04話 お勉強の時間(前編)
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淀殿との朝食が終わって秀頼は自分の部屋に戻ってきた。
「秀頼さま!某は朝食をとってまいります。何かご用があれば片桐殿にお伝えください。先程のように廊下にいらっしゃるはずです」
「わかったー!いってらっしゃい!」
「はい!いってまいります!!」
部屋に着いてすぐ重成はご飯を食べに行ってしまった。
「あー、暇だあああ」
それもそのはず、なんといってもこの時代、娯楽がない!あるとすれば将棋に囲碁、蹴鞠など。
「ゲームしたいなあ。……ていうか、未の刻っていつだよ」
先ほど淀殿に「未の刻に迎えに来る」と言われたが、一体どのぐらい先なのか、あるいはもうすぐなのか、全くわからない。
「そうだ!且元にいろいろ教えてもらおう!優しそうだし、難しい言葉いっぱい使ってたから絶対頭も良い!!」
後半のおバカな憶測はともかく、この時代を知らない秀頼が様々な事情を知ることはとても重要である。
「且元ー!!」
「はっ!ここに!」
ササッと襖を開けて且元が返事をする。
「われは勉強がしたい!」
「勉強にございますか?」
「うむ!豊臣家の世継ぎとして、身の回りのことや、ほかの大名のこと、なにより豊臣家のことについて知っておきたいのじゃ!」
幼い秀頼の健気な考えに驚いて感心したのか、且元は少し目を大きくして嬉しそうな顔をしている。
「なんと殊勝なお心構えか!秀頼様が御座せば豊臣家は安泰にございます!不肖この且元、できうる限りのご助力をお誓い申し上げまする!!」
「うむ!では入って参れ!」
「ははぁー!」
こうして且元との勉強会が始まるのであった。
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「まずは聞きたいのだが、未の刻とはいつなのじゃ?」
「未の刻にございまするか?」
前世の古典の時間に習っているはずだが、覚えていないのも無理はない。
「そうですなぁ……いつ、と仰せられても難しゅうござる……」
「われは母上に『未の刻に迎えに来る』と言われたのじゃが、どのくらい先なのかわからん!」
「ううむ、御説明申し上げるならば……今がおよそ辰の刻と巳の刻との間でござる。一日を十二に分け、それぞれに十二支を当てて呼び申す。十二支とは即ち、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二の生類からなり、真夜中を子の刻、正午を午の刻とお心得あれ」
「な、なるほど……」
「然れば正午までは残り一刻半、淀君がお越しあそばすまでは二刻ございます」
現代で言えば今が朝の9時、正午まで残り3時間、淀殿が迎えに来るまで4時間となる。
「1日24時間で、12に分けるってことは……一刻が2時間。迎えが来るまで二刻だから……4時間後?」
えらいぞ秀頼、当たりである。
「よし且元!二刻あるならいっぱい勉強できるな!!」
「はっ!できまする!」
とは言っても何から教えてもらえばいいかわからない。現代の常識が通用しないのは秀頼にも明白であるので、教えてもらうことについては且元に一任することにした。
「ではまずは、豊臣家について学びましょう」
且元は秀頼の父である太閤秀吉について語り始めた。
内容は天下統一までの主な過程についてであり、且元が教えてくれたことをものすごく簡単にまとめるとこうである。
織田信長の家臣としての立身出世、信長に中国地方の毛利征伐を任されたこと、本能寺の変で討たれた信長の敵討ちのための中国大返しから、謀反人明智光秀を討ち果たした山崎の合戦。
清須会議にて織田家の継後者争いで主導権を握り、その後の賤ケ岳の戦いで秀吉と対立していた信長の重臣、柴田勝家を討ち果たし、大坂城を築城。
2年後には朝廷より関白に任ぜられ、長宗我部元親を破り四国を平定、徳川家康も臣従させる。
翌年には太政大臣に任ぜられ豊臣姓を受け、実質天皇から日本全国の支配を委ねられたとして、諸大名に停戦命令、すなわち惣無事令を発し、それに従わなかった九州の島津、関東小田原の北条、東北の伊達政宗ら奥州の諸大名を服属させ……
「……と、このように太閤殿下は全国統一を果たされたのです。……いっぺんに申しましたが大丈夫でございますか?」
「う、うむ!とにかく父上はがんばって天下をとったのだな!」
