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神を娶らば  作者: キャン
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第20話 学術都市エンソ

 ダッチ・デビートとは結局エンソまで同道することになった。元々立ち寄る予定であったという。

 荷馬車を引いていた馬の代役はゾーヤが買って出た。カイルとしては、護衛役のグラディスと二人で引いて行くつもりでいたのだが、ゾーヤ自身が活躍の場を欲しがったのだ。

「おおかた魔女を背に乗せて歩くことに嫌気が差したのだろう」とは、セシエルの推察だ。最もその魔女は、ゾーヤが引く荷馬車にちゃっかり乗り込んでいたのだが。


 エンソでは装飾品としてではなく、研究資料や実験材料として希少な鉱石が求められるのだと説明されたが、カイルにはよく分からなかった。

 一行はエンソの入り口で別れた。セシエルとゾーヤは今回も街の外れで待機だ。グラディスとの護衛契約もここまでだったようで、報酬を受け取るとそのまま去って行った。ダッチ・デビートは得意先を回りながら、新たな馬と護衛を探すようだ。

「カイル、あなたの旅の安全を祈っています。またお会いしましょう」

 そう言って街の中に消えて行く小太りの体は、心なしか弾んでいるように見えた。


 カイルはリーンの案内で、ひとまずコーラル家に向かった。広範な情報の中から手がかりを探すには、学術都市中央図書館司書のリーンの父親に聞くのが手っ取り早い。

「リーン!よく帰って来たわね!半年ぶりかしら?元気そうで良かったわ!…あら、そちらの方は?」

 出迎えてくれたのはリーンの母、メルサ・コーラルだ。普段は夫の仕事を助け家庭を支えているが、かつては新進気鋭の画家として大いに活躍した。今でもふとしたきっかけで筆を取ると、創作に没頭して家事になど見向きもしなくなることが、しばしばあった。そう思って見ればコーラル家の室内は、研究者と芸術家の夫妻らしく、どことなく雑然としている。

 リーンの父親は不在であった。中央図書館で勤務中である。二人はコーラル家を一旦後にし、中央図書館へと向かった。


 驚くほどに大きな建物だった。華美というわけではないが荘厳さが溢れている。館内に入るとさらに圧倒された。とてつもない蔵書量である。おそらくは整然と分類分けされているのだろうが、無数の書棚が迷宮を築き、細い通路を老若男女多くの人々が忙しなく行き交っている。

 そんな館内の奥の奥、まるで迷宮の主のように鎮座しているのが、エンソ中央図書館司書、ザイエンシス・コーラル。リーンの父親だ。

 思いがけず愛娘の姿を視界に捉えたザイエンシスは、その凛とした顔を綻ばせたが、リーンから事情を聞かされると即座に研究者の顔に戻った。ザイエンシスは来館者の対応を部下に任せると、カイルとリーンを司書室で待たせ、書棚の迷路の中に消えて行った。しばらくして戻って来た氏の手には、数冊の書物が握られている。


 ザイエンシス・コーラルは雑然とした作業机の上に一枚の地図を広げると、その四隅を手頃な本や墨壺などで押さえた。どうやらこの大陸全土の地図だ。もう少し丁重に扱った方がいいのではないかと、さすがのカイルも心配になったが、司書のやることなのでこれで良いのだろう。


「君は…カイル、サイゼラ村から来たと言ったね。それがここ、大陸の南端だ。私も書物でしか知らない。サイゼラ村から海沿いを西におよそ43デイル進めばスポア村、そこから北へ41デイル進んだのがここエンソだ。言わば大陸の西端にあたる」


「デイル」という言葉は聞いたことがなかったが、おそらく距離の単位だろうと思った。

 こうして大陸全体を眺めて見ると、サイゼラ村がいかに辺境であったかがよく分かる。同時に、自分が未だ大陸のごく一部しか歩いていないことも。


「さて、ここからが本題だ。ここエンソから、今度は東へ17デイルの距離にシュワイ自治領がある。歴史書によると建国は150年以上前。勇猛で誇り高い戦士たちの国で、大陸中にその名を轟かせていたと言う。エンソは各地から流れ着いた研究者たちの力で発展してきたが、その多くはシュワイからやって来た者たちだと聞いている。そのような縁もあり、エンソとシュワイは現在友好都市として協力関係にあるわけだ」


 気が付けば地図の上には重厚な歴史書が広げられ、忙しなくページをめくりながら氏の解説は続いていく。


「シュワイ自治領のすぐ北に大きな湖があるだろう?大陸のほぼ中央に位置する最大の湖、これがユージーン湖だ。地質学者の研究によるとユージーン湖はかつて、今よりも遥かに標高の高い場所に出来た山頂湖だったと言う。ユージーン湖からは何本かの川が流れているが、その中でも最大のものがキュフレル川で、ユージーン湖以南の大陸を縦断している。ん?そうか、サイゼラ村を流れるキュフレルも清らかなままなのだな」


 地図の上にはさらに、地質学の専門書が置かれた。


「雑に言えばこの大陸は、ユージーン湖を頂点とした錐形をしている。太古の昔はより顕著だったことだろう。だから今でもこの大陸は、“ユズナ=ミル”と呼ばれている。古い言葉で“神の峰”という意味だ。ちなみにユージーンとは神話に伝えられる女神の名で、ユージーンが下界に降りて来て足を洗ったことからユージーン湖と名付けられたと言われているな」


 さらに神話の本まで開かれた。カイルは危うく、自分が何のためにここへ来たのか忘れるところだったが、痺れを切らしたリーンが先を急がせたため、忘れる前に本題に辿り着くことができそうだ。


