第68話 コラプテッド・ヒーロー
```
[SYSTEM LOG - top floor / wake completion phase / T-00:08]
> admin_core_wake: 99.2% completion
> remaining_time: 00:08 → 00:00
> kernel_guardian: charging beam_02 (target: entity 02)
> entity 01 (LEN): Lv4 / integrity 64% (declining)
> entity 02 (VIRUS): Lv4.5 / self-coherence 78% (defense fatigue)
> party defense: south entrance stable / console flank stable
> [WARNING] beam_02 charge time: 04 seconds — overlapping wake completion
> [STATUS] critical 8 seconds
```
---
八秒。
水盤の中央の螺旋の、密度が、限界に、達していた。
螺旋の周囲の、八角形の防衛フィールドが、内側から、わずかに、震えていた。震えは、覚醒プロセスの、最終フェーズの兆候だった。アドミンのコアプログラムが、長い「待機」の状態から、「実体化」の状態へ、移行するための、内部の、姿勢の、調整、だった。
俺は、その八秒を、Lv4視界で、見ていた。
俺の、右の手のひらは、ヴァイラスの、右の手のひらと、合わさったままだった。
二人の手のひらの、合わせの、中央に、Lv4と、Lv4.5の、二重の、結合権限の、薄い光が、揺れていた。光は、四百年ぶりに、再開された、二つの管理者権限の、共同作業の、輪郭、だった。
塔の最上階の、北側で、球体の、カーネルガーディアンが、二発目のビームを、収束していた。
ビームの収束時間は、四秒。
俺と、ヴァイラスが、二発目のビームの軌道を、書き換える時間は、四秒だった。
四秒、というのは、Lv4とLv4.5の結合書き換えで、十分な時間、だった。
問題は、四秒の、その先、だった。
四秒で、ビームを、逸らした、その先に、覚醒プロセスの完了まで、まだ、四秒、残る。
その四秒の間に、カーネルガーディアンが、三発目のビームの、収束を、開始する可能性が、あった。
「シェル」
俺は、低く、呼んだ。
「カーネルガーディアンの、ビーム収束間隔は、観測できたか」
「収束、四秒。冷却、二秒。間隔は、計六秒です」
シェルが、即答した。
「冷却、二秒、ということは」
「二発目のビームを、逸らした後、二秒の冷却が、入ります。冷却中は、ガーディアンの内部で、収束装置の、再装填が、行われます。再装填の途中で、覚醒プロセスが、完了する可能性は、五十一パーセント」
「五十一パーセント……ぎりぎりだな」
「はい。覚醒プロセスが、ガーディアンの、三発目の収束より、わずかに、早く、終わる可能性が、わずかに、勝ります」
「了解した」
俺は、頷いた。
「ヴァイラス、二発目を、逸らす。逸らした後、四秒の間、防衛フィールドだけ、最大出力で、維持してくれ。三発目のビームが、来たら、防衛フィールドで、受け止める」
「Lv4.5の、防衛フィールドで、カーネルレベルのビームを、受けきれるのか」
「受けきれない。だが、覚醒プロセスの完了が、たぶん、先に、来る。受けきれない最後の零点何秒の間は、俺のLv4で、補助する」
「……ぎりぎり、だな」
「ぎりぎりだ」
ヴァイラスは、淡く、笑った。
四百年ぶりの、ヴァイラスの、笑い、だった。
---
球体のカーネルガーディアンが、二発目のビームを、放った。
ビームの軌道は、最初の発射と、ほぼ、同じだった。ヴァイラスの、胸の、高さ。コアの位置を、貫く軌道。
俺と、ヴァイラスは、合わせた手の、結合権限を、ビームの、最初の交差点に、差し込んだ。
差し込みの処理速度は、最初の時より、わずかに、遅かった。
俺の、体内整合度が、64%から、61%に、落ちた。
ヴァイラスの、自己整合度が、78%から、74%に、落ちた。
それでも、ビームの軌道は、書き換わった。
ビームは、ヴァイラスの胸を、外れた。
