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番外編3 ビーのお留守番

特別編(レジーナブックスにアドレス登録している方が読める)用に書いたものです。書籍版第5話『精霊の館の冒険』(中編)で、アスティたちが質屋を離れている時、お留守番のビーに起こった出来事。

 店主のアスティと元執事のバルトサールが、急用で遠方のロビン伯爵家に出かけることになってしまった。しかも、泊まりがけで。

 元メイドのベアトリスと、地下倉庫へ続く扉に住み着いている幽霊のラスムスは、留守番である。

 アスティたちの出発は、客の少ない木曜。そこで、木曜とその翌日の金曜は店を休みにすることになった。しかし、土曜日は質屋にとっては重要な曜日なので、店を開けない訳にはいかない。

 アスティたちの帰りは、どんなに早くても土曜の夜。

 つまり土曜日は、ベアトリスが店番をしなくてはならないのだ。


土曜日の朝。

『そんなに緊張しなくても大丈夫だってー』

 丸窓扉から上半身を突き出し、ラスムスは言った。

『お金を受け取って、月曜に預かった晴れ着を返すだけでしょ? 何か質入れしたいって言われたら、今日は店主が留守だからって説明して、ヘンリクの質屋に振ればいいじゃない。ディーサも手伝いに来てくれるって言ってたし、余裕余裕』

 ラスムスはヘンリクよりも、そしてディーサよりもずっと年上だ。軽い調子で言いたいことを言って丸窓に引っ込み、そして静かになった。眠ってしまったらしい。彼は彼で昨日かなり忙しかったので、疲れているのだろう。

「ああ……お嬢様、早く帰ってきて下さい……」

 カウンターの内側でつぶやきながら、ベアトリスはカチンコチンに固まって座っている。

 店番の経験はあるが、これまでは客の少ない曜日ばかりだったし、客が来たらアスティを呼びに行けば良かった。しかし、今日は違う。特に午後から客が押し寄せるはずで、人見知りのベアトリスにとっては、恐怖以外の何ものでもない。

「そうだわっ、張り紙をしたらどうかしら」

 ベアトリスは、がたん、と立ち上がる。

「『今日は請け出しだけです、質入れしたい方はヘンリクさんのお店に行って下さい』って」

 そうすれば、店に入らずに引き返す客もいるはずだ。知らない人と顔を合わせることさえ恐ろしいベアトリスにとっては、ずっと気が楽である。

「……と思ったけど、ダメだわ……」

 ベアトリスはしょんぼりと、椅子に座り直した。

 よく考えたら、下町の住人たちには字を読めない者が多いのだった。張り紙をしても意味がない。読める者のために貼ってもいいのだが、読めない者が「あれ何て書いてあるの?」などと聞きに来たら、余計に人と触れ合わなくてはならない。

 そこへ、

 シャラン!

