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他人事ではありません  作者: 藤田カナオ
Side:若人達<転換編>
8/8

第一王子とそれぞれの道

大変長らくお待たせしました。連載再開です。

◇01

 私は真央国第一王子セイリオス・ハルシオン・セントラル。

 側室腹とはいえ当代セントラル王の長子であり、既に成人した王族でもある。

 現在は王宮にて父である国王陛下の補佐官として公務をこなす傍ら、とある対策室の責任者を任されている。

 本来ならば陛下の勅命は尊ぶべきなのだろうが……その実態が異母弟の尻拭いだと思うと複雑だ。



 すぐ下の弟・シュザは公爵家出身の正妃の子として生を受けた。第二王子とは言え、母親の地位や彼自身の血筋は彼を立太子の最有力候補となるに相応しいものだった。

 一方、私の母親は第一側妃。実家の地位はそれなりに高かった故にさほど苦労することはなかったが、正直に言ってこの順番は王位継承を微妙なものにしてしまっていた。

 私と彼の生まれる順番が違っていれば、このような事態にはならなかっただろう。


 ……今更そのようなことを言っても仕方がないのは重々承知の上だが。


 私自身、王位に全く関心が無かったと言えば嘘になる。シュザに「万が一」があれば、王位を継ぐのは(条件的に)私になるからだ。故に、私も王位継承に必要な教育を受けてきた。あまり大っぴらにすると王位継承に差し障りが出るのでひっそりとだが、それでも弟に手本となれるような結果を出せるよう努めてきた。

 シュザが誕生した後も、母方の祖父にあたるハルシオン侯爵や一部の貴族は私を支持してくれた。私の婚約者であるマーサ・メプチン伯爵令嬢の父親もその一人で、彼女と出会ったのも侯爵の紹介があったからだ。

 メプチン伯爵は農産業の分野で成功し、我が国の食料政策においても重要な立ち位置にあった。伯爵位は王族の婚姻相手の家柄としてギリギリだが経済力があり、食料自給率に貢献している功績は決して無視できない。王位継承で微妙な立場にいる自分にとっては都合のいい相手だったことや他の高位貴族にあまり娘が授からなかったこともあり、婚約は順調に進められた。

マーサは落ち着いた雰囲気の女性だ。だが、おとなしそうなのは見た目だけで、自分の意見を持ち、些細な状況から周囲の感情を敏感に読み取る聡明さや思慮深さがあった。

 王位についても話し合った。彼女の父親である伯爵は私に王位を望んでいる節があり、彼女自身もそれを認めていた……それでも。

『殿下。私は殿下の意向に従いますわ。お父様や伯爵家のことはもちろん大切ですが、貴方様と共に生きる道を選びたいのです』

『ですが、一つだけ。これだけは申し上げます』

『もし、ただ流されるまま立ち位置を決められるなら、私は貴方様を利用する側にまわります。それだけはご容赦くださいませ』

 王族相手にここまで堂々と言ってのける人間は少ないだろう。だが、そんな彼女に面白味を感じたのは事実だ。刺激に飢えていただけかもしれないが、このまま彼女と二人で国を裏から支えていくのも悪くない気がしていた。


 全て上手くいくはずだったのだ――シュザが学園で変わってしまうまでは。



 弟のシュザには、幼い頃より決められた婚約者――アイリーン・マーズレン公爵令嬢がいた。彼女は国内屈指の名門貴族の出身であり、我が国だけではなく南星国の王族の血筋も受け継いでいた。更には幼少期より才覚を発揮しており、同世代の貴族令嬢――否、下手をすれば令息達を含めても一線を引いた能力を持っていた。血統や能力の優れた妻を持つことも評価の一つになり得るご時世だ。彼女との婚約はシュザの立太子を暗示していたといっても過言ではない。

