↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/16

私が選ぶ恋

「……終わったんですか?」


 ノアの声がする。

 私は自分の胸に手を当てた。

 静かだった。

 今までずっとそこにあったものが、なくなっている。


「……はい」


 それだけ答えた。


 不思議だった。

 もっと何かが変わると思っていた。

 身体が軽くなるとか。

 魔力が変わるとか。

 何か大きなものを失ったような感覚があるとか。

 けれど、実際には――静かだった。

 静かで。

 少しだけ、寂しかった。


 私はふと、ノアを見た。

 そこに彼がいる。

 それだけで、少し安心する。

 この安心は、魔女のものではない。


 私はノアを見ている。

 昔の魔女が見ていたノアではなく、今の私が知っているノアを。


 私と一緒に歩いて。

 私の話を聞いて。

 私を気遣ってくれた人を。

 私は、少しずつ思い出していく。

 ノアが何気なくしてくれたこと。

 私のために立ち止まってくれたこと。

 私が困っていると、すぐに気づいてくれたこと。

 私が話すのを、急かさず待ってくれたこと。

 そんな一つ一つを思い出すたびに、胸が温かくなる。

 心臓はもうない。

 なのに。

 この気持ちは残っている。


「……私」


 私は小さく呟いた。

 それから、ゆっくりと息を吐く。


「……そういうことだったんですね」


「何がですか?」


「いえ……」


 私は自分でも少し可笑しくなって、笑った。

 今まで分からなかった。

 なぜノアといると嬉しいのか。

 なぜ彼が離れていくことを考えると嫌なのか。

 なぜ、彼のことをもっと知りたいと思うのか。

 魔女の心臓があったから。

 そう思っていた。

 けれど違った。

 心臓がなくなっても、何も消えなかった。

 むしろ今になって、ひとつひとつがはっきりしていく。

 これは私が感じていたこと。

 私が大切にしていたこと。

 私が、知らないうちに積み重ねてきた気持ち。


「ノアさん」


「はい」


「私……」


 言葉にしようとして、止まる。

 私はその感情を、急いで言葉にしなかった。

 ただ、しばらく大切に抱えていた。

 そしてようやく。

 小さく息を吐く。


「……きっと」


 自分に言い聞かせるように呟いた。


「私は、ノアさんのことが好きなんだと思います」


 口にしてみると、思っていたよりも自然な言葉だった。

 苦しくない。

 違和感もない。

 むしろ、ずっと探していた答えが、ようやく自分の中に収まったような気がした。

 私はもう一度、ノアを見る。

 そして思う。

 この気持ちは、誰かから渡されたものではない。

 魔女の心臓がなくなった今も、私の中に残っている。

 だからきっと。

 これは、私が自分で見つけた気持ちなのだ。


「……ノアさん?」


 驚いた顔で私を見つめるノア。


「あ……すみません」


 ようやく声を出したノアは、少し困ったように目を伏せた。


「まさか、そんな風に言ってもらえるとは思っていなかったので」


「……嫌でしたか?」


「まさか」


 ノアはすぐに顔を上げた。

 その表情は、いつもの落ち着いたものとは少し違っていた。

 嬉しそうで、どこか照れ臭そうで。


「嬉しいです。とても」


 その一言に、胸がまた小さく跳ねた。


「ただ……」


「ただ?」


「僕も、ちゃんと伝えなければいけないと思いました」


 ノアは一度息を整えるような動きをすると、私の目をまっすぐに見た。


「僕は、リゼット嬢が好きです。」


「……!」


「心臓も、魔女も関係ありません」


 ノアの声は静かだった。


「リゼット嬢と話す時間が好きです。あなたが笑っていると、もっと笑っていてほしいと思う。何かあった時には、僕がそばにいたい」


 少しだけ、ノアの頬が赤くなる。


「……自分でも、いつからそうなったのかは分かりません。でも、今はあなたの隣にいたいと思っています」


 胸の奥がじんわりと温かくなった。

 魔女の心臓は、もうない。

 誰かから受け取った感情に揺さぶられているわけでもない。


 それなのに、こんなにも嬉しい。


「私も、ノアさんの隣にいたいです」


 そう答えると、ノアはほっとしたように笑った。

 その笑顔を見ていると、私まで笑いたくなった。


「ふふっ」


 さっきまで、あんなに怖かった。

 心臓を終わらせたら、自分の中に何も残らないのではないかと。

 ノアへ感じていた気持ちも、すべて消えてしまうのではないかと。


 けれど、今は分かる。

 この気持ちは、私自身のものだ。

 誰かに与えらえれたものではなく、私がこの人と過ごす中で見つけたもの。


「ノアさん」


「はい」


「これからも、そばにいてくれますか?」


「もちろんです」


 ノアは迷わず答えた。


「……今度は、僕からもお願いしていいですか」


「何でしょう?」


「これからも、あなたの隣にいさせてください」


 その言葉に、私は頷いた。


「はい。喜んで」


 家を出ると、空は夕暮れに染まっていた。

 柔らかな風が髪をさらう。


  隣を歩くノアの横顔を、そっと盗み見る。


「どうしました?」


「……いえ」


「何か気になることでも?」


「ノアのことを見ていました」


 言ってから、また恥ずかしくなる。

 けれど、今度は目を逸らさなかった。

 ノアは少し驚いたあと、ふっと笑った。


「それなら、僕も見ていていいですか?」


「……恥ずかしいのでだめです」


 そんなやり取りをしながら、二人で歩く。

 ふと、ノアの手が私の手の近くにあることに気づいた。

 触れそうで、触れない距離。

 少し迷ってから、私は自分から手を伸ばした。

 指先が触れる。

 ノアがこちらを見た。


「……手を、つないでもいいですか?」


 私が尋ねると、ノアは一瞬だけ目を見開いた。

 それから、優しく笑って私の手を取った。


「もちろんです」


 重なった手は、思っていたより温かかった。

 私はその温もりを感じながら、前を向く。

 これから先、危険なこともあるかもしれない。

 心臓に守られていた頃とは違う、不安もきっとある。

 それでも、もう誰かの感情に答えを委ねる必要はない。

 自分の心で選んだ人が、隣にいる。

 そのことが、今は何よりも嬉しかった。


「ノア」


「はい?」


「私、あなたと一緒に、いろいろなものを見てみたいです」


「……僕もです」


 つないだ手に、少しだけ力がこもる。

 夕暮れの道を、二人で歩いていく。

 魔女の心臓がなくなった私の胸には、もう誰かの感情は流れ込んでこない。

 そこにあるのは、私自身の鼓動。

 そして、その鼓動が選んだ、たった一つの恋だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。