 玄関扉のチャイムが鳴った。

「いいいいらっしゃいませ……!」

 がたーん、と椅子をひっくり返しながら、ベアトリスはあわてて立ち上がった。

 入って来たのは、日に焼けた肌に赤毛の若い男。

「よっ、ビー! 留守番、お疲れ様!」

 リンド警備隊副隊長の、エイナルだ。今日は警備隊の制服ではなく、私服姿である。

「エ、エイナルさん、こんにちは」

「客じゃないんだけど、アスティお嬢さんから今日のこと聞いてたんで寄ってみた。どう?」

 エイナルは気安く、カウンターに片肘をかける。ベアトリスは少し身体を引き気味に返事をした。

「ま、まだ、お客さん来てないから……土曜日だから、混むのは午後です」

「午後ね。そういや見たことあるな、山ほどお客が押し寄せてるの。ふーん」

 何やら考えていたエイナルだったが、すぐにカウンターから離れると、

「じゃな」

 と手を挙げて店を出ていった。シャラン、と扉が閉まる。

「な、何をしにきたのかしら」

 ベアトリスは首を傾げたが、再び椅子に座って、おどおどしながら客を待った。


 やがて、ちらほらと客が訪れ始めた。

 まずは、月曜日に晴れ着を預かったおかみさんが二人。彼女らは借りた金を元手に今週の商売をし、稼いだ金で晴れ着を請け出しにきたのだ。

「ビーちゃん、留守番なんだって?」

「あっ、はいっ」

「頑張ってね!」

「そうそう、今度何か美味しい料理の作り方、教えてちょうだいよ」

「いつもお嬢さんが、ビーちゃんの食事は美味しいって褒めてるのよ」

「お嬢さんのデビューお祝いの時のお菓子も、美味しかったもんねぇ」

「あんた、あれを食べ過ぎたから太ったんじゃないの?」

「あたしのどこが太ったってのよっ!」

 おかみさん二人は賑やかに話し、ニコニコと彼女を励まし、そして晴れ着を受け取って店を出ていった。何も問題は起こらなかったが、それと緊張とは別の問題で、台帳に請け出し済みの書き込みをするのにも手が震えてしまうベアトリスである。

 しばらくたって、別のおかみさんがやってきた。もう少しして、また別のおかみさんが。

 何度か応対を繰り返すうちに、ベアトリスはすっかり汗だくになってしまった。が、ここまで来るとほんの少しだけ、余裕が出てくる。

「な、何とか、なるかも……今日だけは。それにしても今日は、おかみさんたちが来るの、早いような気がするわ。いつもはもっと、午後にまとめてドバッと来るのに」

 少し不思議に思ったベアトリスだったが、客がバラけた方があわてずに済むので、とても助かる。

 それ以降も、あまり固まらずに客が訪れ、ベアトリスは思っていたよりも余裕を持って、仕事をこなすことができた。


 夕方になった。

「ありがとうございましたっ……!」

 出て行く客を見送り、ベアトリスは大きくため息をついた。

 気がつけば店の中はだいぶ暗くなっており、光水ランプを明るくしてから台帳を確認する。今日晴れ着を請け出しに来る予定の客は、これで全部だ。

「終わった……! 私、ちゃんとできた!」

 感動のあまり涙ぐんでいると――

 シャラン!

 玄関の扉が開いて、ベアトリスは飛び上がった。

 入ってきたのは、エイナルだ。

「よっ、ビー! 留守番、お疲れ様!」

 朝と全く同じ台詞を言って、エイナルは片手を上げる。

「どう?」

「あっ、えっと、大丈夫でした! もう閉めます!」

 ベアトリスがあたふたと跳ね上げ扉を上げ、カウンターから出ると、エイナルがそれを押しとどめた。

「ああ、外の看板を入れるんだろ」

 彼はさっさと外に出て行くと、看板を中に運んできた。

「ありがとう、ごさいますっ」

 ベアトリスはぺこりと頭を下げる。すると、エイナルは「いやいや」と手を振ってから言った。

「ビー、夕食は?」

「え、えっと、家にあるもので済ませようかと」

「一人じゃつまらないだろ。俺と食いに行こうよ、おごるよ」

 立てた親指で、外を示すエイナル。

 ベアトリスは困惑し、思わず一歩下がった。彼女のような人見知りの少女にとって、エイナルのように明るく賑やかな男性は、最も苦手とするタイプである。一緒に食事などしたら、食べ物が喉を通らないだろう。今でさえビクビクしているのだ。

「あの、でも」

「誰かと約束でも?」

「な、ないですけど、あの」

 どう断ればいいのかさえわからず、半泣きになるベアトリス。

 そこへ、声がかかった。

「ビーはあたしと夕食を食べるんだよっ」

 開け放したままの中扉の向こうから姿を見せたのは、ディーサだ。

「げっ、ばあさん! いたのかよっ」

「ねえさんと呼びな! あんたみたいなのからビーを守るために、あたしは昼からここに来てたのさっ」

 手伝いに来ていたディーサだが、思ったよりもベアトリスが順調に客を捌いているのを見て、「あたしは厨房にいるから何かあったら呼びなよ」と様子を見ていたのだ。

「ちぇっ」

 エイナルは舌打ちをしたものの、潔く「じゃ、また次の機会にな!」とベアトリスにウィンクをして、店を出ていった。

「ディーサおねえさん、ありがとうございます」

 ほっ、と胸をなで下ろすベアトリスに、ディーサは声をかける。

「ビー、一応、エイナルのために一言言わせてもらうけど」

「は、はい?」

「あたしは昼前にこっちに来たけど、その時に町でエイナルを見かけたんだ。エイナルは、今日は非番だったみたいだけど、ビーが一人で店番してるって知って、下町をぐるりと見回りながら皆に言ってくれてたみたいだよ。早めに請け出しに行ける人は行ってやってくれ、店が混むとビーがあわてちまうから……ってね」

