第66話 アドミン・ウェイクアップ
```
[SYSTEM LOG - origin tower / top floor / dialog phase]
> timestamp: 3.2.15_build.0830
> debugger_eye: Lv4 [stable]
> self_integrity: 75% → 73% (kernel-space exposure)
> bug_density (global counter): 92% → 93%
> ALL_KEYS: 5/5 confirmed
> CHALLENGE_ROUNDS: passed (5/5)
> [TARGET] admin core interface (5m circular console)
> [STATUS] interface ready / admin core: standby (auto-response only)
> VIRUS: at top floor, no aggression detected (yet)
> [WARNING] external pressure on tower wall: rising
```
---
塔の最上階の中央にあった、銀色の、卓のような端末は、近づくと、卓ではなかった。
直径五メートルほどの、円形の、薄い水盤のような形をしていた。水盤の表面には、水ではなく、淡い、藍がかった光が、薄く張られていた。光の表面に、源コードの文字列が、ゆっくりと、流れていた。文字列は、円の外周から、中心に向かって、螺旋を描きながら、収束していた。
俺は、水盤の手前で、立ち止まった。
水盤の周囲、五つの方向に、低い段差が、あった。段差の上に、それぞれ、五大王国の認証キーの形に対応した、小さな台座が、用意されていた。アリアが、論理の宝珠を、ロジカ国の側の台座に置いた。シェルが、原色の冠を、ビジュアル帝国の側の台座に置いた。メモリが、千頁の書を、データベルグの側の台座に置いた。ハーシュが、始まりの鍵を、セキュリアの側の台座に置いた。俺が、九本の糸を、ネットワーク連合の側の台座に置いた。
五つの台座が、それぞれの色で、薄く、光った。
その光が、五つの方向から、水盤の中央へ、収束した。
水盤の中央の螺旋が、わずかに、密度を、増した。
「……認証、完了」
メモリが、低く、囁いた。
「マスター、端末が、コアプログラムの呼び出しを、待機しています」
俺は、頷いた。
水盤に、右の手のひらを、近づけた。
手のひらが、水盤の表面に、触れた瞬間――Lv4視界が、爆発的に、広がった。
---
視界の中の、世界の像が、ぐにゃりと、歪んだ。
塔の中の景色が、消えた。代わりに、目の前に、暗い、無限に広がる、コードの空間が、現れた。空間の中央に、ひとつの、大きな構造体があった。構造体は、立方体でも、球でもなく、無数の関数呼び出しが、互いに参照しあって、再帰的に絡まり合った、巨大な「依存グラフ」だった。グラフのノードの一つひとつが、世界の何かの法則だった。グラフ全体の中央に、最も深い、最も密な、ひとつの、核があった。
その核が、アドミンのコアプログラムの、本体だった。
ただし、核は、薄い、半透明の、被膜のようなもので、覆われていた。
被膜の表面に、文字列が、流れていた。
```
> admin_core: STANDBY
> wake_authority: root_admin / pending external invocation
> auto_response_module: ACTIVE (limited handshake)
> last_full_boot: ver.1.0 / day.0 / [event: world initialization]
```
「……アドミンは、寝てる」
俺は、低く、呟いた。
「完全に起動してない。今、応答してるのは、自動応答プログラムだ。受付の電話交換、みたいなものだ」
水盤の中央から、薄い、機械的な声が、響いた。男でも、女でもない、年齢の感じられない、平たい声だった。
「`応答プロトコル開始。識別情報を、提示してください`」
俺は、息を、整えた。
「識別。レン。ロジカ王国転入者。デバッガーズ・アイ Lv4 保有」
「`照合中`」
水盤の表面の螺旋が、わずかに、加速した。
「`照合完了。転入者レン。記録上、Lv4管理者権限を保持する第三世代の管理者として、認証しました`」
「……第三世代?」