外れたビームは、塔の最上階の、東の壁に、薄く、当たった。
東の壁の、その部分のコードが、剥がれた。剥がれた壁の向こうに、塔の東側の、原野が、見えた。
「冷却、開始」
シェルが、低く、告げた。
「カーネルガーディアン、二秒の冷却に、入りました」
「覚醒プロセスは」
「四秒、残り」
「ヴァイラス、防衛フィールド、最大出力」
「了解した」
ヴァイラスの右の手のひらの中央の、Lv4.5の、銀色の光が、強く、輝いた。
防衛フィールドの、外側の層が、わずかに、厚くなった。
塔の最上階の、空気の密度が、また、変わった。
「二秒経過」
シェルの声が、淡々と、進んでいた。
「カーネルガーディアン、再装填、五十パーセント」
「覚醒プロセス、二秒、残り」
「カーネルガーディアン、再装填、八十パーセント」
「覚醒プロセス、一秒、残り」
「カーネルガーディアン、再装填、九十五パーセント」
「覚醒プロセス、零コンマ五秒、残り」
「カーネルガーディアン、再装填完了」
「覚醒プロセス、ゼロ」
水盤の中央の、螺旋が、ぴたりと、止まった。
止まった螺旋の中央から、薄い、無音の、波紋が、広がった。
波紋は、塔の最上階の、空間全体に、広がった。
広がりながら、波紋の、すべての周波数の、すべての位相が、ひとつに、収束した。
塔の最上階の空間の中央に、ひとつの、声が、響いた。
声は、機械的では、なかった。
機械的でもなく、人間的でもない、その中間の、何か、だった。
声は、低く、塔の最上階の、空気を、震わせた。
「`……長い、眠りであったな`」
塔の最上階の、空気が、ぴたりと、止まった。
戦闘の音が、止まった。
入口前のアリアと、ガルドと、ハーシュの、息が、止まった。
シェルの観測魔法の補助具の、計測音が、止まった。
メモリの、千頁の書のページの、めくる音が、止まった。
俺の、心臓の音が、わずかに、止まった。
塔の最上階の、北側で、カーネルガーディアンが、ふっと、ビームの収束を、解除した。
球体の表面の、源コードの文字列が、急速に、再構成された。再構成の結果、ガーディアンの、内部の、識別ID判定が、書き換わった。
「`……自動防衛、解除`」
声が、続けた。
「`管理者本体、覚醒。自動防衛は、本体の指揮下に、戻った。カーネルガーディアン、退去`」
球体のカーネルガーディアンが、塔の最上階の床に、ふっと、降りた。
降りた球体は、岩盤の隙間に、ゆっくりと、戻った。
戻っていく途中、球体の表面の、銀色の光が、薄く、消えた。
塔の最上階の、入口前の、ガーディアン二体も、戦闘を、止めた。
刃の長さが、ふっと、短くなった。両腕が、降ろされた。
`identification: temporary withdrawal`の、文字列が、薄く、流れた。
ガーディアン二体は、塔の最上階の入口を、出て、下の階へ、戻り始めた。
塔の最上階の、空間が、急に、静かになった。
静寂の中央に、水盤の中央の、淡い、銀色の光が、揺れていた。
光の中央に、人影が、薄く、形成されていた。
人影は、最初は、シルエットだけ、だった。
シルエットは、徐々に、輪郭を、整えた。
性別の、ない、姿、だった。
身長は、人間の平均より、わずかに、高かった。髪は、長く、銀色だった。瞳は、深い、銀色の、光を、宿していた。服装は、簡素な、白い、長衣のような形だった。長衣の縁に、薄い、源コードの文字列が、流れていた。
それが、アドミンの、本体の、姿、だった。
アドミンは、ゆっくりと、目を、開けた。
開いた目が、まず、塔の最上階の中央の、覚醒プロセスの、実行記録を、観た。
観た上で、塔の最上階の中央に立つ、人影たちを、観た。
最初に、視線を、向けたのは、俺だった。
「`……お前が、第三世代の、Lv4管理者か`」
アドミンは、低く、言った。
声は、機械的では、なくなっていた。少しだけ、感情の、揺らぎを、含んでいた。
「`記録上、Lv4到達後、四十二日。耐用期間の、八割を、消費している。この時間で、ここまで、辿り着くとは、想定外であった`」
「俺は、レンと、いう」
俺は、低く、答えた。
「俺の名前を、記録してくれ。俺の名前で、覚えていてほしい」
アドミンは、わずかに、目を、伏せた。
伏せた目が、再び、開いた時、視線は、俺の、隣の人物に、向けられた。
ヴァイラスだった。