 シュザと彼女の婚約は同世代の子供達に先立って取り決められ、彼らを支えるための地盤も派閥や血縁を緻密に考慮して組まれた政略結婚により固められていった。

 にもかかわらず、弟は平民育ちの男爵令嬢と恋に落ちた。彼の側近候補達は止めるどころか弟と同じく男爵令嬢に入れあげる始末。

 その上、アイリーン嬢にのみ非があるかのような態度で婚約を一方的かつ独断で破棄してしまったのだ。正式な決定が下っていないにもかかわらず、後釜に男爵令嬢を据えようとしているのが誰でも分かるほど堂々と彼女を連れて歩くようになっていた。

 更に側近候補達も同様に婚約破棄を宣言しており、当然遺恨が生じた当事者達の家は対立が目立つようになってきていた。



 多くの者達が私情を押し殺して続けた長年の努力が、弟の我が儘で水の泡になってしまったのだ。申し訳なく思うのは当然である。

 もっとも、彼らへの感情が同情一色かと聞かれたら違うと答えるが。

(父上も公爵も、我が子贔屓なだけだろう。公正さではなく、ことなかれ主義を貫いた結果がこれだ)

 この国は『国家至上主義』を貫くことで団結を図ってきた。「個人ではなく全体の損益を考えて行動するように」……そう教えられるのだ。

 そうした教育が長年続けられた結果、「国に貢献すれば多少の私事は許してもらえる」という空気が蔓延するようになった。

 私は、その空気が好きではなかった。忠誠を尊びながらも言い訳に利用する精神に違和感を覚えたからだ。

 今回の件は、単純に身分を見ればアイリーン嬢が不適切な発言を詫びるべき立場だし、道理のみを考えれば不義理を働いたシュザが悪い。当の二人が謝罪もせず、周りの大人達が穏便に済ませようとしている──言い換えれば揉み消しとも言える──行為には一言進言したいが、今は難しいだろう。



「殿下。宜しければ少しお休みください」

「ありがとう。だが、まだ大丈夫だ。明日の南星国大使との会談が上手くいけば、例の件もいよいよ大詰めになるからな」

「だからこそです。大切な会談前に倒れられたりしたらそれこそ意味がありません」

 言うなり茶を執務机に置いていく部下を見て、そんなに疲れた顔をしていたかと苦笑する。



 アイリーン嬢の新たな嫁ぎ先候補として挙げられたのは、公爵夫人の祖国・南星国の王弟殿下だった。

 マーズレン公爵夫人の希望らしく、先方にはある程度の根回しがなされていた。そのため、申し入れ自体は容易に進んだのだが、細やかな調整で話し合いが難航したり両国の反対派が動いたりで最終決定及び公表に踏みきれていないのが現状である。

 騒動のせいで国内での婚約が難しい令嬢にとって、今回の縁談は好条件の部類に入る。自国の王族と揉め事を起こした令嬢を他国へ嫁がせるなど、本来なら有り得ないかもしれないが、公爵家の大きすぎる影響力と母親の血の繋がりの成せる技だろう。

 この縁談がまとまれば、公爵家の憤りも少しは収まり、関係の修復に繋がるはず――そうした思惑もあり、国も全面的に協力している。それほど、マーズレン公爵家は重要な存在となっているのだ。


 私は彼らのあり方は嫌いではなかったし、むしろ自分が臣籍に下ったら参考にしようと思っていたくらいだ。

 このような事態になるくらいなら、もっと早い時期にシュザのことを含めて話し合っておくべきだった。シュザへの態度には、彼らなりの思惑がある……そう思っていたからこそ、(弟の成長に繋がっていると感じたこともあって)特に動くことはしなかったというのに。

 アイリーンの態度も、幼い頃に婚約を決められたことに対する抵抗感か何かだと思っていた。

 政略結婚が常である貴族社会では、生活を大きく変え、異性の他人と共に暮らすことになる結婚に不安を覚える令嬢は少なくないというのが、マーサの言であった。早熟なアイリーン嬢は、それが早かっただけのことだと。