 ベアトリスは目を見開いた。

 エイナルのおかげで、今日は客がバラけていたのだ。

「しかもね、それが済んだらこの店の前に立って、おかしな客が来ないか見張ってくれてもいたんだよ。質入れの客をヘンリクに回すのも、やってくれてたみたいだね。さすがは副隊長、頼りになる奴じゃないか」

 ディーサが笑う。

 もし、エイナルが店の前にいなかったら、いつかのように盗品を持ち込む客もいたかもしれない。

 ベアトリスは少しの間、考えると、急いで跳ね上げ扉を上げてカウンターの中に入った。手を離すのが少々早すぎ、ゴン、と頭に扉をぶつけたりしながらも、奥の厨房へと走っていく。

 やがて、彼女は小さな籠を持って引き返してくると、店に出ながらディーサに言った。

「あのっ、すぐに戻ります!」

「はいよ」

 ディーサが笑顔で見送る中、ベアトリスは玄関を飛び出した。きょろきょろと辺りを見回してから、とりあえずマーケットホールの方へ向かうことに決め、小走りに坂を上る。

 途中で、ぶらぶらと歩いているエイナルの背中が見えた。

「エ、エイナルさんっ」

 ベアトリスが呼ぶと、エイナルはすぐに気づいて引き返してくる。

「おっ、ビー!? 何、やっぱり夕食、つきあってくれるのか?」

「そうじゃ、ないんですけど、あの」

 あたふたとしながら、ベアトリスは籠を差し出した。

「今日はありがとうございました! お礼です、朝食にでも、食べて下さい!」

 籠には、ベアトリスが今朝焼いた紅茶パンが入っている。紅茶に浸したドライフルーツと粉などを混ぜて焼くだけのパンだが、風味が豊かで、ルンドマルク北部では好まれてよく食されていた。アスティたちがいつ戻ってもいいように、多めに焼いておいたのだ。

「おおっすげぇ、嬉しい!」

 顔を輝かせるエイナル。ベアトリスは顔を真っ赤にすると、

「それじゃっ」

 と逃げるように踵を返し、走り出した。

「ビー、ありがとうなー!」

 エイナルの浮き立った声が追ってきた。


 ディーサは厨房兼食堂で、ベアトリスの用意した夕食を美味しそうに平らげると、機嫌良く帰って行った。

 片づけを済ませたベアトリスは、アスティたちが戻ってくるのを待ちながら、あれこれと仕事を見つけてはこなしていた。

『ん、あれ? もう夜?』

 今頃になってラスムスが目を覚まし、光水ランプを磨いていたベアトリスに声をかけてくる。

『ビー、今日は大丈夫だった?』

「うん」

『ほらね、心配することなかったでしょ』

 偉そうに言うラスムスに、ベアトリスは微笑んだ。

「そ、そうね」

『アスティたちはまだかなー。……ん? あっ!』

 ラスムスは声を上げると、顔を出して店の方を見た。

『今、馬車の音がしなかった?』

「えっ、ほんと?」

 ベアトリスは光水ランプのつまみをひねると、それを持ってカウンターの中扉を通り、店に出る。

 そして、玄関扉を開けると外に飛び出した。

「お嬢様、ご無事で……!」

「ビー、ただいま!」

 夜の闇を明るくするような、アスティの笑顔がそこにあった。

 彼女に駆け寄りながら、

(お嬢様に、お話ししなくちゃ)

 とベアトリスは思う。

 ずっと緊張していた留守番は、下町の人々がベアトリスに協力してくれたおかげで、そして何よりエイナルのおかげで、無事にこなすことができたと。

 そのおかげで、いつもは引きこもって家事をしている彼女も、たまには『質屋のビー』として町の人と触れ合いながら過ごすのも悪くないと、そう思うことができたのだ……と。

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