第21話 グラディス・ヴァレンバーグ
翌朝早く、コーラル家にて一宿一飯の世話になったカイルは、街の外れで待機していたセシエルとゾーヤと合流した。
「堂々たる朝帰りとは恐れ入った。しかもそのように魔女の匂いを体に染み付けて…」
かつてゾーヤを震え上がらせた漆黒の微笑で出迎えるセシエルであったが、当の魔女は涼しい顔である。
「嫉妬するなら私じゃなく父さんよ」
ザイエンシス・コーラルはカイルのことをえらく気に入ったらしく、昨夜はずいぶんと遅くまで酒を酌み交わし、存分に語らっていたようだ。
夜も更けてきた頃、ザイエンシスは言った。
「君の話を聞いていて良く分かった。我々が産み出した愚かな憎しみの連鎖…、その鎖をカイル、君やサイゼラ村の人々が受け止め、そして断ち切ってくれていたのだな…。私は…君たちに何と言って詫びればいいか分からない…。もしもこの旅で何か困ったことがあれば、遠慮なく言ってくれ。できるだけ力になりたい」
特に何も思い付かなかったカイルは、念のためと思いダッチ・デビートのことを話しておいた。ダッチはしばらくエンソに留まると言っていた。有数の研究者であるザイエンシスの元を訪ねてもおかしくない。二人が友人になってくれるといいと、カイルは思った。
学術都市エンソはまだまだ見るべき所も少なくなかったが、カイルの心は既に次の街へと向かっていた。シュワイ自治領である。
勇猛な戦士の国として独立を貫いてきたが、強大なフレマンド王国についに併合され、そしてミルボの森を侵し魔獣の大襲撃を招いてしまった街。そんなシュワイの今を、自らの目で確かめたいと思ったのだ。そして願わくば、次の旅はフレマンド王国へ。
今の時点ではフレマンド王国は武力による侵略者として語られているが、現実はどうか。人伝に語られる情報と、自らの目で見た現実と、その両方が合わさって初めて真実が見えるのではないか、カイルにはそのように思えたのだ。
そう言えばザイエンシスは昨夜、カイルは研究者に向いていると言っていた。何の学もないカイルは氏の言葉を一笑に付したが、何事も常に俯瞰して見ようとするカイルの姿勢が、研究者には何よりも大切なのだと言う。
セシエルとリーンとゾーヤに旅の計画を告げ、いざ東へと歩きかけたところ、行く手に立ちはだかる人影が一つあった。
グラディス・ヴァレンバーグである。
ダッチ・デビート護衛の任から解放された彼がなぜ再び姿を現したのかは分からない。しかし、全身から並々ならぬ覚悟と気迫が迸っている。ただあいさつをして通り過ぎるわけにはいかないようだ。
サイゼラ村、スポア村、そしてこのエンソ、一つとしてすんなりと旅立つことができた場所はなかったなと思い、カイルは思わず苦笑した。
「特にスポア村ではとんだ厄介者が我らにくっついて来たからな」
「誰が厄介者よ。大いに役立っているでしょうに」
カイルの後ろでセシエルとリーンがやり合っている。正面にいる男とは対照的だ。
「カイル・コストナー、尋常に手合わせ願いたい!」
エンソに至るまでの道中で遂に一言もしゃべらなかったグラディスだが、腹から響くいい声をしている。
こうして正面から剣を向けられるのは二度目だ。無論、昨日今日出会ったばかりのカイルには、恨みを買った覚えもないし挑戦を受けて立つ理由もない。だがカイルは知っている。この手の男が剣を向ける時、そこには勝負以上の何か意味があることを。
グラディス・ヴァレンバーグは律儀にカイルにも剣を投げて寄越した。田舎育ちのカイルでも一目で良い剣だと分かった。時おりサイゼラ村で手にしていた古い鉄剣とはわけが違う。装飾も見事で設えも立派だ。そして何よりも、鮮やかな光沢を帯びたその刀身は、ただの鉄とは違う特別な素材で作られているに違いない。もしもこの場にダッチ・デビートがいたら、きっと目の色を変えていただろう。
しかし、それほどの品を事も無げに投げて寄越すこの男は何者だろう。剣技で身を立てているにも関わらず、剣になどまるで価値を認めていないかのような振る舞いだ。あるいは、自分の命にさえ価値を認めていないかのような。
