XII
ニキビの引っこんだ悪党であれば、ここで見切りをつけただろう。だが目の見えない青二才だけに、気を削がれて短刀を取り落としていながらも、まだまだ、と掴みかかってきた。
「てめえ、女のくせに」
「なにをする」
「ギャッ」
相手の袖をかすめた手が、指を二本、逆手に取られて、ポキリと音がした。関節が外れ、折れた音だった。痛みに耐えきれず、久松市は叫びながら仰向けに転がった。
「あ、痛てえ、痛てえ、痛てえ」
足をもがき、胴をくねらせながらバタついて、どしん、どしんと畳を蹴る。
「畜生、あ、痛てえ、痛てえ、痛てえ、畜生」
気が動転して、足蹴にしようとする相手の場所も見極められず、いたずらに空を蹴っている。和歌子はといえば、目の前で軽く手を払うと、火鉢に掌をかざして、気にもかけない。焦って、悶えた按摩は、痛みを貯めこんだ気合いで跳ね起きると、猫のように畳に爪を立てながら和歌子の居場所を探り、つかみかかろうとした。
「ちょッ」と舌打ちをした和歌子が、スッと立ち上がる。立ちざまに電灯をパッとつけると、たちまち部屋は明るくなった。それ以前からうろたえて、心をかき乱していた久松市は、さらに盲人の優位まで失って、いたずらに地団駄を踏むばかりだ。和歌子の居場所を求めて、畳を摺り回りはじめた。
「畜生、畜生、食い殺す!」
和歌子は床の間の脇にある、千鳥の乱れ模様の表が波打って剥げている襖に身を寄せて、按摩の姿を、うつむいて、じっとうかがっている。半殺し程度にいたぶった蛇の頭や蜥蜴のしっぽが、足下でピチピチ跳ね回っているのは、あまり気持ちのいいものではない。ここにきて和歌子は、ようやく眉をひそめた。
不意に点った電灯とこの騒動に、籠のミミズクは、蓑のような体を燃やすかのように、赤いマントを翻しながら跳ねている。
その傍らの壁には、白羽の矢が七筋と、一張りの弓が立てかけられている。破魔矢や短弓といったたぐいのものだ。怪鳥ミミズクを威嚇し、こんな按摩を押さえこむための武器というわけではない。手持ち無沙汰な昼時を、楊弓遊びでやり過ごしているのだ。近ごろは河童が弓取りをするので、ますます熱が入って、杉垣に掛けた的を射っている。こちらは別になんの変哲もない的である。しかし、ともすると木戸のヘチマを狙って、斑模様の山茶花が咲いたように日向の縁側に片膝を立てると、矢を宙に向け、ぐっと弓を引きしぼって、ポンと音をさせて的に当てる。なかなか上手いものだが、垣根越しにのぞいていた男たちには、なんとなくそれが皮肉に思えて、参ったなと感じさせた。
「うー、うーん」
按摩は、紺絣の黒い腹を仰向けにして、カブトムシが裏返ったように、あまりの痛みから手足を縮めていたが、大きく息を吸うと、そのまま静かになった。
襖ぎわに立った白衣の和歌子は、その様子をうかがいながら、気絶したのかを確かめるために例の財布をドンと投げつけると、それが按摩のみぞおちを直撃した。またもや激しいうなり声をあげると、弾かれたようにムックリと起きあがって、最後の復讐だと、ドシンドシン、バタンバタンと暴れまわる。
門扉、木戸口、勝手口の開く音が響いて、近所の人々が出てくるなか、風のように露地から駆けこんだ者がいた。
「与四郎かい」
「奥さん……え、なんだ、このチキチキバッタは」
「畜生、畜生、畜生」
「与四公、つまみ出しておくれ、その虫を」
和歌子は、よくは見えないながらも、けなげにあたりを探る手つきをして、
「刃物を持っているだろう。切れはしないが、突かれると危ないよ。けがをするといけない」
「へっ、なんだ、こんな按摩なんぞ。生意気にローソクみたいにひょろっとしやがって。花政んとこの与四郎を知らねえか」
暴れまわる手を押さえて、襟首をつかむと、ズルズルと外へ引っぱりだした。
「畜生、交番に告訴してやる。お縄がかかるぞ、女郎、覚えてろ」
「おととい来やがれ」
落ちていた杖を拾って放り投げると、ひょろつきながら露地を去ろうとしていた久松市の脚に絡まる。そのまま前のめりにつんのめって、うつむけにぶっ倒れた。
「交番に告訴してやる、交番に告訴してやる。……縄をかけてやる、縄をかけてやる」