「さて…、ユージーン湖のさらに北、大陸北部の大半を支配するユズナ=ミル最大の超大国がある。フレマンド王国だ。この王国も歴史は古く、かつては無数の小国が乱立していたが、初代フレマンド王が次々に武力でもって併呑し、今のような巨大国家が形成された。フレマンド王国が次に狙ったのがシュワイ自治領…当時のシュワイ公国だ。フレマンド王国はさらなる領土の拡大を目指しシュワイへと攻め入ったが、なにせシュワイは戦士の国だ。王国はあえなく返り討ちに遭った。以来100年余り、フレマンド王国とシュワイ公国は戦争常態にあったわけだが…両者の関係に大きな変化が訪れたのが10年前だ」


 ここまでほとんど一呼吸でしゃべり通してきたザイエンシス・コーラルは、卓上に広げたいくたりかの資料を閉じ、椅子に深く座り直すと、記憶を辿るように虚空を見つめながら続けた。


「正確には、今から12年前だ。フレマンド王国が大攻勢をかけた。それまでとは桁違いの規模で、おそらくは国運をかけた国獲りだったのだろう。狙われたのがエンソであれば、一瞬のうちに呑み込まれてしまったに違いない。しかし100年経ってもシュワイの戦士たちは強かった。丸二年間…とてつもない兵力が投入され数え切れないほどの命が失われた。我々エンソも、友好都市として兵器を始めとした物資を供与した…」


 氏の言葉からは深い後悔が伝わってくる。理不尽に侵略を受ける友好国を支援するのは当然だし、シュワイが落ちれば次はエンソかも知れないという思いもあっただろう。しかしそれでも、エンソの行いは徒に戦を長引かせただけではなかったか?かかる葛藤が未だに胸中に居座っているのだ。


「終わりは突然訪れた。表向きは和平という形でだ。シュワイ公国はフレマンド王国の版図となったが、代わりに自治権が認められシュワイ自治領と呼ばれるようになった。この和平の年が、まさに10年前だ」


 分かったような分からないような話だ。カイルが生まれ育った辺境のサイゼラ村とは縁もゆかりもない遥か北の地で、100年にわたる戦争の末に和平の道が開かれた。結構なことではあるがそれがサイゼラ村を襲った魔獣とどう関係があるというのだろうか。

 疑問を察したかのように、コーラル氏は“その後”を語った。


「幸いにも戦禍は二国間の外にはほとんど広がらなかった。それほどにお互いがお互いにのみ注力していたのだろう。しかしその代わりに、和平の年と前後して、周囲の村々で未知の疫病が猛威を奮ったのだ。後の調査によってこの疫病は、森の生物たちによってもたらされたことが分かっている。いや、魔獣ではない。もっと小さな、ネズミやコウモリなどによって広まったと推測される」


 森の獣たちはよほどのことがない限り森から出ない。森から出る時があるとすればそれは、“何らかの圧力”によって森の理から弾き出された時だけだ。


「そうだ、森だ。ミルボの森だ」


 何かに思い至ったようなカイルの表情を読み解き、ザイエンシス・コーラルは答えを提示する。


「終戦間際、最後まで抵抗を続けようとするシュワイだったが、その頃には既に深刻な物資不足に陥っていた。我々エンソの支援にも限界があった。そこでシュワイ公国が目を付けたのがミルボの森だ。彼らは武器の材料や燃料、食糧を得るために、ミルボの森をかつてないほどに大規模に切り開いた。元々二年間の激戦の中で既に十分森は疲弊していたが、最後の大規模開発が森の逆鱗に触れたのだろう。結果としてシュワイは魔獣からの手痛い反撃を食らい、敗戦を早めただけだった…」


 カイルはかつて、森の探索を続けた日々を思い出していた。ミルボの森を奥深く、北へ北へと進むうちに感じた違和感だ。


「突如として領域を侵された森の獣たちは、ネズミやコウモリなど小さな者たちは四方八方へ散り未知の病原体を周囲に撒き散らした。そして大型の魔獣たちは、侵入者を退けるため戦ったが、彼らもまた、その縄張りを大きく削り取られたに違いない。棲みかを失った魔獣たちは南へ逃げ延び、そこでまた別の魔獣の縄張りを侵した。その魔獣たちもまた南へ下り…」


 森の秩序は崩れた。

 北からの強大な圧力に押し出されるようにして、魔獣たちはサイゼラ村へ雪崩れ込んだ。それが、ザイエンシス・コーラルの見立てだ。

 なんと皮肉な話だろうかと、リーンは思った。人間の都合で始まった戦が森を侵し、結局は人間へと返ってきたのだ。それも、本来戦禍とは関係のない人間へ。

 そう言えば、スポア村であの薬師の男が幼い娘を失ったのも10年前ではなかったか。そんな風にして各地では、戦のもたらした災厄が人知れず広がっていた。そして、その影響が最も意外な形で、しかし最も苛烈な形で現れたのが、サイゼラ村だったのだ。


 少年はひどく落ち着いていた。何事かを思案しているようではあったが、間接的にとは言え己が郷里に危害を及ぼした大国の愚行に怒りも憎しみも感じられない。


「無論、森の中の出来事を直接見てきたわけでもない。だが、数々の事象から推察するに、そのように考えると全ての符号が合致する…。我々の、少しずつの過ちが積み重なって、カイル、君の…」


 珍しく言い淀むザイエンシスの言葉を遮り、カイルが口を開く。


「多分それは、神にさえ見通せなかったことだろう」


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