知らない人 第一話 (前編)
私は湊と付き合って3年になる。
大学に入学してすぐ出会った。
優しくて。
少し不器用で。
それでいて人に好かれる人だった。
私も気づいたら好きになっていた。
ただ、それだけだった。
*
湊「紬」
大学の門を出ると、湊が手を振っていた。
紬「待った?」
湊「10分」
紬「結構待ってるじゃん」
湊「好きな子待つのは別に苦じゃない」
紬「恥ずかしいこと言わないで」
思わず笑う、湊も笑った。
こういう時間が好きだった。
何でもない会話。
何でもない帰り道。
何でもない幸せ。
*
休日。
私は湊の家へ遊びに来ていた。
キッチンからは夕飯の匂いがする。
母親「岳ー!買い物袋お願い!」
廊下の奥から返事が聞こえた。
岳「後で」
母親「後じゃなくて今!」
紬は思わず笑った。
湊「相変わらずだな」
紬「弟さん?」
湊「うん」
紬「怒られてる」
湊「昔からあんな感じ」
特に興味はなかった。
双子の弟がいる。
それだけ知っていれば十分だった。
*
夕飯の後。
飲み物を取りにリビングを出た時だった。
廊下の角で誰かとすれ違う。
岳だった。
同じ顔。
同じ声。
でも雰囲気は違う。
どちらかと言えば静かだ。
岳は一瞬だけ立ち止まった。
そして私を見る。
ただそれだけ。
何か言うわけでもない。
視線だけが残る。
少しだけ居心地が悪かった。
軽く会釈をすると、
岳も小さく頭を下げた。
それで終わりだった。
*
冬。
湊がいなくなった。
突然だった。
連絡がつかない。
大学にも来ない。
家族も居場所を知らない。
残されたのは短いメッセージ。
『少し一人になりたい』
それだけ。
*
紬「どういうこと……」
何度読み返しても意味が分からなかった。
昨日まで普通だった。
笑っていた。
未来の話だってしていた。
なのに、どうして?
私の中で不安だけが膨らんでいった。
*
1か月後。
湊は帰ってきた。
何事もなかったように。
*
湊「ごめんな」
本当に申し訳なさそうに言う。
紬「最低」
涙が溢れた。
紬「どれだけ心配したと思ってるの」
湊「だから、ごめんって」
紬「本当に最低」
湊「うん」
何度も謝る。
私は泣きながら彼を叩いた。
最後には抱きしめていた。
帰ってきてくれたことが嬉しかったから。
*
それからだった。
少しずつ。
本当に少しずつ。
違和感が生まれ始めたのは。
*
ある日の帰り道。
駅前を歩いていた時だった。
湊「この店」
紬「ん?」
湊「前から気になってただろ」
指差した先は雑貨屋だった。
紬は首を傾げる。
紬「言ったっけ?」
湊「言ってない」
紬「じゃあ何で知ってるの」
湊は少し笑った。
湊「分かるから」
*
また別の日。
湊「今日寝不足だろ」
紬「え?」
湊「昨日3時まで起きてた」
紬「なんで知ってるの」
湊「顔見れば」
紬「怖いんだけど」
笑いながら言った。
でも少しだけ引っかかった。
湊は昔から優しかった。
けれど。
ここまで人を見る人だっただろうか。
*
ファミレスへ入った日だった。
注文を終える、店員が料理を運んできた。
紬「オムライス?」
湊「うん」
紬「珍しいね」
湊「そう?」
紬「ハンバーグ好きだったじゃん」
湊は一瞬だけ黙った。
ほんの一瞬。
湊「たまには違うのも食べたくなる」
紬「ふーん」
私はそれ以上気にしなかった。
*
数日後。
湊の家で夕飯を食べていた時だった。
母親「珍しいわね」
湊「何が?」
母親「あんたハンバーグ全然食べないじゃない」
湊の箸が止まる。
母親「昔はあんなに好きだったのに」
湊「ああ……」
少し間が空く。
湊「そうだったっけ」
母親「変な子」
母親は笑った。
私も笑った。
でも。
なぜかそのやり取りだけが頭に残った。
*
春。
大学帰り。
私は湊に頼まれて家へ向かった。
課題の資料を取ってきてほしいらしい。
何度も入った部屋。
見慣れた机、何気なく引き出しを開く。
その時だった。
奥に大量のノートがあることに気付いた。
不自然なくらい大量に。
私は一冊を手に取る。
*
6月3日
紬は苺が嫌い。
ショートケーキの苺は最後に残す。
*
7月11日
紬は嘘をつく時、右耳を触る。
*
9月20日
紬は湊を見る時だけ笑い方が違う。
*
ページをめくる。
また。
めくる。
また。
全部。
全部私のことだった。
*
気持ち悪い。
息が苦しい。
ページをめくる指が震える。
*
最後のページ。
文字が乱れていた。
*
『これで完璧だ』
*
『もう誰も気づかない』
*
ノートの間から紙が滑り落ちる。
私は拾い上げた。
そして。
凍りついた。
*
死亡診断書。
*
記載された名前は、湊。
*
頭が真っ白になる。
理解できない。
だって。
湊は生きている。
昨日も会った。
今日も話した。
なのに。
*
――何してるの。
*
背後から声がした。
聞き慣れた声。
愛した人の声。
*
ゆっくり振り返る。
*
そこに立っていたのは、湊だった。
*
けれど。
*
その目だけは。
初めて会ったあの日。
廊下の角で。
何も言わず私を見つめていた人のものだった。
後編へ続く▶︎▶︎▶︎