「`はい。第一世代はパッチ。バージョン0.x期に管理者権限を授与された個体。第二世代は記録上、五名。バージョン1.0からバージョン1.5期にかけて、Lv4まで到達した個体。第三世代は、レン、あなた一名のみです`」
「俺の前に、五人」
「`五名は、いずれも、Lv4到達後、五十日以内に、自身の体の劣化により、機能停止しました。記録上、Lv4管理者権限の物理的な耐用期間は、五十日です`」
俺は、息を、止めた。
Lv4到達は、ヴァリドの王都防衛戦の直後だった。あれから、何日経った? 数えて、四十二日。
俺の手のひらの下の、水盤の表面が、わずかに、温かかった。
水盤は、俺の体内整合度が、73%まで、落ちていることを、たぶん、内部で、観測していた。観測した上で、淡々と、五十日の数字を、提示してきた。アドミンの自動応答プログラムは、感情を、持たない。事実を、提示するだけだった。
「……了解した」
俺は、低く、答えた。
「俺の耐用期間は、把握した。本題に入る」
「`どうぞ`」
「世界の現状を、確認したい。バグ密度、全体カウンター、初期化プロトコルの状態」
水盤の中央の螺旋が、再び、加速した。
水盤の表面に、世界全体の状態が、薄い円グラフと、棒グラフの形で、表示された。
```
> bug_density (current): 93%
> initialization_threshold: 100%
> projected_overflow: ver.3.2.18 / day.0530 (+ 4 days, 0 hours)
> initialization_protocol: ARMED (auto-trigger pending threshold)
> manual_override_required: ROOT_ADMIN authorization
```
「……四日」
俺の声が、低く、震えた。
「あと、四日で、世界が、初期化される」
「`はい。現在のバグ蓄積速度を、線形補正した推計値です。実際は、ヴァイラスの活動状況によって、加速する可能性があります`」
四日。
俺は、その数字を、噛みしめた。
Lv4の体内整合度が、五十日で限界、という耐用期間の計算と、四日後の世界初期化の、二つの数字が、俺の中で、交差した。順番からすると、世界の方が、先に、終わる。俺の体は、世界が、先に、消えてくれることで、五十日まで、生きずに、済む計算だった。
笑える話じゃ、なかった。
笑える話じゃないのに、俺の口元が、わずかに、歪んだ。
たぶん、俺の中の、前世の三十六歳の俺が、まだ、苦笑する癖を、残していた。
「……アドミンに、直接、問いたい」
俺は、水盤に、低く、言った。
「自動応答じゃない。アドミン本体に、問いたい。初期化を、止める方法を」
「`要件を、解析します`」
水盤の螺旋が、また、密度を、変えた。
「`要件:管理者本体との対話。実現条件:管理者本体の完全覚醒。覚醒条件:管理者権限を保有する個体からの、明示的な覚醒要請。要請者の権限レベル:Lv5以上、または、Lv4 + 既覚醒管理者の補助`」
「Lv5」
「`はい。Lv5――ルート権限。Lv4の上位段階`」
「Lv5は、Lv4から、どうやって、上がる」
「`Lv5への昇格条件は、現行の管理者本体からの、明示的な権限委譲のみです。レンの現在の状態(Lv4)では、Lv5には、自力では、上がれません`」
「……つまり、アドミンが、目を覚まして、俺にLv5を、渡してくれない限り、俺は、上がれない」
「`はい`」
「アドミンを、目覚めさせるには、Lv5の権限が必要」
「`はい`」
「俺がLv5を持つには、アドミンが目覚めて、渡してくれる必要がある」
「`はい`」
「……鶏と卵」
俺は、低く、呟いた。
「典型的な、循環依存だ」
水盤の表面の文字列が、わずかに、揺れた。
「`循環依存ではありません。例外条件があります`」
「例外」
「`Lv4 + 既覚醒管理者の補助。レンが現Lv4の状態のまま、別の覚醒済み管理者の補助を受ければ、アドミン本体の覚醒要請は、可能です`」
「覚醒済みの管理者」
「`はい`」
「アドミンが寝てるのに、覚醒済みの管理者なんて、どこに……」
俺は、そこまで言って、口を、止めた。
俺の隣で、メモリの、白い髪が、わずかに、揺れた。
「……マスター」
メモリの声は、低かった。
「ひとつ、心当たりがあります」
「メモリ」