 運よく良好な関係を築ける婚約者を迎えた私が言えたことではないかもしれないが、政略結婚で重要なのは家同士の繋がりであって本人同士の相性ではない。アイリーン嬢がシュザに恐怖心や嫌悪感を抱いていたのは気付いていたが、淑女の鑑と呼ばれているのだからいずれ当人同士で解決すると思っていたのは間違いだったようだ。



「それにしても公爵令嬢ともあろう方が、まさか失言で地位を失うとは。淑女の名が泣いていますよ」

「言ってやるなよ……。彼女達は怒って当然だろう。不貞を働かれたんだぞ」

「その割には相手にご執心だったようには見えませんでしたがね」

「軽口はそこまでにしておけ。誰に揚げ足を取られるか分からないからな」

 窘めはしたが、彼らの言い分も一理ある。アイリーン嬢達に同情はしても、多くの者はそれまでの感情しか抱かない。

 ……他はともかく、私の妃の座を狙っているかのような発言は解せなかった。あれはシュザやマーサを軽んじていると受け取られるだけでなく、「何故自分がシュザの婚約者となったかを理解していない」という意味にも聞こえるものだった。

 あれでは彼女どころか公爵家までもが「王家の命令した婚姻に異を唱えていた」と非難されて当然だろう。らしくない失態である。

 だからこそアイリーン嬢は単純な被害者と呼ばれず、彼女に厳しい意見を言う者が相次いだ。

 それでも彼女の耳にそれらが届いているかは微妙なところだ。

 結局のところ、マーズレン公爵家が貴族筆頭の地位にいることには変わりはない。家に守られている彼女に面と向かって苦言を呈する者は少ないだろう。現にアイリーン嬢に処罰を求める声に勢いがあったのは最初だけで、今はほとんどの者が陰口程度でしか話題にしようとしない。

 公爵側の働きも大きいだろうが、シュザ達の根回し不足が否めないのもまた事実。学園の内部を掌握することはできても、それらが全て王宮や貴族社会全体でも通用すると思いこんでいたのだろうか。あの学園に通っているのは次代の国を支える者達なのだから、間違いではないのだろうが……年長者を甘く見ている。

(私は、彼らを思い通りに動かせるとは思っていない。シュザは違っていたのか?)



「本当に、お前達には迷惑をかける。すまないな」

「そんなっ、殿下が謝られることではございません!」

「いや、私の気持ちの問題だ。普通ならば身内同士で行うべきことを、お前達に手伝わせているのだからな」

 よく見ると、彼らも疲労が見え隠れしていた。平気そうなのは体力自慢の騎士であるリュジーンとイヴァンぐらいのものだ。少し休ませてやりたいと思い、この場での作業を早めに切り上げることにした。


「少し早いが移動しよう。明日の会談場の設営と警備の状況確認がしたい。リュジーンとイヴァンはついて来てくれ。他の者は休んでくれて良い」

「「承知いたしました」」

 元々の予定を少し早める結果になったが、この程度なら誤差の範囲内で収まる。王族の予定は大抵が分刻みで決まっているが、全てが予定通りになるとは限らないので、多少の予定変更や調整も可能になっている。これはやるべきことが多岐に渡っているからだけではなく、警備上の理由が大きい。我々の身命の安全を守るため、護衛や警邏にあたる騎士による警備を問題なく進めていくためにも必要なことだ。


 ――そう、私達のためのものなのだ。本来なら、それに影響が出るような行為は控えるのが正しいはずなのに。


「……シュザ」

 移動中の私が見たのは、よりにもよって、当の守られるべき立場の人間が警備を――更には城内の風紀をも乱している光景だった。



◇02

 そこには悠然と歩く第二王子・シュザがいた。後方にいる私達に気付くことなく、連れ立っている娘と楽しそうに何かを話している。

「シュザ」

「……っ! 兄上」

 つとめて冷徹な声で呼びかけると、弟のシュザは苛立ちを隠しきれない表情で振り向いてきた。

 騒動を起こしたシュザには謹慎処分が科せられている。だというのに、彼は自由気ままに王宮内を出歩いていた。時には自身の派閥の者達や、本来ならこの場にいることすら許されない男爵令嬢を引き連れて。