あまりのことに泣きながら捨て台詞を吐く助平按摩は、鼻血をダラダラ流している。
「ばかめ、縛られるのはてめえのほうだ」
不審を確かめに集まった近所の人々も、仔細を聞いて治まった。
「生意気ったらありゃしない」
思いだせば思い出すほど、あの按摩はウジ虫だと思えてくる。この魔の姫はますます癇癪を昂ぶらせた。それだけではなく、生き物のなかでも同じ人間の指を二本へし折って、目が見えないうえに手まで不自由にした気持ちは、けっして穏やかではないらしい。懐に手を差しこまれ、喉に短刀をあてられたときの、あの花のような微笑は、まさに青黒い憤怒に色濃く染まったのだった。
「見くびられた」
気高き気性の女にとって、ウジ虫に侮られたのは、鬼に虐げられるよりもいっそう悔しかった。和歌子は今になって、いっそうまなじりを吊り上げながら、与四郎と、彼が勢いつけて飛びこんできたせいで、木戸に忘れた影法師のようにちょろりと戻ってきた河童に食事をさせながら、何度も乳房の上を、白羽二重ごしに払う仕草をしては肩を震わせ、右手の二本の指を、左手で指輪をもてあそぶように触りながら、きつく握りしめた。
「生意気な……」
「鍋焼きうどーん」と、まだ木戸のそばにいる屋台の声がする。
折から聞こえてきた按摩の笛は、久松市が指の痛さに泣き叫んでいるかのようだ。
和歌子は、ふと顔を上げて寂しく笑った。与四郎と河童が鍋焼きうどんをかき込む音は、三人でおしゃべりをするよりも賑やかである。
「生意気ったらありゃしない」
そうだ、生意気といえば癇癪ついでに、裏の屋敷の槙ヶ原の御霊とかいう人形の件である。なにが白菊だ、霧之助だ。そいつらが目の見えない女を忌み嫌って、屋敷に凶兆を顕すからと、紋付袴の使者をよこした。生意気な。当事者の長女でもなければ、主人の子爵が来るわけでもない。……生意気な。
よし、奴らがおもしろい面をするのを見せてもらおう。人形の首実検にちょうどいい。こちらから差し遣わすにはおあつらえ向きに、上下をつけた御上使が一羽いる。
ミミズクを屋敷への使者として遣わすにあたって、屋根からミミズクを放つ従者の役目は与四郎に任せたい。それが務まるかどうか尋ねてみると、その答えには驚かされた。
「私ぁね、屋根屋のせがれなんですよ」
すぐに準備に取りかかる。小僧にミミズクの籠を持たせ、河童に蝋燭を点させた。火を点す河童の赤面も、籠をかかげる小僧の黄色い額も、そしてマントを羽織ったミミズクも、白衣姿の和歌子を前にして、前鬼、後鬼、妖しき識神が立ち働く姿を彷彿させた。
ミミズクの目と魂を鋭くし、耳を尖らせるために、和歌子はある提案をした。なるほどそれによって、ミミズクの目はいっそう炯炯と輝き、頭は尖ったのである。
和歌子は電灯を消させた。蝋燭の火がちろちろと、この妖しき空間を舐める。
「与四公、カミソリを出しておくれ。鏡台の二つ目の引き出しよ。紅猪口も伏せてあるから、それもついでに」
「なにをするんです、奥さん!」と、与四郎が叫んだ。
驚いたことに、和歌子はその紅猪口へ差しこんだ指に、カミソリの刃を当てたのだった。
「いやね、十日や二十日程度、小間切れの牛肉を食べさせるくらいの世話をした主人に対して、この大役をやらせるのはミミズクに申し訳ないからね。一気に千石加増の昇進をさせて、本当なら股の肉を切ってやりたいんだけど、そんなにひもじい思いもさせていない。そこまでするにも及ばないだろうから、ちょっとばかり指の先を削って、私の血と肉を食べさせてやるんだよ。
痛い……痛そうねえ、ほほほ」
和歌子はくすぐったそうに微笑むと、眉をひそめた。
「卑怯なものだね、人間っていうのは。覚悟はしても、いざとなると切れないものだね。与四公、お前がやってくれな」
与四郎は畳を後ずさりした。
「じょ、冗談じゃありませんや。そんな、むちゃくちゃな。……おじいさんに叱られます」
そのことばの裏には、かつて、和歌子の身の回りにそれとなく気を配れと言った、花政老の情けが籠もっている。
「告げ口なんかしないよ。黙ってりゃわかるもんですか。ちょっと切るだけだよ、指の先を削るくらい」
