獣の王③-②
ゼヒナスは眉をひそめる。そんな名前、見たことも聞いたこともなかった。クレモンテンはなにを言っている? 余計に不気味さが膨れ上がっていった。
「はっ! レグキャリバーには個人識別装置がある! 貴様では操縦できない。それにだ、そんな物が一体どこにあるというのだ?」
「いつ、誰が、私が操縦すると言いました?」
ゼヒナスとは別方向の疑問を口にするオービット。しかしてクレモンテンの答えは、オービットが予想だにしないものだった。
「ガイキルスの操縦はガイキルスの所有者、《彗星戦役》の覚醒者に任せればいい」
「そんな人間が、今、この場に都合よく……」
そこまで言ってオービットは気付いた。ゼヒナスと同じように、《月の欠片文明》に精通した人物に心当たりがあったのだ。
「まさか、月の預言者殿が?」
「そのとおり。《月の欠片文明》に対する彼女の並々ならぬ知識も、実際にその時代に生きていたからと考えれば妥当でしょう?
そして、ガイキルスがどこにあるかですって? ここにありますよ!」
クレモンテンの拳が剥き出しの岩壁、《巌の頂》が背負う岩山の表面を叩きつける。
「ガイキルスは、そのあまりの戦闘力ゆえ厳重に封印されているのです。拘束のオールトで縛られた上に、この岩山を物理的な檻としてね」
「拘束のオールトだとっ?」
ゼヒナスの声が跳ね上がった。まさかここでその名称を耳にするとは思っても見なかった。なにせそのオールトの持ち主こそ、ゼヒナスの探している人物なのだから。
「私は拘束のオールトを打ち消すことのできるオールト、解除のオールトの持ち主を探していました。そのためのバッハイグ、そして人攫いでした。表立って動くことのできない私の協力者、私兵というわけです。そして私は今ここに、解除のオールトの持ち主を手に入れました」
言って、クレモンテンはリーゼリアを見た。しかし当のリーゼリアは困惑顔だ。
「違う、私のオールトは」
「誰も貴方だとは言っていません。正確には、貴方が宿したもう一つの命のことです」
クレモンテンがピグキャリバーである指し棒をリーゼリアに向ける。途端にリーゼリアが苦しみ始めた。虚脱感から我が子を守るように、無意識の内に下腹部を抱きしめる。
「幼子のオールトは弱い。拘束のオールトを打ち消すほどの力は得られないでしょう。しかし、母体とオールトを共有していられる胎児の時期は話が別です。
そして、私の誘導のオールトを使えばこのとおり……! 腹の中の赤子といえどオールトを使用することができるのですよ!」
まるで御伽噺に出てくる悪い魔法使いのように、クレモンテンが挿し棒を操ってリーゼリアの赤子からオールトを引き出していく。十二分に引き出された力が、流星となって岩山にぶつけられる。
どくんと、心音にも似た波動が走った。
岩壁に亀裂が走り、亀裂は瞬く間に岩山の全体を駆け巡る。岩山の半分が崩れ落ち、砕けた岩塊が《巌の頂》に降り注いだ。《巌の頂》の至る場所が押し潰され、破壊音と怒号と悲鳴が連続する。
「なんだこの騒ぎはっ!」
思わず講堂に飛びこんできた暗黒変態卿は、講堂一面に充満した土埃を目にした。汚れた烈風が全身を叩き、大扉から廊下へ吹き抜けていく。暗黒変態卿は目を細め、顔を庇って砂埃に耐えた。
「命の鼓動はつきていないかっ!」
「もう少し分かりやすく言い給えっ!」
オービットが粉塵を突破して暗黒変態卿の隣まで後退してきた。人影が続いて、
「ぷげっ!」
暗黒変態卿の顔面に突きこまれる拳。仰向けに倒れた暗黒変態卿の顔面にさらに靴裏が叩きこまれる。暗黒変態卿をぶちのめしたアディシアは、その頭に手を伸ばして、