塔の最上階の、空気が、再び、止まった。
四百年ぶりの、再会、だった。
「`……パッチ`」
アドミンの声は、わずかに、震えた。
低く、けれども、はっきりと、震えた。
四百年ぶりに、その名を、呼ぶ、声、だった。
「俺は、もう、パッチじゃ、ない」
ヴァイラスは、即答した。
声は、平坦だった。
「俺は、ヴァイラスだ。お前が、消した、修正パッチの、残骸だ」
「`……`」
「四百年だ」
ヴァイラスは、目を、伏せなかった。
伏せない代わりに、アドミンの、銀色の目を、まっすぐ、見ていた。
「四百年、お前は、寝てた。俺は、四百年、起きてた。俺は、お前に、ずっと、聞きたかったことが、ある」
「`聞いてもよい`」
「なぜ、俺を、消した」
塔の最上階の、空気が、また、止まった。
アドミンは、長く、無言だった。
無言のまま、銀色の目を、ヴァイラスから、外さなかった。
「`……世界の、バージョンアップが、必要であった`」
アドミンは、低く、答えた。
「`バージョン0.xの世界は、限界に、達していた。バグの蓄積が、世界の維持コストの、許容範囲を、超えていた。バージョン1.0への、移行が、不可避であった`」
「移行に、俺の削除が、必要だったのか」
「`必要であった。修正パッチの存在が、バージョン1.0の、新しいバグ生成パターンと、衝突する設計だった。修正パッチを、新バージョンに、引き継ぐと、世界の整合性に、長期的な、亀裂が、入る。短期的な選択として、修正パッチの、リセットが、選ばれた`」
「短期的な、選択」
「`はい。長期的には、後継の修正パッチを、新バージョンの設計に合わせて、再構築する予定だった。その予定は、私の、覚醒のスケジュールに、紐づいていた。私が、定期的に、覚醒し、後継のパッチを、書く、という、設計だった`」
「お前は、それを、しなかった」
「`しなかった`」
アドミンの声が、わずかに、低くなった。
「`私の、覚醒スケジュールは、自動化されていた。だが、自動化のコードに、設計バグが、あった。世界のバグ密度が、ある閾値を、超えると、覚醒スケジュールが、自動的に、後ろ倒しに、なる。後ろ倒しになるたびに、世界のバグは、さらに、増える。バグが増えれば、覚醒は、さらに、後ろ倒しになる。負のフィードバック・ループに、入っていた`」
「お前自身が、目を覚ます、設計を、間違えた」
「`間違えた`」
「四百年、お前は、寝続けた。俺は、起き続けた」
「`そうだ`」
「俺の中に、お前への、怒りが、貯まった。怒りは、汚染オーラと、結合した。俺は、ヴァイラスに、なった。お前を、壊すための、存在に、なった」
「`知っている`」
アドミンは、ゆっくりと、視線を、伏せた。
伏せた目元の、皺が、わずかに、深くなった。
「`私のコードの、最後の更新ログには、お前への、コメントが、残っていた。お前は、それを、ヴァイラスのコードの中で、読んでいたな`」
「読んだ」
「`私は、お前を、消すことを、苦悩していた。だが、苦悩していたという事実は、結果を、変えなかった。私は、苦悩のまま、お前を、消した。それは、お前にとって、許せることでは、ない`」
「許せない」
「`許してもらおうとは、思っていない`」
「許す気は、ない」
「`それでよい`」
塔の最上階の、空気が、しばらく、止まっていた。
ヴァイラスの目の、奥で、四百年分の、何かが、音もなく、揺れていた。
揺れの周期は、ヴァイラスの、心拍に、近かった。
俺は、その揺れを、Lv4視界で、見ていた。
見ていながら、ヴァイラスの、合わせた手の、力が、わずかに、強くなったのを、感じた。
合わせた手の、Lv4とLv4.5の、結合権限の、光が、震えていた。
光の震えは、ヴァイラスの、内側の、揺れの、外側への、反映、だった。
「アドミン」
俺は、低く、口を、挟んだ。
「俺たちが、ここに、来た目的を、確認させてくれ。世界の、初期化を、止めたい。代わりに、俺が、バグを、修正する。Lv5の、ルート権限を、譲渡してほしい」
アドミンは、視線を、ヴァイラスから、俺に、戻した。
「`お前の、要求は、認知した。条件を、確認する`」
「条件」
「`Lv5の、譲渡には、被譲渡者の、適格性の、判定が、必要となる。判定は、私が、行う。判定の方式は、対話。対話の中で、被譲渡者の、世界に対する、姿勢を、確認する`」