いずれにしてもグラディスは、剣を交えなければ道を譲ってくれそうもない。カイルはグラディスと初めて会った時のことを思い出していた。大勢のならず者を向こうに回し一歩も引かない勇猛さと、人間の急所を確実に仕留める細密な剣技は見事だった。
「無手では敵わないかも知れないな…」
カイルはしばし思案すると、グラディスが投げて寄越した立派な剣を鞘から引き抜き、近くの木に立て掛けて置いた。代わりに鞘をその手に握ると、改めてグラディスに向き直った。
「…何のつもりだ?まさか剣を知らぬわけでもあるまい」
戸惑い…というよりは怒りに近い声色だ。
「剣を使えばあなたを殺してしまうかも知れない。俺はあなたを殺したくはない」
カイルの嘘偽りのない返答によって、グラディスの怒りはいよいよ疑いようのないものになった。
「真剣勝負に対してつまらん手心を加え愚弄するとは…私の見立て違いか…!」
「あなたが俺に何を期待しているのか分からないけれど、それは死合いの中で判断してくれればいい」
そう言うとカイルは、右手の鞘を無造作に一振りした。それは何と言うこともないただの素振りだったが、そのほんの一挙手に、グラディスは思わず構えさせられていたのだ。
無論、この寡黙な剣士も、カイルの力量は認めている。七人ものならず者どもを瞬く間に打ち倒してしまったあの戦いぶりを見れば、認めざるを得ない。それどころか、少年の力量はまだまだ底が知れない。ならず者との戦いはまるで親が子を叱り付けるようなやり方だった。その底を見極めるための真剣勝負である。
グラディスはカイルに対し半身の姿勢をとると、その正面に剣を構えた。隙のない構えだ。
ジリジリと少しずつカイルとの間合いを詰めて来る。両の足はしっかりと地面を掴み、いつでも渾身の剣撃が放てるよう、力を溜めている。
刹那の後、先に仕掛けたのはカイルだった。
間合いを測っていたことがまるで無為に思えるほどの踏み込みだ。
と同時に繰り出される剣の“鞘”による斬撃。
すんでのところでかわしたグラディスの足元で砂塵が舞う。
一体いつ構えたのか。
どこに予備動作があったのか。
あまりにでたらめな身のこなしに息を飲むグラディスだったが、渾身の初撃をかわしたことは大きい。
カイルに隙ができた。背中が丸見えだ。
グラディスは少年の背に向けて鈍く光る刀身を振り下ろす。躊躇はない。彼なら防ぐと判っていた。
仮に剣の鞘で防いだとしても、あるいはその無理な体勢からかわしたとしても、新たな隙が生まれるはずだ。グラディスはニの矢、三の矢を考えていた。
キィーン
甲高く不快な金属の摩擦音が響いた。
防いだのではなくいなしたのだ。
グラディスが振り下ろした剣撃は、カイルが無造作に背に回した鞘に沿ってその軌道を変えられてしまった。
鞘に施された立派な装飾、その金具の部分に刀身をあてがうようにしていなしたのだ。
偶然でなどあり得ない。
体勢を崩し、隙を見せたのはグラディスの方だった。
カイルは体を半回転させながら、体勢を崩したグラディスの腹に鞘を叩き込んだ。鞘でなければ上半身と下半身が泣き別れているところだ。
微かに踏み留まる意思を見せたグラディスだったが、堪え切れずそのまま地を舐めた。あと半日は立ち上がることもできないだろう。
「やれやれ、我が夫ながら、もう少しまともな戦い方はできないものか」
呆れたような口振りのセシエルはしかし、どこか満足そうだ。
「でもこの人どうするのよ?こんな街外れにこのまま放っておくわけにもいかないでしょう」
心底呆れているのはリーンの方だった。確かに、身動きできぬほどに打ちのめした挙げ句、追いはぎにでも遇われては寝覚めが悪い。早速ザイエンシス氏の厄介になろうかと思案していたカイルは、驚き息を飲むリーンの表情に気が付いた。
グラディス・ヴァレンバーグが立っている。
無論、戦う力など残っていない。剣を支えに震える膝を騙しながら、どうにか立っているという状態だ。
グラディスは精一杯に姿勢を正すと、息も絶え絶えに言葉を紡いだ。
「私はシュワイ公国の騎士、グラディス・ヴァレンバーグ。数々の非礼、心よりお詫び…申し上げる…」
そこまで言うとグラディスは、とうとう意識を失いその場に崩れ落ちてしまった。結局カイルたちはその場で野営し、騎士の男を介抱したのだった。