「ついに、ついに取り返しましたよーっ!」
号泣しながら、天高くパンツを掲げるのだった。
しばらくして砂埃が落ち着いていくと、再び講堂の姿が浮き彫りとなってきた。ゼヒナスとクレモンテンは対峙したまま動いておらず、クレモンテンの傍らのリーゼリアはオールトの消耗によって衰弱していた。
様変わりした講堂の真正面、かつて岩壁が聳えていた場所に巨大な人影が現れていた。
現れた人影、体よりも巨大なバックパックを背負ったレグキャリバーは、いまだに崩れきらぬ岩山のもう半分に正対して、まるで対峙しているかのように佇んでいる。
「どうです? これこそがガイキ」
「馬鹿な、〈レザーベイン〉だと? どうしてこんな場所にあるっ?」
「……はっ?」
ゼヒナスの驚愕に続いて、クレモンテンが間抜けな声を出した。
「……ひっ!」
次いで短い悲鳴。アディシアが青い顔をしてレグキャリバーを見上げている。
「なんですか、あの目は」
「はぁ? 目、ですか?」
クレモンテンは不可思議な表情のまま背後の岩山に目を向けて、絶句。
ゼヒナスがレザーベインと呼んだレグキャリバーの隣、いまだに崩れきらぬ岩山のもう半分に開いた亀裂の内部から、巨大な眼球がこちらを見下ろしていたのだ。
「な、ななななな、なんですかあれはっ!」
「……おい」
クレモンテンが死の声を耳元に聞いたときには、すでにゼヒナスは目の前にいた。
「僕を前にして動揺丸出しってのは、ちょっとばかり真剣みが足りていないな」
剣が一閃され、切断されたクレモンテンの右腕が宙を舞った。滝のように血を流す肩を押さえたクレモンテンを見下ろして、ゼヒナスは拳を握り固める。
「とりあえず、今はジョハンスの分だけで我慢してやる!」
追撃の拳がクレモンテンの顔面に叩きこまれた。クレモンテンは真横にふっ飛ばされ、背中から岩壁に激突! 肩からの出血で岩壁に血の帯を描く。
「ガイキルスは……私のガイキルスはどこ?」
激痛と、なにより出血多量で、クレモンテンは夢遊病者のように朦朧として呟く。
「あの視線こそ、そちらが求めていた〔ガイキルス〕ではないですか」
しかして声は天空から降ってきた。
大講堂の天井が破裂! 天井板と鉄骨が降り注ぎ、その瓦礫の中を下降する人影。
人影が着地して床板が粉砕され、片膝立ちの姿勢から立ち上がる。姿を現したのはローブで目元以外を覆った謎の人物、月の預言者だ。
「つ、月の預言者殿、なにを言って? ガイキルスはレグキャリバーでは……?」
「ああ、あれは嘘です」
愕然とし、混乱するクレモンテンに、月の預言者はしれっとして言い放った。
ゼヒナスの緑色の視線と、月の預言者の桃色の視線が激突。そのときふと、ゼヒナスの鼻を芳香がくすぐった。ゼヒナスの眉が跳ね上がる。
「この香水…………お前、まさかミザリィか?」
言って、ゼヒナスは怪訝に眉をひそめた。
「いや、違うな。お前は誰……いや、なんだ?」
くつくつと、月の預言者から邪悪な笑い声が漏れてきた。
月の預言者が覆面を剥ぎ取り、その素顔を外界に晒す。現れたのはミザリィの顔だ。しかし顔つきがミザリィではなかった。まるで一度ミザリィの顔をばらばらに分解して、改めて組み直したと言わんばかりの不自然さがある。
「名乗ったつもりでしたが、それでは改めて自己紹介しましょうか。
わたくしはガイキルス! 月の欠片の時代に黄燐の怪獣と呼ばれた者です!」
月の預言者は声高く宣言した。月の預言者の視線とガイキルスの視線が重なり、その場の全員を睥睨する。




