第六譚
今が一番、苦戦しているかもしれない。
最初の頃は、勢いで俳句が書けていたのだと思う。
それで、段々と変化を求めていた時期も、楽しくできていたと思う。
でも、今になって、何を書いたらいいのかという、シンプルな悩みに直面している。
『ランゲージハーレムで天涯孤独、偶然と必然だけを信じている、答えがあるものと降りてくるものがすべて、トイレでアイデアの神が降臨する』
みたいなキャッチフレーズを、自分に付けたことがあるくらいだから、なんとか、やっていけそうな気がする。
今日も楽しんで、俳句を作っていこうと決めた。
★春歌と 間違い耳に フード紐
という俳句が生まれた
これは言葉の通りだ
イヤホンと間違えて、着ていたパーカーの紐を耳に入れてしまった
それを読んだ俳句だ
少しストレート過ぎたかもしれない
説明的なニオイも、若干あるだろう
春歌としたところが、どう受け取られるか、気になるところだ
★トレモロで塞いだ耳に篠突く雨
という俳句を思い付いた
トレモロの曲をイヤホンで聞いている、という場面だ
それが、見た人に伝わるだろうか
トレモロも、あまりメジャーな言葉ではないから、伝わるか心配だ
トレモロという演奏法が入った曲を、イヤホンで聞いていても、激しい雨はそれを突き破ってきた、みたいな俳句だ
評価はどうなるだろうか
★白雲の間 青空の道 稲光
という作品が思い浮かんだ
これはドライブをしているときに、白い雲のあいだに、青色の道路のような縦の少し太い線のようなものが現れたことを書いた句だ
それはかなりハッキリとしていて、空にも道があるよと、走りながら感じていた
すると、急にその空の道に、稲光が現れた
ビカッとキレイに光った
滅多に出会えないような不思議な現象で、ずっと心に刻まれていた
それをそのまま書いたのだが、どうだろうか
最初の字余りは、評価を下げるポイントにはならないのだろうか
★枠内に山吹色を塗る夜長
という俳句ができた
これは塗り絵のことだ
夜長にゆったりと、その時ハマっていた塗り絵に没頭したことを書いた句だ
秋らしい、柔らかな句になっているのではないだろうか
塗り絵のことだと、みんなが分かってくれるなら、評価はまあまあ良いと思う
★近づきも離れもしないひつじ雲
というものが生まれた
この俳句は、車を運転しているときに、浮かんだ
こっちはある程度のスピードを出して、移動しているのに、同じ場所に雲がずっといるみたいだと感じた
何をしても、ずっと同じ場所にあるように感じた
雲って不思議だなって思った
それを俳句にしたのだ
もどかしさと、幻想感、みたいなものの共存を表したのだが
これは、みんなに伝わるのだろうか
★梅雨明けの車窓虹色のジーパン
という作品が生まれた
これも車を運転しているときだ
梅雨明けの晴れた日だった
運転していると、太もも辺りに、七色の光が射した
それはそれは、美しいものだった
それを素直に書いた句だ
五・七・五には綺麗に収まっていないが、いい句だろう
★秋夜長 クロスワードと 白湯と布
という俳句が生まれた
みんな素直に書いたものが多い
これも文字の通り、秋の夜長に白湯と布で暖まりながら、クロスワードを解いたことを書いただけだ
布というものが、膝掛けのようなものだと、分かるかどうかだ
俳句を作れば作るほど、よく分からなくなっていく。
いい作品がどのようなものか、全く見当がつかなくなってくる。
でも、その奥深く難解なところが、みんなを惹き付けるのだろう。
まだまだ、ずっとずっと、俳句を書き続けることでしょう。