「パッチ様――現在のヴァイラス――は、バージョン0.xの時代、アドミンから、管理者権限を、一時的に授与されていました。形式上は、Lv5のひとつ下――Lv4.5、と内部では呼ばれていた、暫定的な階層でした。授与は、一時的で、パッチ様の任務終了とともに、剥奪される予定でした」
「……剥奪、されたのか」
「公式には、剥奪されました。ですが、剥奪は、コードの上書きで行われたわけではなく、『無効化フラグ』の付与で、実施されました。ヴァイラス様の汚染オーラの底に、無効化されたままの、Lv4.5権限の、痕跡が、残っている可能性があります」
「……つまり」
「ヴァイラス様の中に、残っている、無効化された管理者権限を、もう一度、有効化できれば。マスターと、ヴァイラス様の二人で、覚醒要請を、出せるかもしれません」
メモリは、そこで、目を、伏せた。
「ですが、ヴァイラス様が、それに、協力してくれるかは、別の問題です」
俺は、メモリの言葉を、頭の中で、整理した。
整理しながら、塔の最上階の入口の方を、振り返った。
入口の手前で、ヴァイラスは、俺たちの会話を、黙って、聞いていた。
汚染オーラの中の、藍と銀の比率が、わずかに、揺れていた。
ヴァイラスは、俺と、目を、合わせなかった。
---
塔の壁の方角から、低い、振動が、伝わった。
最初は、空調の振動か、と俺は、思った。
二度目の振動は、空調の振動ではなかった。
塔の外壁が、外側から、何かに、叩かれている振動だった。
「……マスター」
シェルの浮遊端末が、薄い警告音を、鳴らした。
「塔の外壁、北面。物理的な打撃ではありません。源コードの汚染が、外壁のコードに、注ぎ込まれています」
「外壁の汚染抵抗値、どれくらい持つ」
「現在の流入速度では、二十分以内に、外壁の防衛コードが、剥がれます」
俺は、ヴァイラスを、振り返った。
ヴァイラスは、入口の手前で、立っていた。
立っていたが、その目は、塔の外壁の方角を、見ていた。
「……ヴァイラス、お前、これは」
「俺じゃ、ない」
ヴァイラスは、即答した。
「俺は、塔の中に、いる。外から塔を叩いてるのは、俺じゃない」
俺は、Lv4視界で、外壁の汚染の流入元を、辿った。
流入元は、塔の北、約三キロの距離にある、岩盤の中の、一点だった。一点の中に、藍色の、汚染の塊が、わずかに、揺れていた。汚染の塊は、ヴァイラスの汚染オーラの色と、近い、けれども、わずかに、輪郭が、違っていた。
「……ヴァイラスじゃ、ない」
俺は、低く、呟いた。
「だが、ヴァイラスの汚染と、近い、別の、汚染の塊だ。ヴァイラスの……」
「俺の、残留オーラだ」
ヴァイラスが、俺の言葉を、引き取った。
「俺が、これまで、各地で活動した時、消化しきれずに、空間に残してきた、汚染の残滓。それが、何百個、岩盤の周辺に、漂ってる。俺と直接、繋がってはいないが、俺の汚染の『匂い』を、覚えてる、独立して動く残滓だ」
「お前の意志で、動いてるのか」
「いや」
ヴァイラスは、首を、振った。
「俺の意志は、入ってない。だが、残滓は、俺が長く抱えてきた『欲求』の、断片を、引き継いでいる。アドミンを、壊したい、という欲求の、断片を」
「……」
「俺の本体が、塔の中で、お前らと話してるあいだ、残滓たちが、勝手に、塔の外壁を、攻撃し始めた、ということだ。俺の制御は、効かない。残滓は、独立してる」
ヴァイラスの汚染オーラの中の、銀の色が、わずかに、波打った。
その波は、ヴァイラスの、内側の動揺を、Lv4視界が、拾ったものだった。
俺は、ヴァイラスを、しばらく、見ていた。
ヴァイラスは、俺と、目を、合わせなかった。合わせない代わりに、塔の北面の、外壁を、見ていた。視線の中に、わずかに、苦さが、浮かんでいた。自分の残滓が、自分の制御の外で、塔を、攻撃している。それを、ヴァイラス本人は、止められない。その事実が、ヴァイラスの内側で、波打っていた。
---
水盤の中央から、また、機械的な声が、響いた。
「`外部からの汚染流入を、検知。塔の防衛機構を、起動します`」
水盤の表面の文字列が、急速に、書き換わった。
```
> tower_defense: ACTIVATING
> guardian_units: 7 (ancient class, root-admin signature)
> deployment_zone: tower interior, all floors
> [WARNING] guardians do not distinguish between intruders. all non-admin entities will be classified as targets.
