第48話 セキュリア要塞国の警告
深夜に、通信が来た。
「緊急。セキュリア要塞国の暗号監視部門から」
シェルの声が冷静な分、重さが際立った。
俺は飛び起きた。就寝して三時間も経っていない。壁に手をつきながら立ち上がる。「緊急」という二文字が、眠気を即座に上書きした。
「繋いでくれ」
通信に出た。
相手は男の声だった。落ち着いた声だったが——言葉の端に、緊張が滲んでいた。それを抑えようとしている感じが、逆に緊張の大きさを示していた。
「セキュリア要塞国、暗号監視部門の責任者です。冒険者殿——我が国の深層監視システムが、異常を捉えました」
「内容を」
「通常の源コード改竄ではありません。もっと深い層への侵入が」
俺は完全に目が覚めた。
「環境変数より下か」
「あなたがそう呼ぶかどうかは分かりませんが——世界の根底に近い何かへの、不正なアクセスが検知されています。断続的に、昨晩から続いています。我が国の防壁システムが感知した規模は——創国以来、最大のものです」
「全員起こせ」
振り向くと、シェルがすでにパーティ全員に通知を飛ばしていた。
「転移魔法の手配は」シェルが言った。
「頼む。朝一番で出る」
セキュリア要塞国の国境に着いたのは翌朝だった。
城壁が見えた瞬間——俺は足を止めた。
「でかい」
五十メートルはある。いや、もっとかもしれない。圧倒的な石造りの壁が、地平線まで続いている。見上げると首が痛くなる。
ガルドが腕を組んでその壁を見上げた。
「……守るために作ったにしては、やりすぎじゃないか」
「だから要塞国なんだろう」
俺はデバッガーズ・アイを使ってみた。
[Debugger's Eye Lv.3: Security Architecture Analysis]
Location: Securea Fortress Nation — Outer Wall
Security Layers Detected: 7
└─ Layer 1: Physical structure (reinforced — estimated 3x standard)
└─ Layer 2: Source code anchoring (anti-rewrite locks)
└─ Layer 3: Anomaly detection grid (real-time monitoring)
└─ Layer 4: Unauthorized write prevention (Lv.3 countermeasures)
└─ Layer 5-7: ENCRYPTED (access denied — beyond Lv.3 read capability)
Note: Most secure source code architecture encountered to date
七層。
上から四層しか読めない。下の三層は俺のLv3でも中身が分からなかった。
「堅い」
「自慢の防壁だ」
後ろから声がした。
振り向くと——大柄な人物が立っていた。鎧兜を着込んでいる。顔の半分が兜で隠れているが、残りの半分で十分に伝わるものがある。威圧ではなく——重さ、と呼ぶのが正確な何かが。
「クリプト・セキュリアスだ。要塞国の国王を務めている」
「蓮です。わざわざお出迎えいただいて、恐縮です」
「時間が惜しい。中で話そう」
要塞国の中枢は、地下にあった。
深い。
地上の城壁の迫力に対して、地下はまた別の迫力があった。通路の壁が、全て暗号文で埋め尽くされている。コードの文様が石に直接刻まれている。生きている防壁だ——俺のデバッガーズ・アイがそれを感知した。全ての壁に、侵入検知の処理が走っている。
「この通路に入った時点で、皆さんの源コード特性がスキャンされています」クリプト国王が言った。「敵対的な改竄意図を持つ者は、先へは進めません」
「問題ありません」アリアが答えた。「私たちは守りに来ました」
「それは、あなた方の行動が証明します。言葉では何とでも言える」
厳しい言い方だったが、俺には納得できた。要塞国が守っているものの重さを、この国王は知っている。言葉を信じて守れるようなものは、守っていない。
奥の大きな部屋に出た。
壁一面に、光る球体が並んでいた。大小さまざまな球体が、それぞれ世界各地の源コードの状態を表示している。ほとんどは青か緑だが、いくつかは黄色に変わっている。そして——部屋の中央に置かれた一つが、赤く点滅していた。
「あれが問題の箇所です」
クリプト国王が指差した。
「環境変数よりさらに深い層——我々は『カーネル』と呼んでいます。世界の最も根底に近いコードです。そこへの侵入が、昨晩から断続的に検知されています」
「カーネルへのアクセス権を持つのは、理論上は」
「管理者のみです。我が国の防壁はカーネルを守るために存在しています。創国以来——突破されたことは、なかった」
クリプト国王の声に、かすかな動揺があった。それを制御しているのが、この人物の訓練の深さを示していた。
「ただし昨晩の侵入は——防壁を通過していません」
俺は聞き返した。
「防壁を通っていない?」
「そう。外から突破したのではなく——内側から、アクセスされています。まるで最初からそこにいた者が、長い眠りから目覚めて、動き始めたかのように」
