第一章 第一話 落ちこぼれ冒険者カイン
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申し訳ございません。
――人間は、自分だけは死なないと思っている。
それは間違いだ。
だが、みんなそう思っている。
だから酒を飲む。
だから女を口説く。
だから借金をする。
だから俺は今日も生きている。
そう。
生きている限りは勝ちなのだ。
死んだら負け。
冒険者なんて職業は、その一点だけで説明がつく。
俺、カイン・アークライトはそう思っていた。
少なくとも、この日の朝までは。
「フィリア」
「はい、カイン様」
「俺、金持ちになったら城を買うわ」
俺たちがいるのは、王都の北門へ続く大通りだった。朝の街はまだ店を開け始めたばかりで、石畳には夜の冷気が残っている。
俺はフィリアの半歩前を歩いていた。格好だけは主人らしく、実際には財布の中身を気にしながら歩いている。
背は高くも低くもない。使い込んで刃こぼれした片手剣を腰に提げ、革鎧のあちこちには継ぎ接ぎの跡がある。顔立ちは十人並みだが、疲れた愛嬌だけはあるらしい——ギルドの受付嬢にはよくそう言われる。慰めだというのは、さすがに気付いている。
「またですか」
「またとは何だ。またとは」
「昨日は島を買うと仰っていました」
「男の夢は毎日変わるんだよ」
「そうですか」
フィリアは無表情だった。
亜麻色の髪を首の後ろで一つに結び、灰色のローブに身を包んだ小柄な少女だ。首元には奴隷の証である銀の枷が覗いている。目だけは妙に澄んでいて、感情の代わりにいつも何かを観察しているように見えた。
奴隷だからではない。
元々こういう顔なのだ。
嬉しい時も。
悲しい時も。
怒っている時も。
大体同じ顔をしている。
初めて会った時は人形かと思った。
今でも半分くらい思っている。
「反応が薄いなぁ……」
「城を買うお金がありませんので」
「そこは夢を応援しろよ!」
そう言って俺は石畳を踏み鳴らしながら歩く。胸を張っているせいか、やたら偉そうに見えるらしい。
フィリアはそんな俺の横を、一定の歩幅で淡々とついてくる。急ぐでもなく、遅れるでもない。まるで俺がどこへ行くのか、最初から分かっているようだった。
「現実を見てください」
「嫌だね!」
即答である。
現実なんて見たくない。
見たところで嫌なことしかない。
俺の財布とか。
俺の口座とか。
俺の借金とか。
俺のレベルとか。
特に最後。
レベル。
この世界で、誰もが持っている数字。
神が与えた祝福。
強さの証。
才能の証明。
人生そのもの――。
そして俺のレベルは――。
「レベル5……」
思わず呟く。
フィリアがこくりと頷く。
「レベル5ですね」
「言うなよ」
「カイン様が言いました」
「追撃するな」
「事実です」
ぐふぅ。
胸に刺さる。
やめて。
俺、傷つく。
実際問題として、レベル5は低い。
異常に低い。
冒険者になって三年。
命を懸けて戦い続けて三年。
それでレベル5。
才能がないにも程がある。
ギルドの受付嬢ですら俺より高い。
泣いていい?
いいよね?
「だが今日は違う」
俺は胸を張る。
どーん!
どやぁ!
「今日は大仕事だ」
「大仕事ですね」
「銀貨十五枚だ」
「銀貨十五枚です」
「銀貨十五枚。大事なことだから覚えておけ」
「銀貨十五枚ですね」
「分かってる?」
「分かっています」
分かっていない。
絶対分かっていない。
銀貨十五枚。
銀貨十五枚だ。
大事なことなので三回言った。
門の向こうでは、討伐隊の集合場所へ向かう人の流れが太くなっていた。俺たちはその流れに混ざり、北門へ向かう広い坂道を上っていく。
左右には武器屋や道具屋が並び、軒先には冒険者向けの保存食が積まれている。いつもの朝の光景だ。
焼きたてのパンの匂いと、研ぎ石にかけられた金属の匂いが混ざって漂う。鍛冶屋の槌音が、まだ眠そうな通りに規則正しく響いていた。
ただ今日は、街の外へ向かう人間の数が異様に多かった。
冒険者百名。
王国騎士団五十名。
王国主催。
大規模討伐。
討伐対象は、魔物百体程度。
勝ち確定。
楽勝。
消化試合。
負ける要素ゼロ。
むしろどうやったら負けるの?
そんな依頼だった。
「半日で終わるな」
「終わるといいですね」
「終わるに決まってるだろ」
「そうでしょうか」
「何だよその反応」
フィリアは少しだけ空を見上げた。
曇天だった。
北門の外へ出ると、街の喧騒が背中へ遠ざかった。目の前にはなだらかな草原と、その先に黒く連なる森が見える。
街道は二台の馬車がすれ違えるほど広い。討伐隊はそこを埋めるように進んでいた。
灰色の雲。
風が冷たい。
鳥も飛んでいない。
嫌な天気だった。
「……嫌な予感がします」
「やめろ」
「はい」
「そういうのマジでやめろ」
「はい」
冒険者にとって、嫌な予感ほど信用できるものはない。
なぜなら大体当たる。
嫌な予感とは経験則だ。
生存本能だ。
そしてフィリアの勘は異様に当たる。
だから、やめろ。
怖いから。
本当に怖いから。
「……まあいい!」
俺はわざと歩幅を大きくして、重苦しい空気を振り払うように前へ進んだ。ブーツの底が石混じりの道を踏むたび、乾いた音が返ってくる。
俺は両手を叩いた。
ぱんっ!
「今日の俺は機嫌がいい!」
「そうですね」
「依頼が終わったら酒場だ!」
「はい」
「肉だ!」
「はい」
「女を口説く!」
「はい」
「そしてモテる!」
「それは難しいと思います」
「何で!?」
その時、
遠くでラッパの音が鳴る。
討伐隊集合の合図。
巨大な北門の前は、祭りでも始まるのかと思うほどの人だかりだった。門を背に騎士たちが整列し、その脇では冒険者たちが武器を確認している。
俺たちはその人波の端を縫うようにして集合位置へ向かった。肩がぶつかるたびに、鎧の金属音が短く響く。
人、人、人――。
武器。
鎧。
旗。
怒号。
笑い声。
戦いの前にしかない、独特の熱気。
この時までは。
俺だって、疑っていなかった。
誰も、勝利を疑っていない。
当然だ。
負ける理由がないのだから。
この時、
本当に誰一人として知らなかった。
今日という日が。
今日という日が、後に王国史上最悪の惨劇と呼ばれることを。
もちろん。
当の本人ですら、知らなかった。