「また、許可の無い者を城に招き入れたそうだな。お前は謹慎の意味を分かっているのか?」

「兄上には関係の無いことです。それに、許可でしたら母上からいただきました」

「王妃様の立場まで悪くさせるつもりなのか? これ以上の身勝手は、陛下にも影響が及びかねないのだぞ」

 己が母親のことを持ち出されても、シュザは「それがなんだ」と言わんばかりの態度を崩さない。

「何故です? 私は王家のために身を呈したのです! それを不名誉だの恥だの言われたくはない! 兄上だって……義姉上を侮辱されて平気なのですか?!」

「この件にマーサは関係無い」

 はっきり断言すると、弟は明らかに動揺した。私が賛同すると思っていたのか。

 確かに彼女への侮辱は自分のことのように腹が立つ。その点について令嬢達を許すことは永久に無いだろう。

 だが、私の愛する人はそれ以上に強い。そうした陰口程度など最初から相手にすることもせず、堂々と前を向いて実績を積み重ねていく人だ。

 そんな誇り高き女性を、くだらない私情で利用しようとする行為は絶対に許さない。

 何が王家のためだ。自分が嫌いな女と結婚するのが嫌だっただけだろう。


(お前もなのか。お前も大義名分が無いと、自分の意志を貫けないのか? お前の言う“国”とは何なんだ……?!)

「間違いは誰にでもあることだ。勿論、それが起きないようにすることが最も重要だが、その後どうするかも問われるんだ。アイリーン嬢達は謹慎処分を守り、学園や内定を辞した者もいる。問題とされた発言も、行き過ぎてはいるが元々はお前達の不貞行為を『婚約者として』憤ったことが起因している。貴族達の中には、お前達が男爵令嬢に誑かされて婚約者を貶めたと噂する者も出ているのだぞ」

「兄上までメアリーを侮辱するのですか!」

「私が問題視しているのはお前の方だ。話を逸らすな」

 当然だろう。何故、私が下位貴族の令嬢ごときを気にかける必要がある。

 シュザは自分が非難される立場にいることなど、欠片も理解していない。だからこそ、自分に向けられた言葉を他人に転嫁するような真似ができるのだ。

「気付いていないのだろうが、お前が度重なる諫言や忠告を全て侮辱の言葉だと感じるのは、お前自身がそう思っているからだ。お前が望んでいるのは隣に立ってお互いを高め合うパートナーではなく、己の自尊心を満たしてくれる格下の存在だろう。確かにアイリーン嬢はお前の理想とは対極の相手だ。婚約は不本意だったかもしれない。だがな、それは向こうも同じだと分かっているか? そのことについて彼女と話し合ったのか?」

 一気に問いかけると、シュザは唇をかみしめながら黙り込む。それでも視線を私から外そうとしない。以前は俯いてしまうことが多かったのにも関わらず、だ。

 単純に、わずかでも成長したからなのか、それとも後ろからそっと弟の手を握った娘の存在があるからなのか。

 パリエット男爵令嬢は何か言いたげだったが、この場にいる者の中でもっとも身分の低い彼女に発言権など無いし、こちらとしても与えるつもりもない。ここで私の挑発に乗るようならばそれを口実に追い落としてやろうかと思っていたが、予想よりも利口な女だったらしく黙ったままだ。

 私からしてみれば良い感情を抱けない女狐だが、シュザにとっては違うらしい。彼女の存在を再認識して自信を取り戻したのか、改めて口を開いた。

「確かにメアリーは私を肯定してくれました。ですが、それと同時に私の妃となるべく努力してくれました。私は彼女の存在があったからこそ自分を奮い立たせることができたのです。断じて優越感に浸っていたわけでも、メアリーを卑下しているわけでもありません。それに」

