第8話 夢
カイルは夢を見た。父と母の夢だ。ずいぶんと久しぶりのことだ。
カイルの父、ダグラス・コストナーは、サイゼラ村で唯一の行商人だった。魔獣の毛皮から作った衣服や骨から削り出した農工具、あるいは血液から精製した妙薬などを携えて、一度旅に出ると何月も帰らなかった。
村人たちは皆、ダグラスの帰還を心待ちにした。彼は遠い異国の珍しい品々を多く持ち帰ったからだ。不思議な仕組みのからくり玩具は子供たちの心をとらえて離さなかった。サイゼラ村には存在しなかった穀物の種を持ち帰り、村の食糧事情を大いに飛躍させたこともあった。何より、夜宴で語るダグラスの冒険談は、多くの人々の知識と想像力に翼を与えた。
だが、ダグラスが誰よりも熱心に旅の話を語って聞かせたのは、息子のカイルだ。幼いカイルは、寝ることも忘れて父の話に聞き入った。
ーいいかカイル。サイゼラ村は北を魔獣の巣食うミルボに、南を妖魔の海と呼ばれるキジークに囲まれ、外の世界へ目を向けることは容易ではない。
しかし我々は、決して孤立しているわけではないのだ。
海路は駄目だ。ひと度沖へ漕ぎ出そうものなら、たちまち仄暗い腹の中に飲み込まれてしまう。
ミルボの森を大きく西へ迂回するのだ。
右手にミルボを、左手にキジークを見ながら、細い海道を西へ西へ、30日と30晩駆ける。
魔獣か?もちろん魔獣に出くわすこともある。
元来彼らは滅多なことでは森から出ないが、彼らには彼らなりの縄張りがあるし、彼らには彼らなりの理がある。
その理から外れた魔獣が、海道に弾き出されてくるのだ。
そんな魔獣は概ね、ひどく腹を空かせている。
だから食糧を投げてやるのだ。
半端な量では駄目だ。気前よくくれてやれ。
でなければ馬が喰われる。その後は自分だ。
だが稀に、空腹のあまり狂暴性ばかりが増し、脇目もふらずこちらに襲いかかってくる者もある。
そんな時は仕方がない。魔薬をぶちまけてやれ。
魔薬?ああ、魔獣の血から作った万能薬のことだ。
魔獣はなぜか、魔薬の匂いを嫌う。
同族の血の匂いに怯むのだろうかな?
しかしまあ、これは、商売人としては避けたい手段ではあるがな。
とにかく、そのようにして西へ進むのだ。
次第にミルボがせり出し、あるいはキジークが侵食し、海道が飲み込まれるほど細くなった頃、大陸の西端でミルボが途切れる。
そこに、スポアの町がある。
スポアは海路で他の町と交易を行っている。南の海はこれほどに荒れ狂っているが、西へ行くほど穏やかだ。
カイル、お前もいつか、スポアでなくとも良い、異国を訪れてみるといい。
見たことも聞いたこともない品々があり、見たことも聞いたこともない人々がおり、見たことも聞いたこともない考え方がある。
そしてお前が、サイゼラ村と外界との架け橋になるのだ…。
カイルにとって父と過ごした時間はひどく短い。だから、母は父の役割も兼ねていた。
父の旅は大いに危険を伴ったが、母は気丈に待った。息子に不安を悟らせることもなかった。
魔獣の大襲撃があった10年前のあの日に限って、珍しく父が村に居合わせたことは、幸であったか不幸であったか、いまだもって分からない。
行商の途中で度々魔獣と出くわしたカイルの父はだから、彼らの習性も理解していたしその処し方にも長けていた。それでも命を落としたとも言えるし、だからこそ一人息子を守ることができたとも言える。
父と母は、致命の傷を負いながらも、古びた鉄剣で魔獣を何度も刺し、しこたまにその反り血を浴び、さらにありったけの魔薬を叩き割り、あるいはその身に浴びて、そうしてカイルの上に覆い被さって息絶えた。
幼いカイルは、何が起きたか半分も理解していなかった。
目が覚めた時カイルは、セシエルの柔らかな胸を涙で濡らしていた。




