社畜の歌
夜のホーム。男は全身に疲労感を纏いながら電車を待っていた。
「俺の人生ってなんなんだろう。」
そう呟く声に返事をする者は誰もいない。乗客もまばらな電車に乗り込み席に座る。体が椅子に沈みこんでいく感覚。そして、重く動かない。男は目を閉じた。そして、心の中で大きく溜息をつきながら、再び自問する。
「この毎日は何なんだろう。」
男の目が再び開いたのは、毎朝眠たい目をこすりながら向かう駅に着く直前だった。慌てて鞄を持ち立ちあがる。
やっとたどり着いた我が家は真っ暗だった。コンビニ袋を机の上に投げ、しわくちゃのスーツを脱ぐ。
ハンガーにスーツを掛けていると棚の上に置いてある写真立てが目に入ってきた。
そこには本当に自分なのかと疑いたくなるような笑顔を浮かべる俺と、俺に負けないぐらいの笑顔が咲き誇る女。俺の彼女だ。いや、正確にいえば元カノか。
彼女とは先日別れた。2年半も付き合ったわりにはあっけない終わり。でも終わりへの引き金を引いたのは俺だ。
学生の彼女。社会人の俺。
社会の荒波にのまれ溺死しそうな俺にとって彼女という存在はとてつもない負荷になっていた。好きだけどしんどい。正直な思いだった。
僅かな休日の時間は彼女に奪われる。そして、休日が終われば、終わらない仕事と上司の嫌みが待っている。この繰り返し。繰り返し。
誰もいない部屋でひとつ大きな溜息をつき、発泡酒をあける。
「あー、美味しくねえな。」
ふと時計を見ると、既に時計の針は0時を回っている。あと8時間もすれば俺は会社の椅子に座っているのか。そんな事を考えていたら憂鬱な気分になってきた。もう寝よう。
7時間後。俺は見慣れた駅のホームに立たされていた。誰に立たされているのかは分からない。すぐに俺はあくびと溜息が充満した電車に揺られて街に送り込まれた。
この日の社内は修羅場の雰囲気だった。ただでさえ忙しい月末。そこに予期せぬトラブルが重なりこんできたらしい。部長の血圧がぐんぐんあがっている。大人しくしておこう。
そんな俺の決意なんてすぐに破られる。部長が怒鳴り声で俺の名前を呼ぶ。
「いや、この仕事は課長の指示でして…。」
駄目だ。俺の言葉に聞く耳なんて持っていない。チラッと時計を見るとゆうに定時を過ぎていた。いや、定時なんて概念はここにはないか。
部長の意味のない言葉の羅列はしばらく終わりそうにない。俺は適当に返事をしながら心の中で歌を流すことにした。
エーデルワイス。
小学生の頃によく音楽の時間に歌わされたこの曲がなぜか心の中で流れた。
将来のことなんか何も考えず毎日精一杯遊んでいたあの頃。今も毎日を精一杯生きているのは確かだ。でも、あの頃と違って笑顔になれないのは何故だろう。何が違うんだろう。
部長の口が閉じると、俺は一礼して自分の席に戻った。隣の席の同僚が俺を心配してか一声かけてくれた。俺は笑った。でもそれは、あの頃の自然な本気の笑顔とは違う、精一杯の愛想笑いだった。
良き頃を回顧しだしたら終わりだな。そう思いコーヒーをグッと飲んだ。もう一頑張りだ。
仕事に取り掛かり始めて数十分後、ふと次の休日のことを考えてしまった。
次の休日は久々に時間があるし、どこか癒される場所に行きたいな。山。そう緑いっぱいの山に行きたい。さっき心の中に流れたエーデルワイスの世界のような。
再び心の中にエーデルワイスの軽やかなメロディが流れてきた。
そして、俺は決意した。次の休日まで耐えよう。頑張ろうと。