 そこまで言うと、表情を憎々し気なものに変えて吐き捨てるように言葉を続けた。

「……関わりを拒否してきたのは向こうです。あのお……あちらは私など居なくとも上位にいられると思っている。一族そろって私を下に見ていたのです」

「マーズレン公爵家は、確かに強大な力を持っている。だからこそ慎重に動くべきだった。彼らを不心得者と陰口を言う者は増えるだろう。だが、それでも彼らを失脚させるには不十分だったのはお前でも分かるだろう。結局、お前のしたことは貴族間に余計な亀裂を与えただけだ」

 マーズレン公爵家に思うところはあるが、今は弟に事実を告げる方が大切だ。自分勝手で浅慮な行動が、どれほどの影響を周囲に与えたのかを。

 私達がまた小さかった頃、シュザはとても素直な弟だった。王族としての重責を自覚するようになってから――アイリーン嬢と婚約した頃からは特に――ずいぶんと意固地になってしまったが、それでも兄弟の信頼関係は崩れていないはずだ。

「シュザ。今からでも遅くはない。彼らを家へ戻して、自室で大人しくしていろ。自分を省みていることを周囲に知らしめなければ、お前の方が不利になっていくばかりだ。今こうしている間にも、アイリーン嬢と南星国の王族との縁談は着々と進んでいる。このままでは、お前だけが取り残されることになるぞ」


 ――届いてほしかった、私の言葉は、願いは。


「兄上のご心配はありがたく思います。ですが……私にも意地があります。それに、我々も立ち止まっているわけでは無いのです」


 結局、届かないばかりか……。


「私は決めました。兄上、私は決して諦めません。妥協もしません。必ずやメアリーを妃として認めさせ、二人で国を導いていきます」

 その目は本物だった。

 思い返せば、これまでシュザが王太子となることに執着する姿を見せたことはなかった。「王妃の子だから」「国王陛下ちちうえの決定だから」……そんな受け身な姿勢だったように思えた。


 だが、今のシュザは違う。ただならぬ王座への意欲が感じられるのだ。そして、それは同時に――彼が私を政敵と見なした事実を意味していた。

 弟は気付いていたのだろう。自分の立場が危うくなったことで、私の立太子を期待する声が高まっていることに。私が、(必要と判断すればの話だが)その声に応えようとしていたことに。

「では、そろそろ失礼します。今の言葉……取り消すつもりはありませんので」

それだけ言うと、シュザは踵を返して立ち去って行った。他の者達も、私に一礼をしてから彼の後に続く。



(確かに……真央をより良く導いていくことを、私達はずっと望んでいた。その夢に向けて、お前はようやく具体案を見出せたのか。だが……隣に選んだのは私達ではなく、その娘なのか)

 認めよう。本来の私は無意識の内に父上と同様、身内に甘えを求めていた。父上達の行動を理想論だと思いながらも、王位継承が予定調和のごとく行われ、兄弟の間に争いなど起きるはずもないと信じきっていた。

(なんてざまだ……)

 だが、それを表に出してはならない。私は王族――直系の王子。王家の名誉を守らなくてはならないのだから。

 このまま立ちすくんでいるわけにはいかないと、歩き出そうとした時だった。シュザ達とは別の足音がこちらへ近づいてきた。



◇03

「兄上」

 声をかけてきたのは、弟のビャーコフだった。この国の第三王子でもある彼は、生母の身分故に立太子争いには参加できなかったが、それ故に私とシュザの両方と関係を保つことができている。

「シュザ兄上もご一緒だと伺ったのですが……入れ違いでしたか」

 その目は心から私とシュザのことを心配してくれているのが分かる。私達が鉢合わせたと聞いて寄って来たのだろう。輿入れの準備で忙しいマーサを除けば、ここ最近は、ビャーコフが唯一心を落ち着かせられる話し相手だった。