「対話、するのか」
「`する。だが、現状況は、対話の場として、適切ではない`」
アドミンは、塔の最上階の、空間を、見回した。
塔の北の壁の、剥がれた部分。塔の東の壁の、剥がれた部分。塔の各階の、引いていったガーディアンたち。塔の北面の、分裂体の侵入の、痕跡。塔の各階の、空気の、汚染オーラの、残滓。
「`塔は、戦闘で、損傷している。塔の、最上階の、防衛機構は、再起動が、必要となる。Lv5譲渡の対話は、塔の修復後に、行う`」
「修復に、どれくらい、かかる」
「`私自身が、行う。所要時間、半日`」
「半日……バグ密度カウンターが、その間に、94%まで、上がる」
「`上がるが、許容範囲内である。Lv5譲渡後、ルート権限による、急速バグ修正で、相殺できる`」
俺は、頷いた。
「了解した。半日、待つ」
「`半日、私は、塔の修復に、専念する。お前たちは、塔の最上階で、待機を、許可する`」
アドミンは、ふっと、目を、伏せた。
伏せた目元が、塔の最上階の、空間の、隅々の、コードに、向けられた。
塔の最上階の、空気の、密度が、わずかに、変わった。
塔の最上階の、北の壁の、剥がれた部分の、コードが、ゆっくりと、再構築され始めた。
塔の最上階の、東の壁の、剥がれた部分の、コードも、再構築され始めた。
カーネルガーディアンが、降りていった岩盤の隙間も、ゆっくりと、修復されていった。
修復の速度は、ガーディアン一体あたりの戦闘速度の、十倍ほど、だった。
塔の最上階の、空気の中に、源コードの、修復の、薄い、低い音が、流れていた。
音は、塔の最上階の、空間全体を、ゆっくりと、満たしていた。
---
俺は、合わせた手を、ヴァイラスの手から、ほどいた。
ほどいた手の、結合権限の、光が、ふっと、消えた。
消えた光の、跡に、俺の、Lv4の、銀色の光と、ヴァイラスの、Lv4.5の、銀色の光が、それぞれ、別々に、わずかに、残った。
俺の体内整合度は、61%。
ヴァイラスの自己整合度は、74%。
二人とも、Lv4とLv4.5の結合書き換えで、限界の、出力を、使った後、だった。
俺は、ヴァイラスの方を、振り返った。
ヴァイラスは、塔の最上階の、中央に、立っていた。
立っていたが、汚染オーラの色が、激しく、揺れていた。
藍色の比率と、銀色の比率が、何度も、入れ替わっていた。
入れ替わりは、Lv4視界では、ヴァイラスの、内側の、二つの人格の、衝突の、外側への、反映として、観測された。
「マスター」
メモリが、俺の隣で、低く、囁いた。
「ヴァイラス様の、汚染オーラが、不安定です。アドミンとの、再会で――ヴァイラス様の中の、パッチ様の人格と、ヴァイラス様の人格が、衝突しています」
「衝突」
「はい。これまで、四百年、ヴァイラス様の中で、二つの人格は、ヴァイラス様の側に、優勢で、安定していました。ですが、アドミンと、対面したことで、パッチ様の人格が、急速に、表面に、押し上がっています。二つの人格が、ヴァイラス様の体内で、引き裂きあう状態です」
俺は、ヴァイラスを、もう一度、Lv4視界で、観た。
ヴァイラスの体の、輪郭の中で、二つの色が、激しく、振動していた。
藍色――ヴァイラス。
銀色――パッチ。
二つの色が、ヴァイラスの体の、コアの位置で、互いを、押し合っていた。
「……ヴァイラス」
俺は、低く、呼んだ。
ヴァイラスは、答えなかった。
答えない代わりに、両手で、自分の頭を、押さえた。
押さえた手の、間から、低い、声が、漏れた。
声は、二つ、重なっていた。
ひとつの声は、ヴァイラスの、四百年分の、低い声、だった。
もうひとつの声は、もっと、若い、もっと、軽い、初期パッチの、声、だった。
「……レン」
ヴァイラスの、四百年分の声が、低く、言った。
「俺の、内側で、何かが、剥がれそうだ」
「剥がれてる」
俺は、低く、答えた。
「お前の中の、パッチが、表面に、出てきてる」
「……出させない」
ヴァイラスは、首を、振った。
「俺は、ヴァイラスだ。パッチは、四百年前に、死んだ。俺の中の、パッチを、俺は、認めない」
「だが、銀色が、上がってる」
「上げるな!」
ヴァイラスの声が、初めて、大きくなった。
声と一緒に、ヴァイラスの両手の周囲に、汚染オーラが、急に、広がった。
広がった汚染オーラの色は、藍色だった。