細かいことは覚えきれなかったようだが、何となくの流れを理解した秀頼はさらに且元の話を聞くことにした。
「太閤殿下は太政大臣におなりあそばした後、聚楽第を築かれ、天子様を奉迎し給いて、公家衆や朝廷に対してその地位をお示しになりました」
「てんし様をほーげい?」
天子様とは「天皇」のことを指し、天皇が聚楽第に行幸なさった、つまり足を運んだことは、武家政権と朝廷との結びつきを強調し、秀吉政権の権威を象徴する出来事となった。
「天子様とはすなわち我が国の最高位の皇族であらせられます。天照大御神を祖とし、神の子孫とされております」
「天皇を招けるなんて、父上はすごいね!」
現代の感覚からもわかるその偉業に、秀頼は本心からそう思った。
「そして文禄元年、太閤殿下は朝鮮出兵をご下命あそばしました」
「朝鮮に?」
いわゆる文禄・慶長の役である。これは豊臣秀吉による中国の王朝である明を征服するための計画の一環であり、朝鮮を通過するために起こした大規模な出兵である。
「左様にございます。……あれは壮絶な戦にございました。夜を日に継いで海を渡り、見知らぬ土地にて干戈を交えるは難儀なこと。……その様、筆舌に尽くし難きものあり」
且元の言い回しが難しすぎてそろそろ重成の助けが欲しくなってきたようだが、秀頼はもう少し頑張って聞くことにした。
「行ったの?」
「はっ!一度目の派兵のみではございますが……彼の地では、如何に劣勢なれども孤軍奮闘し猛々しく戦う者、周章狼狽のあまり逃げ出す者など、多くを見て参りました」
日本軍は当初、迅速に朝鮮半島に侵攻し、朝鮮側の義勇軍の抵抗もあったが、優勢であった。日本軍の侵攻が続く中、朝鮮は明に援軍を求め、その要請を受け明軍が到着してからは戦局は次第に劣勢となり、一度目の朝鮮出兵、すなわち文禄の役では撤兵に追い込まれたのである。
「2回目はどうなったの?」
「……劣勢にございます」
「……ん?えっと、負けちゃったってこと??」
「然に非ず!そのようなことは決して……、いまだ交戦中にございます……」
現在は慶長3年8月10日、二度目の出兵である慶長の役はいまだ決着がつかず、史実での撤兵は10月下旬から12月上旬にかけて行われたとされる。
「た、たしか授業では秀吉がなくなったことが原因で日本軍は撤兵したんじゃなかったっけ……てことはもしかして……」
「か、且元!父上は今どこに??」
「はっ!……太閤殿下は現在、病床に臥しておいでです」
秀頼は、まさか秀吉がまだ存命だとは思っていなかった。彼の息子(秀頼)がまだ幼少であった時に、太閤秀吉が亡くなったということはなんとなく知っていたし、朝食にもいないので秀吉亡き後の世界だとばかり思っていたのだ。
天下人に直接いろいろと教えてもらえば、なんとかこの世界を生き延びれるんじゃないか?……そんな期待を持ちながら、且元にあることを尋ねてみた。
「父上にお会いすることはできないのか?」
「秀頼様ならば可能でございましょうが……いささかご危篤のようでしたので……」
「そ、そうなんだ……」
起死回生の兆しに期待した秀頼であったが、秀吉の最期の時は近いようで少し落胆の表情を見せた。
「秀頼様……」
その様子に心配した且元が声をかける。
「卒爾乍ら……本日の淀様のご用件ですが、おそらくは太閤殿下のお見舞いであるかと拝察いたします」
「そ、そうなの?」
少しでも秀頼の気が晴れるような話題を、と且元が良いニュースを聞かせてくれた。
「太閤殿下は明日より、五大老五奉行の御方々に加えて、京にご滞在の諸大名と面会の上、誓紙・血判を取り付けさせる由にございます」
「なにそれ??」
「はっ!約束を破らぬと誓いを立て、それを紙に認めることにございます」
この時代における契約や誓いに背く行為は、『信義』に反し、ほかの武士や大名との関係を壊し、生涯において信用を失うこととなるため、誓紙や血判による約束事は非常に重んじられたのである。
「な、なるほど」
「よって、家臣や他の大名よりも前に、淀様や秀頼様と面会なさるのは至極当然のことかと思われます」
彼の話で少しだけ気が楽になったので、次のことを学ぼうと思い、何を教えてもらおうか聞いてみることにした。
「且元!ほかにもいろいろ知りたい!」
ここまで約一刻(2時間)、豊臣秀吉についての話に一段落つき、秀頼のお勉強は後半戦へと突入する。
次回、「お勉強の時間(後編)」