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ワンコイン・ラブ  作者: 白妙スイ
11/16

11章:風邪引きカノジョ

夏も終わって、秋と呼べる季節になった。

近頃は冷える日と暑い日の差が激しい。冷える日は「10月下旬並みの気温です」なんて天気予報は言っていたし、暑い日は「真夏並みの暑さです」と言った具合。

このところの異常気象は本当に困ってしまう。二ヵ月も気温が振れているではないか。ここ数年はそれが特にひどいと感じていた。

それでも天気や天候はどうしようもない。だから羽織りものを調節するなり、オフィスにブランケットを置くなりして、それに合わせた服装をしていたのだけど。

それも追いつかなかったらしい。

ある朝、起きると喉が痛かった。

やだな、クーラーにあたったかな。

昨夜は暑かったからと、クーラーをかけて寝たのは寒すぎたのかもしれなかった。幸希は喉を押さえて思った。

それでも夏の間はたまにあったことだった。なので喉の薬を飲んで、のど飴を舐めていればそのうち治るだろう、くらいに思っていつもどおりに出勤の支度をする。

朝ごはんは飲み込みやすいスープメインにして済ませて、メイクをきちんとして。

外に出て気付いた。

今日は随分寒い。カーディガンだけでは寒かった。街行く人たちも薄手のコートを着ている人が多い、と駅に近付くにつれて幸希は思う。

喉の痛みにとらわれて、毎日見ている天気予報も見てこなかったことに今更気が付いた。そんな余裕もなかったようだ。

そこからすでになにかおかしい、と感じてはいたのだが。

オフィスについて、軽く掃除をする。

冷たいお茶はもう作らなかった。来客にもあたたかいお茶を出すようになっている。

そのまま自分の席について、普段のルーティンワークどおり入力作業をはじめたのだけど。

やはりなんだか寒かった。

事務所、もうクーラーじゃ寒いのかなぁ。

思った幸希は温度をあげさせてもらおうとクーラーのスイッチのところへ向かったが、そこでちょっと顔をしかめてしまった。クーラーのスイッチは入っていなかったのだ。

「今日はクーラー、入れてないんですか?」

店長に聞いたが、彼は、ああ、と頷いた。

「ああ。朝は入れてたんだが寒いから切ったよ。暑い?」

「いえ」

むしろ寒い、と思ったのだがそれは言えなかった。薄々思い浮かぶことがあったので。

そしてその『嫌な予感』は当たった。

午前中を終えて、昼休みに入る頃にはのど飴などなんの意味もないほど喉ははっきり痛むようになっていた。

それに寒い。ブランケットを膝にかけてもなにも変わらなかった。毛布を肩からかぶりたいくらいだ。

昼休みは作ってきたお弁当を食べるのだが、それも食べたいとは思わなくて、幸希は認めざるを得なかった。

どうやら風邪を引いてしまったようだ。

ああ、寒暖差が激しいから仕方がないかもしれないけれど。

今日の午後だけは我慢して、帰ったらもう風邪薬でも飲んで寝てしまおう。

明日はまだ平日だけど出勤できるかな。

今から憂うつになってしまう。

夏が終わるなり、サラリーマンの秋の転勤ラッシュがあってオフィスが忙しかったのもたたったのだろう。

いろんなひとが出入りする以上、風邪の菌なども空気中に漂っている。免疫力がしっかり働いていればそんなものはブロックしてくれるのだけど、疲れから働きにくくなって、感染してしまったようだ。