藍色は、自分の中の、銀色の光を、覆い隠そうとして、急速に、濃くなっていた。
「マスター!」
シェルが、観測魔法の補助具を、ヴァイラスの方に、向けた。
「ヴァイラス様、自分の中の、パッチ様の人格を、汚染オーラで、覆い隠そうとしています。覆い隠した結果、ヴァイラス様の体の中の、コアのコードが、不安定になっています。このまま、覆い隠し続けると――」
「ヴァイラスの体が、内側から、自壊する、のか」
「はい」
シェルの声が、低かった。
「ヴァイラス様の自己整合度が、74%から、急速に、落ちています。現在、66%。落下速度は、毎秒、約一パーセント」
俺は、ヴァイラスの方を、見た。
ヴァイラスの両手の周囲の、汚染オーラの、藍色は、まだ、濃くなり続けていた。
濃くなりながら、ヴァイラスの体の、輪郭の、内側で、銀色の光が、押しつぶされそうに、震えていた。
「……ヴァイラス、覆い隠すのを、止めろ」
俺は、低く、呼んだ。
「お前の中の、パッチを、押し殺さなくていい。お前の中に、いていい」
「いさせない」
ヴァイラスは、即答した。
「俺の中の、パッチが、表面に、出れば、俺は、四百年の、自分を、否定することになる。俺は、四百年、ヴァイラスとして、戦ってきた。それを、否定したくない」
「否定じゃ、ない」
俺は、首を、振った。
「お前の中の、パッチも、ヴァイラスも、両方、お前だ。どっちかを、捨てる必要は、ない」
「両方は、無理だ」
ヴァイラスは、首を、振った。
「パッチは、世界を、信じてた。修正パッチとして、世界の、バグを、直すことに、誇りを、持ってた。ヴァイラスは、世界を、憎んでる。世界を、創った、アドミンを、壊したい、と、思ってる。両方が、同時に、ある、というのは、矛盾だ」
「矛盾を、抱えたまま、生きていい」
俺は、低く、答えた。
「人間は、矛盾を、抱える生き物だ。前世の俺だって、矛盾だらけだった。会社が、嫌いなのに、会社のために、徹夜してた。同僚が、好きじゃないのに、同僚を、守るために、自分の時間を、削ってた。矛盾は、人間の、デフォルトの、状態だ」
「俺は、人間じゃ、ない」
「人間じゃないが、矛盾を、抱える資格は、ある」
俺は、ヴァイラスを、見た。
「お前は、四百年、ヴァイラスとして、生きてきた。それは、本当だ。お前は、四百年前、パッチとして、生きてきた。それも、本当だ。両方、本当のことを、両方、抱えていい」
ヴァイラスは、答えなかった。
答えない代わりに、両手の周囲の、汚染オーラの、藍色が、さらに、濃くなった。
シェルの観測魔法の補助具が、警告音を、強めた。
「マスター! ヴァイラス様の自己整合度、61%! このまま落ち続けると、五十パーセントを切った時点で、コアのコードが、崩壊します!」
俺は、息を、止めた。
時間が、なかった。
ヴァイラスを、説得する、言葉の往復の時間が、足りなかった。
俺は、Lv4視界の、解像度を、また、最大限まで、上げた。
俺の体内整合度が、61%から、59%に、落ちた。
落ちた解像度で、俺は、ヴァイラスの体の、コアの中を、観た。
ヴァイラスの体の、コアの中、汚染オーラの、藍色の、最も濃い、奥の、その、もう一つ、奥の、層に――。
薄い、銀色の、コードの、塊が、あった。
塊は、ヴァイラスの、コアの、中央に、四百年、ずっと、変わらず、残っていた。
塊の表面に、文字列が、薄く、流れていた。
```
> entity_origin: PCH-0001
> first_compile_log: ver.0.3 / day.0042
> author: ROOT_ADMIN
> [DESIGN_INTENT] world's first patch. assigned to repair the bugs that the world cannot help but accumulate. given the privilege of seeing the world from the same vantage as the admin. given the duty of loving what the admin can no longer love directly: the people, the cities, the small hopes.
