メアリー襲来。(後半アシュレイ視点)
選択科目は5学年合同である。1年ごとに専門を変えていくので、卒業するまでには全てを学べるというシステムだ。法学でいうと、憲法・民法・刑法・商法・国際法を順に1年毎に習っていく。今年は民法なので、私たちは1年で民法、2年で刑法・・・と習っていくが、来年の1年生は1年で刑法、2年で商法となる。
メインの淑女科目と騎士科目以外は人数が少なくなるので工夫されているのだ。
やはり、法学を選択している女子は少なく、女子は私とエリーと4年生に1人、5年生に1人だけだった。ちなみに、ヒロインのハーレム軍団のうち法学を選択しているのはオレンジの人だけだった。
授業後、メアリーが法学の教室に単独で乗り込んで来た。
オレンジの人に会いに来たのかと思いきや、まっすぐにアシュレイの元へ来る。
え?さっそく?行動力あり過ぎじゃない?
まぁ、これくらいの行動力がないと、王子様とお近づきになんてなれないか。――アシュレイはどんな対応をするんだろ?じぃっとアシュレイを観察してみる。
「初めまして。私はメアリー・スティントンっていうの」
ふわりと笑う美少女。
「初めまして。僕はアズレ・スチュアートです」
「「「(しれっと偽名使いおった―――!!!)」」」
危ない!!! 盛大に噴き出すところだった!
こんな時でも天使の微笑みでしれっと偽名を使うとは。
私、ルド、エリーは、下を向いて息を止める。
今、誰かと目があったら確実に噴き出す自信がある。
「そう、ねぇアズレ君、よかったら明日私たちのサロンに来ない?」
「残念ながら、先約があるんです」
「それは、残念ね。アズレ君はどうして法学を選択したの?」
その後もメアリーは天真爛漫にアシュレイに話しかけ続ける。私たち3人は完全に空気だ。話しかけられても困るからいいんだけどね。
ところで、オレンジの人がアシュレイをめっちゃ睨んでるよー!察してあげてヒロインちゃん!
「……アズレ、『人生ってつまらないな』って思ってるでしょ?」
私はエリーとルドにだけ分かるように小さくガッツポーズをする。
ルドとエリーの引き結ばれた口角がによによと動く。
くッ!2人の笑いを噛み殺す顔がツボにはまって自爆しそう。
てか、ナチュラルに呼び捨てにしたね。これが恋愛勝ち組の距離のつめ方なのかあ。すごいなあ。
「ふふっ。面白いですね」
アシュレイ、堂々と笑える君がうらやましいよ。私たちは、さっきから腹筋と表情筋がつらいよ。
「サロンに来たらもっと面白いわよ。アズレならいつでも歓迎! 私の名前を出してくれたらいいから。 またね、アズレ」
メアリーはオレンジの方に去って行った。
「やっぱり、呼び捨てにしてきたね」
ぽつりとアシュレイがつぶやく。
それを皮切りに私たちは笑い出した。
「やだ、アズレって!!アズレって言うたびに笑いそうになったわ!!」
ひいひい言いながらエリーが目にたまった涙をぬぐう。
「お前、アバズレとアシュレイを組み合わせたろ」
「名前に似せれば、ばれても「緊張した」ですむし、しかも、しばらく呼んでても「舌っ足らずなバカ」と思われて訂正されない可能性があるでしょ?偽名で本名に似ているものを考えて…とっさに言ってしまったけど、たいして面白くもなんともなかったね。失敗だったよ。 それにしても、人生つまらない~のくだりは中々面白かったね」
くすり、とアシュレイが笑う。
「アシュレイはすごいわ。よく一瞬でそこまで頭が回るわね」
私が素直に感心すると、アシュレイが目でだけで、君が回らなさすぎるんだよ、と小馬鹿にしてきた。
ぐぬぬ。
「それにしても、『メアリー襲来』には笑わせてもらったわ」と私が言うと、アシュレイが、「なにそのタイトル」と笑ってくれたので私も笑顔になる。
アシュレイの本当に笑った顔はとっても優しくて可愛いくて、周りが星で埋め尽くされてしまうくらいキラキラしてて、私は好きだ。もっと笑ってほしいな、と思う。
*
(アシュレイ視点)
僕は器用な方らしく、大抵のことは大した努力も要せず人よりもはるかに良くできた。
けれど、大きな成果を上げて目立ってはいけないので手を抜かなくてはいけなかった。
少し微笑むだけで老若男女問わずよくしてくれる。苦労することもなければ、目標もなく、何かを成し遂げる喜びもない。
僕にとっての日常とは、繰り返される日々をただ淡々と生きていくだけだった。
入学式で、同学年に見た目が僕くらい綺麗な人間がいた。その子は空想か妄想の中を生きているような、頭の中が湧いてそうな感じの子で――僕の嫌いなタイプだった。
当たり前のように沢山の愛情を受け、まっとうな親の元で甘やかされて育った典型的な甘ったれのご令嬢。
苦労することもなく、他者を羨むこともなく、絶望することもなく、命を脅かされることもなく、なんの制限も受けずに生き、それがいかに幸せで恵まれていることかも知らずに安穏と生きている。
羨ましいとは思わないけれど、こういう幸せしか知らない人間が人生につまづいた時どうなるのか少しだけ興味をもった。
絵本の主人公のように健気に振る舞うのか、悲劇のヒロインぶるのか、現実逃避するのか、昏く染まるのか、人生のスパイスは彼女の人格にどんな変化をもたらすのだろう。……そう思っていたら、入学式が終わるや否や、早速絶望と対面していた。
絶望を覚えた彼女は、明日にはどんな感じになるのだろうか?
