17 二人の結末
ジュディスがラファエル王太子に見初められた頃と時を同じくして、オフィーリアは直ぐに駆けつけた医師から身体の毒を取り除く処置を受けていた。
ヨナス夫妻は、マハラ国の王太子が到着したと報せを受けると、オフィーリアの容態を心配しながらもエドガーに娘を託し、慌てた様子で王太子の元へと向かった。
「取りあえずの応急処置は施しました。幸いにもオフィーリア様が飲んだ毒は即効性の殺傷能力がある毒ではありませんでした。おそらく貧民街に出回ってる庶民が比較的手に入れ易い毒でしょう。今回はその粗悪品の毒に助けられました」
医者の話を聞いてエドガーはホッと胸を撫で下ろした。
しかし、そんなエドガーに医者は厳しい表情のまま残酷な話を切り出した。
「ですが、オフィーリア様のこの身体の弱り様から見て、この毒が身体から完全に抜けきるまで彼女の体力が持つかどうか……。余りにも彼女の身体は細く、脆弱です。日頃からあまりお食事を摂られていなかったのか、肌や髪からも栄養不足が窺えます」
「あ……」
医者は貴族のもとへと嫁いだ令嬢が何故これ程迄に栄養が足りておらず痩せ細っているのか、事情は知らないものの責めるようにじろりとエドガーに鋭い視線を向けた。
「とにかくこの三日間のうちに意識が戻らなければ覚悟して下さい。飲み食いしない彼女の身体は三日間が限度です。もしも、その前に目を覚ましたならすぐに消化の良いものを少しでも口にして貰って、身体に栄養をどんどん与えて下さい。私も暫くは毎日様子を見に来ます。何かあれば直ぐに呼んで下さい」
「承知した。……すまない、ありがとう……」
医者は項垂れながら礼を述べるエドガーを残し、厳しい表情で部屋から出ていった。
ベッドに青白い顔で眠るオフィーリアをエドガーは憔悴した様子で長い時間見つめていた。
先程ジュディスから告げられた真実が何度もエドガーの頭を過っていた。
(オフィーリアはジュディスの策略に嵌められた被害者だった。そうとも知らずに私はまんまとジュディスの思惑通りにオフィーリアを襲い、彼女の将来を台無しにした。彼女の王太子妃になるという輝かしい未来を潰した上、罪のないオフィーリアを逆恨みし、毎日酷い言葉を吐き、彼女を散々虐げてきた。それなのに彼女は私に対して、文句のひとつも言わず、ひたすらそれに耐え、毎日毎日頭を下げながら自分が悪いのだと私に謝り続けた。そして最後には私とジュディスの幸せの為に自ら毒を飲み、死を選んだ。信仰心の厚い彼女なら自死は教会の教えに背く重罪だと知っていただろうに……)
「そこまでオフィーリアを追い詰めたのは私だ……」
最後、血を吐き倒れた彼女が穏やかに微笑んだ姿がエドガーの記憶に鮮烈に残っていた。
(どうかあれが私が見た最初で最後の君の笑顔にならないように――)
ポタリとエドガーの瞳から涙が一粒溢れ、オフィーリアの眠るベッドのシーツを濡らした。
エドガーは恐る恐るオフィーリアの手を取ると、そのまま祈るようにその手に顔を埋めた。
「すまない……。すまなかった、オフィーリア。私が愚かだった。……こんなにも優しい君を、私は……っ! 」
どうか、このまま逝かないで欲しい、と。
オフィーリアの笑顔をもう一度見せて欲しい、と。
エドガーは強く強く神に祈った。
「神様、どうか彼女をまだ連れて行かないでくれ。彼女はまだ幸せになっていない。不幸のまま逝かせたくはないんだ。もう二度と彼女を苦しめたりしないから。私の残りの全てを彼女に捧げるから……っ!! 」
血を吐くような思いでエドガーは後悔の涙を流しながら、オフィーリアが目を覚ますまで彼女の側を離れようとしなかった。
医者の宣告した三日目の朝になった。
オフィーリアは相変わらず眠り続けていた。
細かった彼女の身体は一層細くなっており、このままいつ息を引き取ってもおかしくないような気がした。
エドガーはこの三日間、自分も何も口に入れず、ひたすらオフィーリアの手を握って彼女を見守っていた。
「……オフィーリア、君がこのまま目を覚まさなかったら、私もすぐに君の後を追うよ。君が暗い冥府で独り寂しくさ迷わなくていいように……」
力なくエドガーは呟くと、誓いを立てるようにそっとオフィーリアの手の甲に口付けを落とした。
その時だった。
エドガーの唇が彼女の手に触れた瞬間、オフィーリアの指先がぴくりと震えるように微かに動いた。
