表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泉鏡花『幻の絵馬』 現代語訳  作者: らいどん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/19

XIII

 蝋燭(ろうそく)をかかげながら、和歌子が尋ねる。

「見える?」

「まだ」

 少しでも遠くを照らそうと、(そで)を背中へ引くように蝋燭をもち上げると、百枚ほどは並んだ大屋根の瓦が列をなして浮かびあがった。と同時に、木々を押し倒し、枇杷の梢を圧するように、和歌子の黒髪の大きな影が落ちる。屋敷の側から見れば、衣紋を半ばに抜いた凄艶(せいえん)な白蝋の仮面が、垣根越しにせり上がるように見えただろう。

 後刻、その姿を目撃した門番の爺やは、「ぎゃっ」と叫んで腰を抜かすことになる。

 今はまだ与四郎が、魔法の猿のように槙ヶ原の屋根を這いまわっているところだ。やがて破風(はふ)の引き戸を探し当てた小僧は、すぐさま戸の内にミミズクを放った。役目を終えてヌッと身を起こし、チョロチョロと(いらか)の波をつたい戻って、いきなり枇杷(びわ)の木をガサガサとざわめかせると、錦木の庭に帰還した。

「やったよ」

「まあ、嬉しい。……静かにして」

 十四分ほどは経っただろう。寝静まった槙ヶ原の家に、たちまち騒擾(そうじょう)が起こった。開けたてする戸や障子の音が(とどろ)きわたり、板戸や(ふすま)の倒れる音が、あちらでは()もって、こちらでは乾いた音をたてて鳴り響いた。悲鳴をあげる女の声。わめき叫ぶ男の声。真夜中の東京で、この広大な新築の屋敷だけが、七転八倒の騒ぎに見舞われている。あちこちの部屋の口々から、玄関へ、庭へ、台所口へと、人々があふれだすように、地震だ、火事だと駆けだし、飛びだしてくる。

 のちの話では、座敷から座敷へと火の玉が舞い飛ぶのを見たという者がいた。あるいは緋色の衣をまとった山伏が大股に寝床を踏み越えたという者もいた。なかには奥殿の霧之助が突如として錯乱(さくらん)し、大刀(だいとう)を振りまわしていると見誤った者もいた。範子(のりこ)という名の姫様(ひいさま)は、猿が布団にもぐり込んだのだと思った。この姫様は、慌て騒ぐ家族のなかで、なかば忘我の状態になり、奥の部屋に駆けこんできた料理番の女とすれ違って台所口から逃げだすと、「あれぇ」と悲鳴をあげた。

 例の門番の爺やは、屋敷の騒動で目を醒ますと、用心棒にでもなったつもりで高箒(たかぼうき)を小脇に取って出た。そこで姫様の悲鳴を聞いて駆けつけようとしたところを、和歌子の姿に腰を抜かしたのである。

 まことに恐れ多いばかりだったのは、当主ご夫妻の一件である。物音を聞いて御寝間で目醒め、一大事だと駆けこんだ家令(かれい)の声に立ち上がったところへ、開いた襖から(もぐ)りこんだのが、真っ赤なマントを舞い踊らせたミミズクだった。

衣服(きもの)に、火がついた」

 と仰せられると、奥方はあわてて裾をまくっただけで済んだのだが、子爵はご家風である鬱金(うこん)色の越中ふんどし一丁の裸体を、不幸にもさらすことになった。

 家中の人を呼ぶ姫様の声を聞き、玄関番の書生をはじめ、家扶(かふ)家従(かじゅう)、小間使いたちが物置前に押しよせてみると、枇杷の葉隠れに見えたのは、白衣(びゃくえ)姿の女だった。

 蝋燭を差しだした和歌子は、

「垣根越しにお見舞いを申し上げます」と、澄まして言ったのである。

 さて、その夜のうちに、しかめっ面の家従に書生がつきそい、それに交番の警官が加わって、錦木の家を訪ねてきた。表通りから露地を回って乗りこむと、いずれも血相を変えて問いただす構えである。対する和歌子は慇懃(いんぎん)に手をつくと、

「お恥ずかしい。鳥目ゆえのふつつかさで飼い鳥を逃がしまして……」

 と、しらじらしく言ったのである。

 そう言われれば、それ以上問い詰めるわけにもいかない。なかでも書生は、意気込んで握りしめていた太いステッキを、巻いたしっぽのようにして帰っていった。

 しかし、ミミズクである。

 この、魔の女の使者は翌早朝に、朝の嵐がサッと吹き、遠く飛んできた神社の大銀杏の葉がはらはらと舞いこむなかを、血だらけの死骸になって帰ってきた。

 執事の近藤友秀は、紐で縛った死骸を持ちこむと、こう伝えた。

「奥殿まで乱入したが、霧之助殿が、太刀(たち)でお仕留めに(あい)成ったぞよ」

 受けとったミミズクの死骸を前に、和歌子はにじんだ涙をぬぐった。散りこんだ銀杏の葉は、和歌子の(びん)にさした黄楊(つげ)(くし)をかすめて飛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