「視察の方は終わったのか?」

「はい。報告書を先ほど提出してきました。南は海に面している分、海上戦が手馴れておりましたね。船の上は波の影響を受けるので、バランスを保つのが難しくて……」

 楽しそうに話しているビャーコフを見ていると、騎士にさせて良かったと心から思うが、同時に羨ましいとも感じている。


 周囲の者達は、王子に生まれながら王位から遠い地位にいる彼を憐れんでいるが、言い換えれば、そうした立場故に彼は自由を手に入れられたのだと思う。


 ――同じ側妃の子でも、私にはできないことだった。長子で、母方の後見も能力も王位に近い自分には。



 ビャーコフが「騎士になりたい」と言い出したのは十歳の時だった。剣術や体力の方面は私やシュザより優れていたし、王位を継がない王族が騎士になる例は少なくなかった。そうした経緯もあって父上もその夢を許し、ビャーコフは学園の騎士科に進んだ。そして、才能を認められた彼の周囲には、武門貴族の子女が集まるようになった。

 弟の傍にいる若い騎士もその一人だ。確か、アレジオン辺境伯家の嫡男だ。文武共に能力が高く忠誠心も厚いため、弟や上層部が信頼している騎士の一人だ。将来は近衛または父親の西方軍入りは確実とされており、シュザ達には劣るものの同世代の知名度は高かった。

 その一方、武門貴族の典型らしい強い自尊心と独善的な性格の持ち主で、それ故に学園時代の自立傾向の強い女性騎士・官僚志望の女子生徒からの(仕事方面を除いた)評判はあまり良くなかったという。

 何故詳しいのかと言えば、彼の義妹がアイリーン嬢の護衛騎士として名を挙げられているからだ。


 アイリーン嬢の南星国での縁談は予想よりも早く整ったのだが、気になる点が一つあった。

『護衛騎士の身分は伯爵家以上で、実家の後見がしっかりとしている者にしてください』

 護衛騎士となる者は近衛から選ばれることが多いので、自然と満たされやすい条件だ。だからこそ、それをわざわざ最重要事項として提示してきた理由が分かりかねていた。

 だが、今現在の我が国の状況とアイリーン嬢の立場で言えば、それが選考を難しくしていたのは事実だ。



 騎士団における勢力図としては、私を支持する第一王子派と弟を支持する第二王子派の二つが有力勢力となっている。だが、シュザと婚約破棄する結果となったアイリーン嬢を第二王子派が護衛として引き受けるはずがなかった。

 ただでさえ、かの派閥に所属する(または予定であった)はずの女性騎士が少なくなっている。ニックスの元婚約者が騒動の責任を取らされる形で自主退学したのを皮切りに、彼女の影響下にあった女性騎士見習達が騎士の道を諦めざるを得なくなってしまったことが原因だった。その上、第二王子派の女性騎士は大半がアイリーン嬢の影響下に置かれていたため、彼女がシュザと婚約破棄された後に騎士を辞めてしまっていた。

 かといって、第一王子派にいる者から選ぶのも躊躇われた。真偽のほどや私の個人的感情の問題ではなく、アイリーン嬢が私の妻の座を狙ったかのような発言をした以上、こちら側で表立って彼女を庇護するような行為は憚られた。



 結果として、それ以外の人間――つまり、中立派とも呼べる第三王子派の騎士達から選ぶ必要が出てきた。その中で、高位貴族出身の女性騎士は部隊長の三人だけ。経験の乏しい新人を起用することを危ぶむ声もあったが、先方の条件が優先されたので仕方がない。そもそも紅玉騎士団の部隊長が伯爵家以上の家柄の子女で構成されているのは(色々と好都合な)偶然であり、ビャーコフは能力面を重視して彼女達を選んだので、その点はほとんど心配していなかったが。