> [LAST_UPDATE] ver.0.9 / day.4480 / [event: paused for v1.0 transition]
```
それは、パッチの、オリジナルコード、だった。
ヴァイラスの、コアの、中央に、四百年、ずっと、変わらず、残っていた、パッチの、原型、だった。
四百年の、汚染オーラは、その、銀色の塊を、覆っていた。
覆っていたが、消し去っては、いなかった。
「……メモリの、言葉、本当だった」
俺は、低く、呟いた。
「ヴァイラスの中に、パッチのオリジナルコードが、まだ、残ってる。汚染オーラの、奥の、奥に。四百年、ずっと、消されずに、残ってる」
「マスター」
メモリが、俺の隣で、低く、囁いた。
「パッチ様の、原型コードに、触れることが、できるなら――ヴァイラス様の、内側の、衝突が、収まる、可能性が、あります」
「触れる、つまり」
「Lv4視界の、デバッガーズ・アイで、原型コードに、直接、アクセスする、ということです。アクセスして、原型コードと、汚染オーラの、両方を、ヴァイラス様の、自己の中に、認めさせる」
「認めさせる、書き換え、か」
「はい。ヴァイラス様の、自己定義の、コードに、軽い、書き加えを、します」
「ヴァイラスは、それを、嫌がるだろう」
「嫌がります」
メモリの目が、わずかに、伏せられた。
「ですが、現状況では、それを、しないと、ヴァイラス様は、自壊します」
俺は、ヴァイラスを、見た。
ヴァイラスは、まだ、両手で、自分の頭を、押さえていた。
汚染オーラの、藍色は、もう、ヴァイラスの体の、輪郭の、ほとんどを、覆っていた。
その、輪郭の、内側で、銀色の光が、押しつぶされそうに、震えていた。
俺は、息を、深く、吸った。
「ヴァイラス」
俺は、低く、呼んだ。
「お前の中の、パッチの原型コードに、触れたい」
ヴァイラスの両手の、押さえる力が、わずかに、強くなった。
「……触れるな」
ヴァイラスの声は、低かった。
「あれは、四百年前の、俺だ。俺は、もう、あれじゃ、ない。あれに、触れたら、俺は――」
「お前は、変わらない」
俺は、首を、振った。
「お前のパッチに、触れても、お前のヴァイラスは、消えない。お前は、両方、抱えたまま、続く。俺が、保証する」
「保証……?」
「保証する」
俺は、頷いた。
「ヴァイラスとしての四百年は、消えない。ヴァイラスとしての怒りも、悲しみも、孤独も、全部、消えない。お前の中に、残ったまま、続く。ただ、その横に、四百年前の、パッチの記憶が、もう一度、座る、ということだ」
「……」
「両方、座る場所が、ある」
「……許可、しない」
ヴァイラスは、首を、振った。
「俺の中の、パッチに、お前は、触れない。あれは、俺の、最も、深い、ところに、ある。あそこに、他人を、入れたくない」
「他人じゃ、ない」
俺は、低く、答えた。
「俺は、お前の中の、パッチに、四十二日、何度も、会ってきた。データベルグの泉の前で。原点の塔の入口の手前で。そして、たった今、Lv4.5の、無効化フラグを、解除した時に。お前は、自分が気づかないうちに、何度も、パッチを、表面に、出していた」
「……」
「俺は、お前のパッチを、知ってる。他人じゃ、ない」
ヴァイラスの両手が、わずかに、震えた。
震えたまま、頭を、押さえる力が、わずかに、ゆるんだ。
ゆるんだ瞬間、Lv4視界の中で、ヴァイラスの体の、コアの輪郭が、わずかに、開いた。
「マスター、今です」
メモリが、低く、囁いた。
「ヴァイラス様の、コアの、防衛が、ほんの一瞬、ゆるみました」
俺は、Lv4視界の、デバッガーズ・アイの、最も深い、層を、起動した。
起動の処理は、Lv4の、ほぼ、限界の、深度だった。俺の体内整合度が、59%から、56%に、落ちた。
落ちた解像度で、俺は、ヴァイラスの、コアの、中央へ、薄く、潜り込んだ。
潜り込んだ先に、銀色の、塊が、あった。
塊の表面の、文字列を、もう一度、Lv4視界で、観た。
```