「奥さん、あの、なんですか、ミミズクが人間の肉を食うと……食うんですか」
「食いますでございますよ」
カミソリを見て、それで和歌子の指を削ぐというのを聞くと、一寸法師はなぜかいそいそとしはじめた。一閑張りの卓袱台の前面を、ヒョコヒョコと踊る足取りで、畳半畳を行ったり来たりと落ち着かない。踊りながら、一閑張りの縁を手拍子のように叩く。それが、トコトントコトントコトンと、遠く鳴り響く狸囃子のように聞こえた。そして、しわがれ干からびた老人の声で、こう言ったのである。
「股の身ならもっと甘露じゃろうけどもな、どこの肉でもいいが大好物じゃ」
耳まで裂けて爛れた口を、見えない目で見るかのようにした、和歌子の瞼のあたりがうっとりとした。
「お河童」
「ううッ」
「では、お前に頼むわ」
「ううッ」
それ以上のことばもいらず、白小袖の袖のわきから、水かきが張っていそうなあの手で、和歌子の真っ白な手首を握ると、赤面を傾けて手の甲にほっぺたを寄せた。
「あっ」
和歌子は眉をひそめた。カミソリが紅猪口の縁にあたってカランと鳴ると、和歌子の手に落ちた。一寸法師は刃物を使わず、黄色い前歯で指を食い切ったのである。蝋燭の灯の紅が宙になびくと、同じく紅い液体がしたたり落ちる。
「お退きよ」
和歌子には、赤面を藍色の血相に変えた、その凄まじい形相は見えていない。けれども指を離そうとしないのにカッとなって、河童を突きのけた。
「血も紅猪口に入ったの?」
「ううッ、ううッ」と河童が答えた。
「ミミズクどのに食べさせておくれ」
「ううッ」
ミミズクの目がいっそう膨れあがって光った。籠から一寸法師の腕に伝い出た妖しい姿に、さすがの与四郎も頭から半纏をひっかぶる。
和歌子の手から吹き出す血は、くしゃくしゃに当てた懐紙を幾重にも染めていた。
「食べるかい」
「ううッ」
「食べて?」
「啖らうた、啖らうた、ご馳走様にござりまあす」
「およこし」
和歌子はミミズクを抱いたのである。カチカチとくちばしの鳴る音がして、もくもくとその面と胸がふくれた。羽ばたく翼は魔風を起こし、蝋燭の炎を煽ってはねじ伏せる。
「さあ、私の身代わりになって、お前、槙ヶ原の屋敷に入って、その目で白菊の顔を見ておやり。霧之助というお小姓の家来がいるんだとさ。そんなものにかまうことはない。白菊だよ。
与四公!」
「ええ」と、半纏からきょとんとした顔を出す。
「しっかりとおし。頼んだよ、さあ」
与四郎はミミズクを抱き取ると、魂が入ったように武者震いをした。
「やっつけろい」
「あっ、下駄はいらないぜ。どうせ脱ぐんだから」
蝋燭を手にした和歌子は、鉢植えを前にした縁の雨戸脇にすらりと立つ。垣根にちらばる散りかけの山茶花と、彼女の裂け乱れた紅い肌衣は、火影に薄紅の対をなした。
庭に降りた一面の霜に、幽かな月明かりが針のような光芒をきらめかせている。そこへ和歌子は、一寸法師に袖を引かせながら、与四郎に続いて裸足で降り立った。
すでに手はずは整っている。ミミズクを抱いた与四郎の黒い影は、屋敷との境界である杉垣に足をかけてすらすらと上ると、大きな枇杷の木にのみこまれた。さらさらと風が伝うように、葉ずれの音が梢のなかに伝わると、枝の先で槙ヶ原の裏の物置の屋根に抜けた。そこからすこし離れた先には、高波を虚空に連ねるかのように、母屋の棟が続いている。
与四郎は身を構えた。そこまでは、夜空に片鎌槍を打ちつけたような三日月が、屋敷の影に見え隠れしながら輝いていたが、それが大庭のかなたにある唐松の葉影に隠れると、あたりは闇に包まれた。
まるで黒猫のように、与四郎は背筋を高くして立ててふり向くと、
「灯りを。奥さん、暗くて見えない」
密 (ひそ)めた声が、枇杷の梢を伝って霜に響くかのようだ。
和歌子は白衣の裾をたくし上げると、赤らんだ膝と、霜より白い脛を惜しげもなくさらしながら、杉垣に登ろうとした。だが、見えぬ目でそこからは動けない。一寸法師を引きよせて、その背から肩へと足をかけると、スッと立ち上がった。雪のような衣紋が垣を越えてせり上がる。ハラリと落ちた裳裾は、河童の皿の綿帽子になった。
「ううッ」
「静かに……」