メモリが、青ざめた。
「マスター……」
「分かってる」
「アドミンのコアプログラムが——覚醒しかけているのかもしれません」
クリプト国王が俺を見た。
「詳しいな」
「以前に入手した情報です。アドミンのコアプログラムは、世界のどこかに眠っている——カーネルへのアクセスポイントは」
俺は止まった。
データベルグの設計書に書いてあった一行が、頭の中に浮かんだ。
「要塞の心臓部に封印」
クリプト国王の目が——細くなった。
「知っているか」
「データベルグで古代の設計書を読みました。一行だけ記述がありました。この国が、そういう役割を持っていると」
「……そうだ」
クリプト国王が低く言った。
「この国が建国された本来の理由は——ここを守るためだ。カーネルへの入口を。そしてその深部に眠る——管理者のコアを」
「アドミンが、ここに眠っている」
「我々はそれを知らなかった。正確には——創国の歴史書に書かれていたが、誰も現実の話だとは思っていなかった。神話の話だと、そう思っていた。代々の国王が守り続けてきたが、その意味を深く考えた者は少なかった」
クリプト国王が中央の赤い球体を見た。
「——だが、現実だった」
俺は監視装置に近づいた。
デバッガーズ・アイで、赤い球体の内部を読んだ。
環境変数より下の層——俺のLv3が届く、ぎりぎりの深さ。そこに、かすかに何かの輪郭があった。
巨大な存在の輪郭。
眠っている何か。その周囲で、断続的にコードが動いている。起動シーケンスの一部が——走り始めている。ゆっくりと、でも確実に。
「起き始めている」
俺は言った。
「完全覚醒まで、まだ時間がある。でも——進んでいる」
「止める方法は?」シェルが聞いた。
「カウンターを下げ続ければ、起動条件を満たさなくなる。100%に達しなければ、完全覚醒は防げる」
「現状は70%だ。ヴァイラスが攻撃を続けている限り、下げ続けるのは難しい」
「分かってる」
「もう一つ聞きたい」
俺はクリプト国王に向いた。
「カーネルに入れるとして——中で何かできるか。初期化のプロセスに、介入できるか」
「技術的には可能だろう。だが——カーネルに入るための権限を持つ者が、現在の世界に存在するとは」
「俺がLv5になれば——入れる」
全員が俺を見た。
「今はLv3だ。まだ遠い。でも——Lv5になれば、管理者と同等のアクセス権を持てる。そうすれば、初期化コマンドをキャンセルできる。あるいは——別の方法を実行できる」
「Lv5になるには」
「デバッグをし続けること」
シンプルな答えだった。でも——現実だ。
「その間、カウンターが上がり続けたら」
「だから急ぐ」
その夜、監視装置の前に俺は残った。
クリプト国王が部屋を離れた後、一人で赤い球体を見ていた。
深部で眠る、巨大な何か。アドミン。この世界を作り、管理を放棄し、バグ密度が閾値を超えたら自動的に世界を初期化するようプログラムされた存在。
意思があるのか——それすら分からない。
プログラムが自動実行されるだけなのか。それとも——かつて生きていた誰かの意志が残っているのか。
「マスター」
メモリが来た。
「今日はここで休んでください。明日からまたバグ修正が続きます」
「ああ」
「——マスター」
「なんだ」
「パッチ様を救えると思いますか」
俺はしばらく答えなかった。
「分からない」
「正直に言っていただいてありがとうございます」
「でも——試さないで諦めるのは、俺の流儀じゃない。バグの原因を調べもせずに諦めるのは、プログラマーじゃない」
メモリが小さく頷いた。
「私もそう思います」
沈黙が来た。穏やかな沈黙だった。
俺が部屋に戻ろうとした時。
監視装置が——鳴った。
甲高い警報音。赤い球体が激しく明滅を始めた。
俺は走り戻った。
画面に——文字が浮かんだ。
古代の言語ではなかった。今の言語でもなかった。
俺には読めた。
それは——プログラムのメッセージだったから。
WARNING: Administrator wake-up sequence initiated.
Current progress: 12%
Estimated completion: [CALCULATING...]
World format scheduled upon completion.
NOTE: This sequence cannot be interrupted
by external commands below ROOT level.
俺は画面を見つめた。
「世界の初期化が——スケジュールされた」
カウンターの問題だけではなかった。アドミンは、すでに目覚めかけていた。
メモリが画面を見た。その表情に、何かが走った。
「——パッチ様が急いでいるのは、このためですか」
「おそらく」
「アドミンが完全覚醒した後では——手遅れになる」
「だから俺たちも急ぐ」
俺は画面の前に立ったまま、その文字を見ていた。
十二パーセント。
始まっていた。
次回、第49話「デバッグ日和」——緊迫する状況の中で、束の間の日常。蓮たちはセキュリア要塞国で英気を養う。嵐の前の、最後の静けさ。