```
「……七体」
俺は、Lv4視界で、塔の各階の床に、薄く現れ始めた、銀色の輪郭を、観た。
塔の最上階の入口の手前にも、ひとつ、輪郭が、浮かび上がっていた。
輪郭は、徐々に、立体感を、持ち始めた。
人型に、近かった。けれども、人型ではなかった。人型のシルエットの中に、無数の、コードの刃が、立体的に絡まり合って、輪郭を、形成していた。背丈は、二メートル半。腕にあたる位置に、長い、刃が、伸びていた。刃の表面に、源コードの文字列が、流れていた。文字列のひとつひとつが、`root_admin signature: confirmed`という識別情報を、含んでいた。
ガーディアンだった。
アドミンが、世界初期化期に作った、自動防衛プログラム。
「……七体、塔のあちこちに、配備された」
俺は、低く、呟いた。
「最上階に、一体。下の階に、六体」
「マスター」
アリアが、俺の隣で、剣を、抜いた。
「私たちが、ガーディアンを、引き受けます」
「待て、アリア」
俺は、首を、振った。
「ガーディアンは、アドミンの自動防衛プログラムだ。アドミンを目覚めさせれば、止められる可能性がある。先に、ヴァイラスとの話を、進めたい」
俺は、水盤を、振り返った。
「自動応答プログラムに、聞きたい。ガーディアンの、停止条件は」
「`管理者本体の覚醒、または、ルート権限保有者からの停止命令`」
「……鶏と卵、また、ここに、戻ってくる」
俺は、息を、深く、吸った。
「ヴァイラス」
俺は、ヴァイラスを、見た。
ヴァイラスは、目を、伏せていた。
「お前の中に、Lv4.5の、無効化された権限が、残ってる。それを、もう一度、有効化したい」
「……」
「お前と、俺の二人で、アドミンを、起こす。俺一人じゃ、起こせない。お前の中の、無効化された管理者権限が、必要なんだ」
ヴァイラスは、答えなかった。
答えない代わりに、ゆっくりと、目を、上げた。
ヴァイラスの目は、汚染で、藍色に、染まっていた。藍色の中に、わずかに、銀色が、揺れていた。揺れの周期は、心拍に、近かった。
「……レン」
ヴァイラスの声は、低かった。
「お前は、俺に、無効化された権限を、有効化させて、アドミンを、目覚めさせる、と言った」
「言った」
「目覚めさせて、どうする」
「対話する。初期化を、止めるよう、頼む。Lv5を、譲渡してもらう」
「俺の目的は、それじゃ、ない」
ヴァイラスは、首を、振った。
「俺は、アドミンを、壊しに来た」
「知ってる」
「壊しに来た俺が、アドミンを、目覚めさせる、というのは、俺の四百年の目的の、自己矛盾になる」
「分かってる」
「分かっていて、頼んでるのか」
「頼んでる」
俺は、頷いた。
「お前が、最初から一人で、アドミンを壊しに来たことは、Lv4視界で、もう、読んだ。お前の計画コードの中に、`solo_operation`の文字列が、残ってる。塔の入口の手前で、五メートルの距離に、立ってた時に、俺は、それを、読んだ」
ヴァイラスの目が、わずかに、動いた。
「……読んでた、のか」
「読んだ。お前は、共闘を、装ってたんじゃ、ない。俺たちを、危険な場所に、近づかせないために、共闘を、装ってた。お前は、最初から、自分一人で、アドミンの前まで、辿り着いて、自分一人で、アドミンを、壊して、自分一人で、消える計画だった」
「……」
「だが、その計画は、俺の前に、もう、通用しない」
俺は、ヴァイラスの目を、まっすぐ、見た。
「俺は、お前を、一人で、消えさせない。お前が、四百年、抱えてきた怒りは、俺一人じゃ、引き受けきれない。だが、引き受ける」
「……」
「アドミンを、壊すなら、俺が、お前と、一緒に、壊す。話し合うなら、俺が、お前と、一緒に、話し合う。どっちの結末になっても、お前を、一人にしない」
ヴァイラスは、長く、無言だった。
無言のまま、汚染オーラの中の、銀の比率が、わずかに、上がった。
塔の外壁の方角から、また、振動が、伝わった。今度の振動は、最初よりも、強かった。シェルの浮遊端末の警告音が、わずかに、間隔を、短くした。