午後の仕事はとてもつらかった。本当ならすぐにでも横になりたい。

そしてそれはオフィスの同僚たちにも気付かれたらしい。

「鳴瀬さん、顔色があまり良くないね」

営業の一人に言われてしまう。

「はい、なんだか風邪でも引いたみたいで」

「マジか。無理しないほうがいいよ」

「ありがとうございます」

気遣われるのは嬉しかった。それでコトが良くなるわけではないけれど、そのくらいには体調不良のところを無理やり働かせる会社でないことがありがたい。

なんとか一日を終えて、「明日、調子が悪かったら、朝電話してくれよ」と言ってくれた店長にまた「ありがとうございます」と言って帰路についた。

帰り道、ドラッグストアに寄って風邪薬やポカリスウェット、それにパウチのおかゆなども買い込む。いかにも風邪を引いた人の買い物だ、と思ったけれど仕方がない。

帰宅して、買ってきたおかゆを鍋で沸かしたお湯の中に入れる。おかゆは自分で作ることもできるけれど、もうそれもおっくうだったのだ。

できあがった白がゆに梅干しを入れて食べる。それを飲み込むのもやはり喉が痛かった。

なんとかすべておかゆを食べてしまって、風邪薬を飲んだ。

病院は出来れば行きたくないなぁ、と思う。病院が好きなひとはいないだろうが。

お風呂に入る気力はなかったので、明日にすることにしてメイクだけ落とす。そのままベッドに入った。

まだ9時にもなっていなかったが、幸希はすぐにうとうとしはじめた。ここしばらくの疲れと風邪の初期症状からの眠気だろう。

夢も見ずに、いつのまにか朝になっていた。




ぴぴぴ、と鳴るスマホの目覚ましで目が覚めたけれど、症状はまるでよくなっていなかった。

むしろ悪化したようで、頭まで痛くなっている。

痛い、というか頭が重い。

熱が出たのかもしれないと思って、体温計を使ってみるとそのとおり。37度と少しの微熱ではあるけれど、確かに普段より体温が高かった。完全に風邪である。

無理をすれば出勤することもできる、と思った。

けれど営業のひととは違って、幸希の仕事は基本的に急がない。それに有休もまだいくらか残っていた。

悪いけれど、有休を使って休ませてもらおう、と思う。

休ませてください、と言うのはやはりあまり気が進まなかったのだが、仕方なく店長に電話をした。

店長は「やっぱりか」と言って、「流行ってるからね」と続けた。そして「早く治せよ」と休みを了承してくれた。幸希はありがとうございます、と言って電話を切る。

もう一度布団に横になった。すぐに眠気が襲ってくる。

病院へ行こうかと思ったのだが、それもおっくうだった。

外になど出たくない。病気なのだ、メイクなどはマスクをしてサボるとしても、外に出て歩くという行為すらおっくう。

食べるものはなんとかある。買い置きのゼリーなどで誤魔化せばいいだろう。薬もある。

まぁなんとかなるでしょう、なんて楽観的なことを思って、薬を飲んで寝てしまうことにした。

薬はなにか食べなければ飲めないので、そのカップのゼリーをなんとか食べて、そして薬を飲んでもう一度寝た。

一晩ぐっすり寝たのに、また深い眠りに落ちてしまったようだ。

眠る幸希の耳に、今度はぴろりん、と違う音が聞こえた。その音が幸希の意識を少しだけ現実へ戻してくる。

ライン通知だ。

誰だろう。

そのとき思った。

志月だったら良いのに、と。

優しくしてほしかった。今は余計に。

もそもそと動いて枕元に置いていたスマホを掴んで画面を付けるけれど、ラインは母親からだった。

猫のスタンプが押されていて、『幸希、元気?お米でも送ろうか?』と何気ない内容。自分を気づかってくれるものなのに、ちょっとがっかりしてしまって幸希は罪悪感を覚えた。

エスパーではないのだから、志月が勝手に『幸希が風邪を引いた』なんてこと、わかってくれるはずもなかったのに。

『ちょっと風邪ひいちゃった』

寝たまま、ぽちぽちと返信を入力して送る。

返事はすぐに返ってきた。

『あら。病院は行った?』

『行ってない』

『仕事は大丈夫?』

『明日ダメだったら病院行くよ。ありがとう』

『動けないほどつらかったら連絡しなさいよ』

短いやり取りをいくつか続けて、それで母親とのラインはおしまいになった。スマホの画面を暗転させて、枕元にぽいっと置く。

もう一度眠る体勢になって、幸希は目を閉じる。

まぶたの裏に浮かんだのは、志月の顔だ。そういえばしばらく会ってもいなかった。

それはそうだ、幸希のオフィスが転勤ラッシュに忙しかったということは、同業である志月だって忙しいのだろう。

営業の当人である志月は自分自身がとても忙しいだろうし、おまけに主任や店長を狙っている以上、ここが力の見せ所である。いい成果をあげて、評価してもらえるようにしなければいけない。

