葉だなあ」
絵里が思わず声を上げた。
「当然だろ。ここに来てる人たちは野球を楽しみに来ているのだよ。その雰囲気をぶち壊すようなことはできないよ」
「そうかねえ、みんな、騒ぐことを楽しみに来てると思うけどな」