「……レン」
ヴァイラスは、目を、伏せた。
「俺の中に、無効化された権限が、残ってる、という話、本当か」
「メモリが、そう、言ってる」
「メモリの言葉を、お前は、信じるか」
「信じる」
「俺が、その権限を、有効化することに、同意したら――」
ヴァイラスの声が、わずかに、震えた。
「アドミンが、目を、覚ます。俺の四百年の、目的が、ひとつ、達成される。俺の中の、もう一つの目的――壊す、という目的は、達成されない、可能性がある」
「達成されないかも、しれない」
俺は、頷いた。
「でも、お前の中の、もう一つの欲求――話したい、という欲求は、たぶん、達成される」
「俺の中に、そんな欲求が、あると、お前は、思うのか」
「思う」
俺は、答えた。
「五十六話で、お前は、メモリの言葉に、一瞬、動きを、止めた。六十一話で、お前は、データベルグの泉の前で、俺の言葉を、聞いていた。あの時、お前の汚染オーラの銀色が、わずかに、揺れた」
「……」
「お前は、四百年、誰にも、自分のことを、話してこなかった。話す相手が、いなかった。アドミンに、聞きたいことが、たくさん、あるのに、聞けないまま、四百年、削除と修正の判断で、迷ってきた。お前の中の、奥のところで、お前は、アドミンと、話したかったはずだ」
ヴァイラスは、答えなかった。
答えない代わりに、ゆっくりと、汚染オーラの色を、変えた。
藍色が、わずかに、薄くなった。
銀色の比率が、わずかに、上がった。
入れ替わりは、ほんの数パーセントの幅だったが、Lv4視界では、はっきりと、見えた。
「……レン」
ヴァイラスは、低く、言った。
「俺は、お前と、一緒に、アドミンを、起こす」
「了解した」
「ただし」
ヴァイラスは、目を、上げた。
「アドミンが、目を覚ましても、俺の選択は、変わらない可能性がある。話し合いの結果が、俺にとって、納得のいかないものなら、俺は、その場で、アドミンを、壊す。お前は、それを、止めない」
「止めない、とは、約束しない」
俺は、首を、振った。
「お前が、壊そうとしたら、俺は、止める。だが、俺はお前を、削除しない。お前を、修正する」
「修正、するのか」
「修正する」
「四百年の汚染を、お前に、修正できると、思うのか」
「思う」
「……根拠は」
「お前の中に、まだ、パッチが、残ってるからだ」
俺は、ヴァイラスの汚染オーラの、銀色の比率を、Lv4視界で、はっきりと、観測した。
「銀色の比率が、上がった。お前の体の中の、パッチが、まだ、生きてる、という証拠だ」
ヴァイラスは、長く、目を、伏せた。
伏せた目元の、皺が、少し、深くなった。
四百年分の、何かが、その皺の中に、薄く、貯まっていた。
「……了解した」
ヴァイラスは、低く、答えた。
「行こう」
---
俺は、水盤に、向き直った。
「自動応答プログラムに、要請する。アドミン本体の、覚醒コール。要請者は、レン――Lv4と、ヴァイラス――Lv4.5(無効化中)の連名。Lv4.5の有効化処理を、含む」
「`照合中`」
水盤の中央の螺旋が、急速に、加速した。
「`Lv4.5権限の無効化フラグを、検出。検出元:エンティティ識別ID `PCH-0001` (現コードネーム:VIRUS)`」
「フラグの解除に必要な、手続きは」
「`手続き:無効化フラグを刻んだ管理者(アドミン本体)の、再承認。または、フラグ被付与者本人の、自己解除コマンド。後者は、フラグ被付与者の意志による解除。`」
「自己解除、できるのか」
「`はい。ただし、フラグ被付与者は、四百年の汚染状態にあります。汚染状態の個体が、自己解除コマンドを実行する場合、解除と同時に、汚染オーラの一部が剥がれます。剥がれの程度は、汚染の深さによります`」
「ヴァイラスの汚染オーラが、剥がれる」
「`はい。汚染オーラの底に、長く埋もれていた、Lv4.5権限が、表面に出てくるためです。汚染オーラのうち、権限と直接接触している部分が、剥がれます`」