ああ、邪魔しちゃいけないな。

思った。

でも次に思った。

……会いたいなぁ。

早く治して、それでデートのひとつでもしてもらいたかった。




うとうとしているうちに、時間は進んで今度目が覚めたときはすっかり陽も落ちていた。

具合がよくなったかどうかはよくわからなかった。でもまだ頭はぼんやりしていて重かったので、治っていないことだけはわかる。

どうしよう、明日も同じだったら。

病院に行かなければいけないだろうし。

夕方のオレンジのひかりの中で、幸希は、はぁ、とため息をついた。

昼を抜いてしまったけれど食欲はない。そこからも体調不良を感じて憂うつになってしまう。

そしてまた志月のことを考えてしまった。

優しい彼のことだ。『風邪ひいちゃった』とでもラインを送れば、なにがなんでも……訪ねてくるなり電話をくれるなり……なにかしてくれることはわかっていた。

けれど忙しい折なのはわかっている、邪魔をしたくない。

会いたいと思うのに、一番会いたいひとに会えない。

会いたいひとがいるというのは幸せなことだけど、会えないとなるとそれが負担にもなってしまうのだと知ってしまった。

おなかは空かないけど、またなにか食べて薬を飲んでおとなしくしておかないと。確かパックのヨーグルトがあったはず。

起き上がって、普段の習慣通りにスマホを掴んで一旦画面を付けた。寝ている間になにか連絡でもきているからかもしれないからだ。

しかし幸希は画面を付けたスマホを見て、目を丸くした。そこには志月からラインが来ていたのだから。

表示されている時間は、二時間前。

どうして気付かなかったのか。母親からのラインでは目を覚ましたのに。

それほどぐっすりしてしまっていたことを悔やむ。

すぐに返信したかったのに、と。

トーク画面を開くと、なんでもない内容が表示された。

『今日、外出先でおもしろいお店を見つけたんですよ!和雑貨のお店ですけどモチーフが食べ物限定なんです。今度行きませんか?』

写真が添付されていた。かわいらしい和の雰囲気の看板が映っている。

写真はちょっとぶれていた。多分、営業に出た先の短い間で撮ったのだろう。

そのくらい、自分が好きだろうと思って気にかけて、時間もないのにチェックしてくれたことが嬉しかった。

なんだか目の前が霞んだ。画面を介してだが、彼のやさしさが確かに伝わってきたので。

嬉しい気持ちと同時に、でも心細い気持ちが湧き上がって、ぽろっとひとつぶ涙が落ちた。

邪魔をしては悪い、とわかっていた。

けれど独りが心細くてたまらない。

思い切って、入力欄に入れていた。

『行きたい。でも、ちょっと風邪引いちゃったみたい』

しばらくトーク画面はなんの反応も見せなかった。

当たり前だ。

まだ夕方。仕事中なのだろう。

しばらくスマホを見つめていた幸希だけど、小さくため息をついて、トーク画面を閉じた。こぼれた涙を拭って起き上がる。

ヨーグルトを食べて、薬を飲んで横になろうと思ったことを実行した。

返事が返ってきたのは、夕方も終わって外がほとんど暗くなった頃のこと。でもスマホが鳴った瞬間、幸希はそちらに体を傾けてスマホを掴んでいた。

『ごめんなさい!今スマホ見ました。風邪ですか!?病院は行きました?』

ああ、やっぱり。

こう言ってくれることはわかっていた。

邪魔をしてはいけないと思っていて、でも邪魔をしてしまって、でも、……嬉しくてたまらない。

『行ってない。明日、治らなかったら行くつもり』

『そうですか……薬とかありますか?』

『うん。大丈夫。少し疲れてただけだから、休めば治ると思う』

寝たままやりとりする。

ラインに付き合ってくれるだけでも嬉しかった。

スマホ画面を介してでも、繋がっていられることが。

『ちょっと遅くなっちゃうかもしれませんが、お邪魔しても大丈夫ですか?』

言われて、またじわっと涙がにじんだ。

我儘を聞いてくれたも同然なのだ。彼女が『風邪ひいた』とラインを送って、どうしてほしいのかわからないはずがない。

『いいよ。忙しいでしょ』

それでもそう送った。『ありがとう』なんてすぐに送るのは図々しい、と思ってしまったせいで。

『なに言ってるんですか、仕事より幸希さんのほうが大事です。9時くらいになってもいいですか?』

返ってきた返信を見て、今度こそ滲んだ涙が零れる。

『ごめん、ありがとう』

甘えてしまう。

思いながらも返信を入力した。

『じゃ、ごめんなさい、ちょっとこれから一件外出があるんで……行く前に連絡します』

『ごめん、ありがとう』

また同じ内容を送ってしまったけれど、それを気にしている余裕はなかった。

来てくれる。

嬉しさと申し訳なさが胸の中を渦巻いていた。

どっちが強いのかはわからないし、こんな我儘を言って良かったのかもわからない。けれど、やっぱり嬉しかった。

そして、はっとする。

彼氏がきてくれるというのにこんな格好では情けなさ過ぎる。昨日はお風呂も入っていないし、きっと寝ている間に汗もかいた。でも風邪を引いているというのにメイクをしっかりして普通の服というのも。

悩んで、でも着替えることにした。普段のスウェットから、ちょっとかわいい部屋着に。

そのくらい『彼女』でいたいと思うことは許してほしい、と思う。

体が少しだるくておっくうではあったけれど、お風呂に入らないまま会うなんてことは自分が許せなかった。

ちょっと無理をしたけれどシャワーを浴びる。

でもそれはあまり悪くはなかったようだ。汗を流してすっきりしたのだから。

汗をかいたままも良くないから、良かったかも。

思いながら、髪をとかして、顔にはフェイスパウダーだけをはたいてなんとか誤魔化す。

志月が訪ねてきてくれたのは、その数時間後の8時半頃だった。

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