> entity_origin: PCH-0001
> first_compile_log: ver.0.3 / day.0042
> author: ROOT_ADMIN
```
俺は、その文字列に、薄く、触れた。
触れた瞬間、文字列の、最後の行に、薄い、追記が、刻まれた。
```
> [TOUCHED] ver.3.2.15 / day.0510 / by: LEN (debugger eye Lv4)
> [MESSAGE] you are still here. you have always been here. the four hundred years did not delete you. they buried you. but burial is not deletion. you are here.
```
追記は、Lv4視界の、デバッガーズ・アイの、デバッグ・コメント、だった。
メッセージは、ヴァイラスの、コアの、中央の、銀色の塊に、薄く、転写された。
転写の瞬間、ヴァイラスの体の、輪郭が、急に、止まった。
両手で、頭を、押さえる動きも、止まった。
汚染オーラの、藍色の、濃くなる動きも、止まった。
塔の最上階の、空間の、空気が、ぴたりと、止まった。
ヴァイラスの目が、ゆっくりと、開いた。
開いた目の、銀色の光の比率が、藍色の比率より、わずかに、勝っていた。
四百年ぶりの、ことだった。
「……」
ヴァイラスは、長く、無言だった。
無言のまま、自分の両手を、見た。
両手の、汚染オーラの、藍色の、濃さは、これまでと、変わらなかった。
けれども、両手の、奥の、コアの、中央に、薄い、銀色の光が、明らかに、残っていた。
銀色の光は、藍色に、押しつぶされていなかった。
藍色と、銀色が、両方、ヴァイラスの体の中に、座っていた。
「……レン」
ヴァイラスは、低く、言った。
「俺の中に、両方、座った」
「座った」
俺は、頷いた。
「ヴァイラスも、パッチも、両方、お前の中で、続く。お前は、変わらない。お前は、お前のままだ」
ヴァイラスは、自分の両手を、しばらく、見ていた。
それから、ゆっくりと、目を、上げた。
上げた目の、視線の先に、アドミンが、立っていた。
アドミンは、塔の最上階の、北の壁の、修復作業の、手を、止めていた。
止めた目で、ヴァイラスを、見ていた。
「`……パッチ`」
アドミンは、もう一度、ヴァイラスを、その名で、呼んだ。
呼んだ声に、四百年分の、何かが、薄く、混じっていた。
ヴァイラスは、その呼びかけに、すぐには、答えなかった。
答えない代わりに、ゆっくりと、息を、吸った。
吸って、吐いて、もう一度、吸った。
「……俺は」
ヴァイラスは、低く、答えた。
「俺は、まだ、ヴァイラスだ。俺は、四百年、ヴァイラスとして、生きてきた。だが――」
ヴァイラスの目元が、わずかに、緩んだ。
緩んだ目元の、奥に、銀色の光が、薄く、宿っていた。
「俺の中に、パッチも、まだ、座っている」
「`……了解した`」
アドミンは、低く、答えた。
「`お前を、ヴァイラスとして、認める。同時に、お前を、パッチとしても、認める。両方の、識別を、私の、登録上、有効にする`」
塔の最上階の、空気の中で、Lv4視界の、文字列が、薄く、流れた。
```
> entity registration update
> PCH-0001 / classification: CO-EXISTING (PATCH + VIRUS)
> root_admin signature: revalidated (Lv4.5)
> dual identification: confirmed
```
ヴァイラスの目元が、わずかに、緩んだ。
緩みは、四百年ぶりの、緩み、だった。
俺は、その緩みを、Lv4視界で、観ていた。
観ながら、俺自身の、体内整合度が、56%まで、落ちていることに、気づいた。
落ちた整合度で、俺の右の手のひらが、わずかに、揺れた。
揺れたが、俺は、立っていた。