「剥がれは、ヴァイラスに、ダメージを、与えるか」
「`ダメージは、相対的です。長期汚染状態にある個体にとって、汚染オーラは、自身の存在の一部です。汚染オーラの剥がれは、自分自身の一部を失う感覚を、伴います。物理的なダメージはありませんが、精神的な負荷は、想定されます`」
俺は、ヴァイラスを、振り返った。
ヴァイラスは、静かに、頷いた。
「……知ってた」
ヴァイラスは、低く、言った。
「四百年、何度も、考えた。無効化フラグを、自己解除する選択肢が、自分の中に、ある、ということは、ずっと前から、知ってた。ただ、解除する理由が、なかった」
「……」
「今、解除する理由が、できた」
ヴァイラスは、ゆっくりと、目を、閉じた。
「`自己解除コマンドの、実行を、確認します。被付与者の、明示的な発話を、お願いします`」
水盤の機械的な声が、淡々と、告げた。
ヴァイラスは、目を、閉じたまま、息を、深く、吸った。
吸って、吐いて、もう一度、吸った。
そして、低く、言った。
「`override_admin_flag: PCH-0001 / self-unlock`」
水盤の中央が、激しく、光った。
ヴァイラスの体の輪郭から、藍色の汚染オーラの、外側の層が、ゆっくりと、剥がれた。
剥がれた藍色は、塔の中の空気に、薄く、溶けた。
汚染オーラの剥がれた跡から、わずかに、銀色の光が、漏れた。
銀色の光は、ヴァイラスの胸のあたりに、薄く、集まった。集まった光が、徐々に、形を、整えた。形は、小さな、星のような、印章だった。バージョン0.x期に、パッチに授与された、Lv4.5の管理者権限の、原型印章だった。
ヴァイラスの体の輪郭が、ゆっくりと、変わった。
藍色の比率が、約二割、減った。
銀色の比率が、約二割、増えた。
それでも、汚染オーラの大部分は、まだ、藍色だった。汚染が、四百年で、どれほど深く、ヴァイラスの存在の中に、染み込んでいたか、改めて、はっきりと、見えた。
「……痛い、か」
俺は、低く、聞いた。
「痛い」
ヴァイラスは、即答した。
「自分の体の、四割を、剥ぎ取られたような、感覚だ。だが――」
ヴァイラスは、目を、開けた。
開いた目の中に、ほんのわずかに、銀色の光が、宿っていた。
「四百年、ずっと、藍色しか、見えなかった目に、銀色の光が、戻ってきた。痛いが、悪くない、感覚だ」
ヴァイラスは、水盤の方を、振り返った。
「`Lv4.5権限、再有効化を、確認しました`」
水盤の機械的な声が、告げた。
「`Lv4 + Lv4.5 連名による、管理者本体の覚醒要請を、受理しました`」
「`覚醒プロセスを、開始します。所要時間:約三分。覚醒中、塔の最上階の防衛機構は、自動的に強化されます。覚醒プロセスの中断は、覚醒被対象者(管理者本体)へ、深刻なダメージを与えます。中断は、推奨されません`」
「`カウントダウン開始――三分`」
水盤の中央の螺旋が、これまで以上の速度で、加速した。
螺旋の周囲に、八角形の、淡い、防衛フィールドが、薄く、立ち上がった。
塔の最上階の空間全体が、静かに、震えた。
震えの周期は、目覚めゆく何かの、呼吸の周期に、似ていた。
---
塔の外壁の方角から、これまでで、最大の、振動が、伝わった。
シェルの浮遊端末の警告音が、連続的に、鳴り始めた。
「マスター! 外壁の北面、防衛コードの剥がれが、想定の三倍速で、進行しています!」
「ヴァイラスの残滓だけじゃ、ない」
メモリが、千頁の書を、開いた。
書のページが、ひとりでに、めくれた。
ページの上に、塔の周囲の俯瞰図が、淡く、表示された。
俯瞰図の中、塔の北面の三キロ先に、これまで観測されていた、ヴァイラスの残滓の塊が、ある。
しかし、その残滓の塊が、今、別の方角から、急速に、大きくなっている、別の塊と、合流していた。
新しい塊の輪郭は、はっきりとした、藍色だった。
「……ヴァイラス様、本体の、汚染オーラの色です」
メモリが、低く、囁いた。
