1557年 3月 本願寺攻略戦
前回、守護大名畠山義続を倒し守護に就任した。
次の目標は、富山城の西に位置する本願寺にする。
本願寺は兵力が多いが、七尾城を取得した今ならいい勝負ができるだろう。
目標が決まったところで、南の斉藤家から同盟の依頼が来た。本願寺攻略時に斉藤に攻めらたら不味い。
それを考えると、こちらにとっても都合がいい同盟だ。受けることにする。
しばらくすると、斉藤は浅井を攻め始めた。浅井を攻めるために隣接する神保に同盟を結すんだのか。こちらも負けてられない本願寺に攻めよう。
今回攻める加賀国の本願寺は領主の衰退で力を付けた農民を教化し力を蓄えた。
それを脅威に感じた富樫家により門徒が弾圧された。すると門徒が一揆を起こし逆に守護が倒さる。結果、加賀国は国人から本願寺に支配が移った。
有力な武将は下間頼廉、石山合戦で織田軍を苦しめた坊官。
1154年11月 本願寺の御山御坊に向けて出陣。
下間頼廉と御山御坊で戦闘を始める。下間の兵力が多いが時間をかければ打ち勝つはず。
大聖寺城からも援軍が来る。まだ行ける。朝倉の各城から援軍が来る。これは無理だ。
名将朝倉宗滴と真柄直隆がいる。兵力も多い。攻略を諦めて撤退する。
1154年12月には城に退却した。
こちらは攻略を失敗したが、同盟を結んだ斉藤はどうなっているのか
1155年7月に浅井の本城小谷城を攻略。
鎌刃城もすでに攻略し、琵琶湖付近に存在感を示し始めた。
攻めらた浅井は、支城の清水城を残すのみとなった。
1155年10月、さらに斉藤家に動きがある。織田の犬山城に攻め込んでいる。それと、武田家に苗木城が攻め込まれている。
今、斉藤は手薄だ。同盟も切れている。
チャンス、この隙に斉藤の郡上八幡城を攻めよう。
本願寺を攻めるのを中止し、群上八幡城へ向かう。
兵の構成は本願寺に敵視されているのであまり動かせない。飛騨を中心とした兵で行く。
距離が近いのすぐに制圧できるという利点もある。
残りの兵は本願寺に睨みを利かせる。
群上八幡城の斉藤家の日根屋軍を撃破する。
敵の援軍も来ない。1556年 1月に群上八幡城を制圧する。
進軍の早さを重視し、飛騨の兵で攻めたためか、制圧を終えると兵が残り少なくなっている。
落城前は動きがなかったが、岐阜城(この頃は稲葉山城)から奪還の兵が来る。斉藤は織田や武田などの戦闘を終わらせたようだ。
こちらも、高岡山城の兵を向かわせる。
その間、既存の兵で持ちこたえる。なんとか、高岡山城の兵と合流することに成功。敵を撃退する。
撃退後、兵たちが城に戻ろうとすると、また攻めて来た。
米糧があまりないので戦いたくない。上杉に停戦依頼をし、この場を凌いだ。
1556年3月に同盟切れの時、怖い思いをする武田と婚姻同盟を結ぶ。
1556年11月に松倉城の西、飛騨山中の牧戸に城を作る。
これで、群上八幡城の防衛がし易くなる。そう考えていたが、牧戸城は土地の開発ができずに兵を増やすことができない。泣く泣く、廃城した。
同じ1556年11月に斉藤家がとうとう浅井家を滅ぼす。が、その隙に織田に攻撃される。斉藤の岐阜城と岩波城は織田に制圧寸前。
織田の勢力を考えれば飛騨防衛に不安が残る結果になった。
斉藤は間もなくして尾張から駆逐された。
本願寺に戻ろう。今度は朝倉に邪魔されないように、朝倉と同盟を結んだ。
これで確実に本願寺を攻略をできるだろう。数が多いと言っても本願寺単体だともはや、敵ではない。
1557年2月に御山御坊を制圧する。そのまま、残りの支城大聖寺城に雪崩れ込む。
翌月の1557年3月に大聖寺城を制圧。
これで、北陸から本願寺の勢力を一掃した。