翌日、人間観察のため早く教室に来ると、すでに例の彼女が来ていた。窓から差し込む朝日をうけて窓辺に佇む姿は1枚の絵画のようだ。
視線の先を追うと、彼女の婚約者が他の女といる。…昨日の空想の中に生きていたような彼女を思い出し、その心がどういう風に歪んだのか、確かめずにはいられなかった。初めての絶望に醜い嫉妬に駆られるのだろうか。
「ねぇ?いまどんな気持ち?」
「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」
「は?」
彼女が振り返る。
瞳に涙を溜めていて、それが、キラキラと色味が濃いのに決して濁らないアクアマリンのように綺麗だった。
我に返ると、想像とかけ離れた回答と、予想とかけ離れた彼女の変化と……なんだか無性に笑えて来てしまった。
「…ふっ。 ……くくっ」
なんだその軍師みたいな格言は。聞いたことないんだけど?馬鹿っぽいけど、実はできるのだろうか?
「……天使みたい」
……やっぱりバカだった。
もう一度彼女と向き合うと、目からはすでに涙がひいてしまっていて、それを少し惜しく感じた。
それからたわいもない会話を少ししてみたけど、昨日のショックで彼女は妙な方にねじくれたようだ。それが、すごく面白い。
濁ることなく、現実逃避するでもなく、悲劇に浸るでもなく、足掻き前進しようとする姿は一人の人間として純粋に眩しかった。
まあ、前進する方向性というか――どうしてあの婚約者に固執するのか、全く理解はできないけれど。非合理的で非生産的でしかないと思うのだけどね。
「そっか。君…変わってるね。それから、僕はただの子爵家の人間だし、クラスメイトなんだから、さっきみたいなしゃべり方の方がうれしいな」
心根が綺麗すぎる人間は僕は苦手だ。少し捩じくれた彼女ぐらいがちょうどいい。多少歪でも輝こうとする彼女を見ていくのは面白いかもしれない。
面白い玩具を見つけた。と、にこりと僕は笑った。
そのアメリアはその翌日も面白かった。
「おはよう、アメリア。リボンは止めたんだね。あのリボンも馬鹿まるだしで可愛かったけど、そのバレッタの方が素敵だね」
少し皮肉を言うとすぐにアメリアの目が潤む。それが楽しくて毒を吐く。他の子息や令嬢のように怒ることも無いので、つい口が軽くなる。我ながら子供らしい行動だとは思うが、他に愉しいと思うこともないので直す気はさらさらない。嫌なら勝手に離れていけばいいのだ。どうせ短い付き合いなのだから。
彼女の友人のエリザベス・コートは僕の見た目を気に入ったらしい。初対面からなぜか服従の姿勢を見せる…こういう人間は今までも多々いたので、おもちゃの附属品として邪魔にならない限りは傍にいてもいいかなと思っていた。が、わきまえるタイプだったので安心した。
その日の帰りには教室中にアメリアの初日の醜聞が広がっていたけど、どうやって解決するのか見ものだな、と思っていた。
またしても僕の想定を超えた方法を彼女は示してくれた。
詩の授業で歌うアメリアは、斬新なメロディーと歌詞でクラス中の人間を圧巻させ、一瞬で教室の中の自分のレッテルを「哀れな子」から「健気な片思いの子」へと変えるだけでなく、応援し、守るべき存在にさせてしまった。
本当に予想外で、次に何をしてくれるのかと彼女は見ていて飽きることはない。
廊下でアメリアの婚約者とすれ違ったとき、アメリアは平気そうなフリをしていたけど目に見えて落ち込んでいた。なんとなく僕以外が彼女を傷つけるのが癪に障ったので、ルドの真似をしてやると、ふわりと笑顔になった。朝日を受けた蕾が花開くときのような輝きを放っていて、ドキリとした。
そういえば、貴族としての微笑みではなく、本当の笑顔を向けられたのは初めてだったことに気づく。
――この笑顔は苦手だ。
もし、アメリアがいなかったらメアリーとかいう女の誘いに乗っていたかもしれない。アメリアが現れるまで、確かに毎日が退屈だったから。