 それに、実を言えば紅玉騎士団の面々に対しては国も別の思惑があった。

 彼らのほとんどは武門系貴族の中でも代々続く名門の出身で、能力面は非常に優秀なのだが、それと比例するように一癖も二癖もある人物が揃っていた。ヨシュアのように性格に難有りとされる者、一芸に特化しているが他に著しい欠点が目立つ者、思考が凝り固まって柔軟性に欠けている者――。

 これほどの曲者もんだいじ達を束ねるとは……ある意味これもビャーコフの才能なのかもしれない。

 ともかく、第三王子率いる訓練部隊――勘違いしている者も多いが若手揃いの部隊の扱いとしてはこの分類が妥当だ――がこのままでは困るというのが上層部の意見だった。

 第一王子派と第二王子派が緊迫しつつある現状で、第三王子派の騎士達には今後、多方面での活躍が求められる。現状に甘んじている彼らを『使える』人材にするためにも、彼らには何かしらの変化を与える必要があった。

 その最たる例が、目の前にいるヨシュアと、その妹であるヒィナだ。ちなみに、それを強く望んでいるのは父親であるアレジオン辺境伯だ。

 ちなみにビャーコフには知らされていない。弟には悪いが、周囲の変化を機敏に察知する能力を鍛えるためだ。

 父上は弟の善良さを好ましく思っていたが、同時に心配していたのだ。裏を読める人間にしなくてはならないと言われれば、私も賛同するしかなかった。


「そう言えば、アイリーン嬢の護衛騎士はお前の部下だったな。準備は進んでいるのか?」

「特に問題は出ていないと聞いています。そうだったよな、ヨシュア」

「はい。引き継ぎを含め、滞りなく進んでおります」

「分かった。部下を引き抜く形になって悪いな、ビャーコフ」

「お気になさらないでください。私も彼女も騎士の端くれ。国の命令に応えるのは義務ですから」

 当然のように言いきる弟に対し、ヨシュアの方はやや表情が固いようだった。この男は随分と義理の妹を可愛がっているようで、本心では長期かつ遠方での任務などさせたくないと考えているようだ。

 もっとも、彼の感情に気付けたのは私だけで、他の者には淡々と応じているようにしか見えていなかった。感情制御は貴族や騎士の嗜みとはいえ、理性の強い男ではあるのだろう。


 そう言えば、妹のヒィナも真面目そうな見た目を裏切らない、忠誠心と正義感の強い騎士であった。

 実直過ぎる性格は貴族社会では生きにくいだろうが、今この国が求められているのはそういった要素なのだ。誠実で謙虚な人間はそれだけで信頼される。それを狙って取り繕う者はいるが、相手とて上位の者としてそれなりの場数を踏んでいて、人を見る目に十分肥えている。表面的なものはすぐ見破られてしまうだろう。

 そういった人格も、彼女が選ばれた理由の一つなのだ。両国の関係改善とまではいかなくても、「真央国にも誠実な人間がいる」と印象を持ってもらえれば上等だろう。彼女には、最低限・・・でもそれだけはやり遂げてもらわなければならない。

 それ以上の結果を出すためには、彼女自身の努力が求められる。『兄や上司と離れた土地で、どのように任務を全うするか』が彼女の課題なのだ。境遇故に主体性に心配が残る彼女だからこそ、こうした経験が必要となってくるはずだ。

 無論、これらの課題は「彼らならできる」という期待も含まれている。そうでない者には時間を割くことすら惜しいものだからな。


「ヨシュア、すまないが先に行ってくれないか。私も後から行く」

 訝しげな表情になりながらも、後方にいたビャーコフの護衛達に指示を出してから、私達に一礼してヨシュアは立ち去った。

 わざわざそのような真似をしたのは、彼に聞かれたくない話でもしたいということか。案の定、ビャーコフは珍しくおずおずといった様子で話しかけてきた。ただし、内容は想定していたものではなかったが。