「マスター、ヴァイラス様の、本体の汚染オーラの、複製のようなものが、今、塔に、向かっています。本体ではありません。本体は、ここに、いますから。これは――『分裂体』です」
俺は、ヴァイラスを、振り返った。
ヴァイラスの目は、塔の北面の、外壁を、見ていた。
「……俺の、無効化フラグを、解除した時に」
ヴァイラスは、低く、言った。
「俺の汚染オーラの、外側の層が、塔の中で、空気に溶けたよな」
「ああ」
「あの『溶けた』分、塔の外側にも、流れた。塔の外側に流れた汚染が、ちょうど、北の岩盤の中で、漂ってた俺の残滓と、合流した」
「合流して」
「俺の本体の、暫定的な、複製が、形成された。複製は、俺の意志を、持たない。代わりに、俺の長年の欲求の、最も根の深い部分――『アドミンを、壊したい』を、形にして、動く」
俺は、息を、止めた。
「……俺たちが、アドミンを、目覚めさせようとしている、まさにその時に」
「俺の欲求の、複製が、アドミンを、壊しに来る」
ヴァイラスは、目を、伏せた。
「皮肉だな」
塔の最上階の中央で、水盤の螺旋が、覚醒プロセスを、加速していた。
二分四十秒。
カウントダウンは、淡々と、続いていた。
塔の北面の外壁から、藍色の、巨大な、輪郭が、塔の中に、染み込み始めていた。
ヴァイラスの、本体ではない、複製の、ヴァイラスが、塔の中に、入って来ようとしていた。
そして、塔の各階に配備された、七体のガーディアンが、一斉に、起動の音を、立てた。
「`ガーディアン群、起動完了。識別:全エンティティを、潜在的標的として、認識中。例外:管理者本体覚醒中につき、覚醒被対象者周辺、半径五メートルは、ガーディアンの行動圏外`」
「`覚醒プロセス、二分三十秒で、完了予定`」
「`現状況:三方向の干渉、想定`」
「`三方向:ガーディアン群(自動防衛)、ヴァイラス分裂体(外部攻撃)、覚醒被対象者(覚醒中)`」
「`分類:三つ巴`」
水盤の機械的な声が、淡々と、状況を、要約した。
俺は、剣を、抜いていない。
俺の武器は、Lv4視界と、デバッガーズ・アイだった。
俺は、塔の最上階の中央、水盤の前で、息を、深く、吸った。
俺の隣で、アリアが、剣を、抜いた。
ガルドが、両手の拳を、握った。
シェルの浮遊端末の周囲に、観測魔法の補助具が、五個、展開した。
メモリが、千頁の書を、抱え直した。
ハーシュが、要塞国式の、二刀の剣を、抜いた。
ヴァイラスは、俺の、すぐ後ろに、立っていた。
立っていたが、その目は、塔の北面の外壁を、見ていた。
外壁の藍色の輪郭は、もう、塔の中に、半分、入っていた。
---
```
[SYSTEM LOG - top floor / multi-front engagement imminent]
> admin_core_wake: in progress (T-2:30)
> guardian_units: 7 (active, root-admin signature)
> - top floor: 1
> - lower floors: 6 (engaged with breaching virus-fragment)
> virus_fragment: north wall ingress, no master will, raw drive only
> [TARGET_PRIMARY] virus self (in dialog, Lv4.5 unlocked)
> [TARGET_SECONDARY] virus fragment (incoming)
> [TARGET_TERTIARY] guardians (auto-defense, root signature)
> [STATUS] three-way conflict imminent
> bug_density (global counter): 93% → 93.4%
```
次回――第67話「三つ巴」