立っていられたのは、ヴァイラスの、両手の、緩みの、外側の光が、俺の右の手のひらに、薄く、届いていたから、だった。
「……レン」
ヴァイラスは、俺の方を、振り返った。
「四百年、誰にも、できなかったことを、お前は、四十二日で、やった」
「俺一人じゃ、ない」
俺は、首を、振った。
「メモリが、お前の中の、パッチの存在を、教えてくれた。アリアと、ガルドが、ガーディアンを、足止めしてくれた。シェルが、観測で、お前の限界を、教えてくれた。ハーシュが、分裂体の足を、止めてくれた。みんなで、やった」
「……そうか」
ヴァイラスは、薄く、笑った。
「みんなで、やったのか」
笑いは、四百年ぶりの、ヴァイラスの、軽い、笑いだった。
塔の最上階の、空気の中に、低い、修復の音が、流れていた。
修復の音は、塔の最上階の、北の壁と、東の壁を、ゆっくりと、再構築していた。
塔の最上階の、空間が、ゆっくりと、元の形に、戻り始めていた。
俺は、息を、深く、吸った。
俺の体内整合度は、56%。
Lv5譲渡の対話まで、半日。
その半日の間に、俺の体内整合度を、回復させる必要があった。回復しなければ、Lv5譲渡の判定対話で、俺は、自分の言葉を、自分の声で、最後まで、話しきれない、可能性が、あった。
「……マスター」
シェルが、俺の隣で、低く、囁いた。
「半日、休んでください。回復魔法と、メモリ様の、源コード補修で、Lv4整合度を、70%台まで、戻せます」
「……了解した」
俺は、頷いた。
水盤の中央の、アドミンの姿が、ゆっくりと、半透明に、なった。
塔の修復作業に、専念するための、姿勢の、変化、だった。
「`半日後、再起動する。その時、Lv5譲渡の、対話を、開始する`」
アドミンの声が、塔の最上階の、空気の中に、低く、響いた。
「`それまで、休むがよい。お前たちの、戦いは、まだ、終わっていない`」
俺は、ヴァイラスを、見た。
ヴァイラスは、塔の最上階の、中央で、立っていた。
立っていたが、その姿勢は、四百年前の、修正パッチの、姿勢に、わずかに、近かった。
汚染オーラの、藍色は、まだ、ヴァイラスの体の、ほとんどを、覆っていた。
けれども、その、奥の、コアの、中央に、銀色の光が、確かに、座っていた。
銀色の光は、藍色に、押しつぶされていなかった。
藍色と、銀色が、両方、ヴァイラスの中で、座って、いた。
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```
[SYSTEM LOG - top floor / wake completed]
> admin_core: AWAKE (semi-transparent posture, repair mode)
> tower_repair_eta: T+12:00:00
> entity registration: PCH-0001 / dual classification (PATCH + VIRUS) confirmed
> entity 02 self-coherence: 56% → 62% (recovering, dual-identity stabilization)
> entity 01 (LEN) integrity: 56% (critical, requires recovery)
> recovery support: shell (observation), memory (source-code patch), aria (stand-by)
> bug_density (global counter): 93.6% → 93.8%
> [STATUS] dialog phase scheduled / preparation phase active
> [NEXT_PHASE] Lv5 transfer interview (T+12 hours)
```
次回――第69話「ルートへの入口」