「あの、兄上に伺いたいことがありまして……。アイリーン嬢のことなのですが」

「なんだ? 言ってみろ」

「その、兄上は彼女の縁談に携わっておられますよね? 彼女が今、どう過ごしていらっしゃるかご存知でしょうか」

 意外な人物の名前が出て少し驚いた。公の身分は王子と公爵令嬢であり、私の立場でも弟と兄の婚約者なので接点は多少あったかもしれないが、この状況で気にかけるほど親しくしていたのを見た記憶が無い。

「婚約の方は順調に進んでいるが……お前、彼女が気になるのか?」

「ええ、いずれ私の義姉になる予定だった人です。それに……幼い頃に色々と励ましていただいたこともあるので」

「そんなことがあったのか? 初めて聞くな」

「まだ幼かった頃の話ですから。今の道に進む決意ができたのも、彼女のおかげです」

 ビャーコフは本当に懐かしそうに話している。

 確かに、母親の出自や第三王子という立場から、彼の陰口を言う者は少なからずいた。私達もできる限り支えたが、一時期ふさぎ込んでいたこともあったのは事実だ。そんな弟に対し、あのアイリーン嬢が声をかけて助言までしていたとは。

(そう言えば、あの頃も一番怒っていたのはシュザだった……あいつも知らなかったのだろうな。でなければ、弟の味方をしたアイリーン嬢をあそこまで悪く言うとは思えない)

「シュザ兄上のお気持ちも分かります。兄上は兄上で、葛藤したのでしょうね。……本当に申し訳ありません。学園にいたのに、私は何もできませんでした」

「それは気にしなくていい。お前も忙しかったのだろう? シュザの問題でお前が悩むことなど何もない。それより、シュザはお前に何か言ってこなかったか?」

「はい。件の令嬢との婚約が上手く進まないと……。私は最初、アイリーン嬢のことは何かの間違いではと思ったのですが、証拠は本物で……二人のことを思うと、何も言えませんでした」

 悲痛な表情をするビャーコフの肩に手を置いて、私は少しでも気をまぎらわせてやろうと話を元に戻した。

「アイリーン嬢は今、公爵領にいる。謹慎処分の名目だが、同時に才能を発揮して領地経営の仕事を手伝っているそうだ。護衛騎士も無事に選出できたし、このままいけば一年以内には出立の準備を終えられるだろう。警備面ではお前を頼ることになる。よろしく頼むぞ」

「お任せください。アイリーン嬢の御身は必ず私と、私の部下がお守りいたします」

 彼は真剣な表情で宣言すると、一礼をして部下の元へ戻った。



 そんなビャーコフを見て、「もしも」と思った。

 ビャーコフの味方という共通項を二人が見いだせていれば。

 アイリーン嬢の婚約者がビャーコフであったならば。

 そして先ほどはあえて言わなかったが、二人の仲を、もっと早い時期にビャーコフに取り持たせていたら。


 ――違う未来が訪れていたのではないか、と。


 過ぎ去った選択肢を想定するのは好きではないが、そう思わずにはいられなかった。



「殿下、いかがなされました?」

「いや……何でもない」

 どういう形であれ、弟二人は進む道を決めてしまった。同じ未来を夢見ていたはずなのに、それらはひどく離れてしまっていた道だ。

 だからといって、私だけが進むことを躊躇う言い訳にはならない。こんな私にもマーサや側近達、支援してくる者や私達の庇護を必要とする民がいる。何より、最愛の家族がいるのだ。動かなければ何も始まらず、何かを成すことも叶えることもできないのだ。

 気を取り直して先へ進んだ。

 私自身のやるべきことをするために――愛するモノを守るために。

今回は、「他人事だと思ったらー3ー」に出てきた第一王子セイリオス視点です。

今章では騒動の中心人物や「他人事だと思ったら」の主要人物達にスポットを当てていきたいと考えております。

完結までもうしばらくお付き合い願います。

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