「っ!? オフィーリア!! 」
エドガーは信じられない思いで眠る彼女の顔を凝視した。
エドガーの声に反応するように、オフィーリアの閉じていた目蓋が僅かに震えると、ゆっくりと目が開かれ、エドガーの視界に美しく澄んだサファイアの瞳が映し出された。
「ああ……、神様っ! 」
エドガーは神に感謝の言葉を述べると彼女を力いっぱい抱き締めたい衝動を何とか抑え、震える手でそっと優しく彼女の頬を撫でた。
オフィーリアはまだ意識がはっきりとしないまま、自分の頬を撫でるエドガーをじっと見つめると、怪訝な表情で口を開いた。
「……貴方は誰? 」
「え? オフィーリア、私だ。エドガーだ」
まだ意識が混濁しているのか、オフィーリアの様子にエドガーが慌てたように自身の名を名乗った。
「エドガー? ……ごめんなさい、分からないわ」
徐々に意識がはっきりとしてくるも、オフィーリアには目の前で心配そうに自分を見つめる端正な顔の男性が誰なのかどうしても思い出すことが出来なかった。
「そんな……」
目を覚ましたオフィーリアは結婚前からの記憶と、エドガーの存在を忘れていた。
「――一時的な記憶喪失かもしれないし、あるいはこのまま記憶が戻らないかもしれません」
オフィーリアを診断した医師がエドガーに向かってそう告げた。
オフィーリアにとってかつての辛かった記憶がごっそりと抜けている事実に、エドガーは自分がどれ程彼女を苦しめていたのか改めて思い知らされるようだった。
彼女が忘れているのなら、このまま自分は彼女の前から姿を消した方が彼女にとっては良いのではないかとエドガーは悩んだ。
しかし、既に彼女の純潔はエドガーによって奪われている事実と、何より、エドガーは今度こそ自分が彼女を幸せにするのだと神に強く誓ったことを思い出し、落ち込む気持ちを震い立たせると、オフィーリアともう一度一からやり直すことを決意した。
エドガーはオフィーリアの身体が回復すると、彼女と結婚している事実は伏せ、彼女に求婚した。
オフィーリアは戸惑っていたものの、彼の申し出を心から嫌がっているようには見えなかった。
エドガーは根気強く彼女の元へと毎日通い続けた。そして、誠意を持って自分の素直な気持ちを彼女へと伝え続けた。
「オフィーリア。私は君が愛しくて堪らない。君の笑顔が見られるなら何でもする。どうか、私と結婚して欲しい」
エドガーはオフィーリアに何度目かの愛を囁くと、白い百合の花束を彼女へと手渡した。
「……綺麗」
百合の花束を受け取ったオフィーリアは嬉しそうにその花束に顔を埋めた。
オフィーリアの脳裏に一瞬、ぶっきらぼうに彼女に花束を渡すエドガーの姿が過った。
「……? 」
だけど、それは直ぐに記憶から消えていった。
オフィーリアが奇妙な感覚に顔をしかめていると、それを見たエドガーが心配そうに声を掛けてきた。
「どうかしたかい? オフィーリア」
「……いいえ。大丈夫です。百合の花を見て一瞬懐かしい気持ちになっただけ。……何故かしら」
オフィーリアの言葉にエドガーは切なさに胸が締め付けられる思いがした。
彼女の記憶の片隅に、自分との思い出が確かに残っている。その事実にエドガーは気持ちが溢れ、目の前のオフィーリアを花束ごと抱き締めた。
「エ、エドガー様!? 百合の花が潰れてしまいます! 」
「潰れたらまた新しいものを買って君に届ける。……オフィーリア、心から君を愛している。どうか私の想いを受け止めて欲しい」
エドガーは再びオフィーリアへと愛を囁いた。
何度も愛を囁くエドガーに、オフィーリアは困ったような表情を浮かべていたが、観念したように小さくこくりと頷いた。
「……記憶を失くしたこんな私で良かったら、エドガー様の妻にして下さい」
オフィーリアの返事を受けてエドガーはそっと彼女の頬へと手を掛けた。それから熱い眼差しで彼女の顔を覗き込むと、震える唇で静かに囁いた。
「君がいいんだ、オフィーリア。二度と君を悲しませたりしない。……この先も永遠に君だけを愛すると誓うよ」
「……ふふ、まるで結婚式の誓いの言葉のようですね」
エドガーの言葉にオフィーリアは顔を上げると、彼に向かってふわりと柔らかい微笑みを浮かべた。
「……君のその笑顔をもう一度見たかったんだ――」
エドガーはうっすらと目に涙を浮かべると、そっとオフィーリアの唇に優しい口付けを落とした。




