Ep2-4 罪と罰、生命と死、そして終わらない夜と明ける夜
第1日目の終わりのお話です。
「くぅん、くぅん」
妹は慰めるように、慈しむように俺の頬をなめ続ける。
「・・・・・見捨てようとして・・・・・・・ご・・・、め・・」
あふれる涙。止まらない謝罪。
自分が情けなかった。
みじめだった。
そして、自分に吐き気を覚えた。
謝罪を繰り返す。
だけど、妹は何のことかはわかっていない。
生まれて間もない為、何も理解できていないのだ。
わかっていることはこちらが涙している事だけ。悲しんでいる事だけ。
わからないため、純粋にこちらを慰める。
それ故に、その無邪気さは鏡のようにこちらの醜悪さを映し出していた。
結局のところ、謝罪しているのは自己満足のためにすぎないのだと。
自己弁護をしているだけなのだと思い知らされる。
「罪を犯してもやり直すことができる」
「罪は償う事ができる」
そういった言葉は、罪を犯した者にとって非常に都合のいい言葉なんだろう。何せ、最終的には「許し」という免罪符で心を軽くすることができるのだから。
「罪を犯しても、何とも思っていない」
例えそう思っていようとも、心のどこかでしこりが残っているものなのだから。
故に許しを得ようとする。
故に、多少でも善行を行い罪の意識を和らげようとする。
では、被害者にとってその言葉は?
それは一種の呪いではないだろうか?
『被害を受けても、加害者のために罪を忘れてあげなさい。』
『その被害はなかったことにしてあげましょう。』
そういわれているも同然ではないだろうか?
被害者よりも加害者にやさしい言葉。なんて都合がいいのだろうか。
では被害者が被害者であることに自覚がない場合は?
最初から罪などなかった、そういわんばかりの解釈ができるのではなかろうか?
そういった考えが頭をよぎり、自分の下衆さ加減に嫌気がさす。
責められた方がまだ気がまぎれる。
なじられた方が、まだ心が軽くなる。
ここで『罪など犯していなかった』、そう思うと恐らく俺の《心》は壊れてしまうだろう。
唯の醜悪な獣に成り下がり、そして朽ち果てていく。その経験は魂の奥底に蓄積され、どんなに相転しようとも浄化されることはない。腐り果てた魂に成り下がる。
そうならない為に、堕ち続けないように、ただそれだけのために自分で自分を責め続ける。
罪を罪として認識してもらえない、免罪符という名の呪いに悩まされ続けるのだろう。
だけれども、結局は自分の事しか考えていない。自分を救うためでしかない。
自分を責めることでしか自分を救えない、醜悪な自慰行為。
きっとそれは俺にとって必要なことなのだ。
色々と失敗して、己に失望して。
だけれども、少しでもまともな兄貴になれるよう努力するために。
家族を守るために。
ぼとっ
どれくらいの時間、その場で涙していたのだろうか?突然の異音に我に返る。
何の音だ?
見回してみても何の変化もなかった。
犬(母親)の死体。陸鮪の死体。
妹も気になったのか、キョロキョロとあたりを見回している。
ぼとっ
さらに異音。
なんだ?
頭が急激に冷えてくる。何かを忘れている気がする。
致命的な何かを。
今すぐに思いつかなければならない。今すぐに気が付かなければならない。
悲しみはなりを潜め、現れる焦燥感。
何かに気が付かなければならない。
何かに
そして頭の中で爆発する危機信号。
鮪はなぜ襲ってきた?
襲われた時に、何を後悔した?
恐らくは母親の死体から流れ出てくる血臭。
いまだに横たわるそれに、さらに鮪の死体。
それだけではなく、先ほどまでの騒ぎが他の野生の獣を呼び寄せる可能性は?
俺は、すぐにでも安全な場所に移動しなかったことを後悔しなかったか?
まさに背筋が凍るとはこのことなのだろう。
まだ危機を完全に脱したといい難い状態で俺は何をしているのだろう。
何度、同じ失敗を繰り返せば懲りるのだろうか?
「?」
妹はこちらの様子がおかしいことに首をかしげている。
恐らくこちらの危惧を理解していないのだろう。生まれたてであることを考えれば、野生の危険性を理解することはまだ難しいのだろうか?
なんにせよ、妹を連れて速やかに離脱しなければならない。
いや、離脱する時間があるだろうか?すでに結構な時間を浪費してしまった。
離脱するよりも、隠れることを考えるべきか?
ここで慢心して、くる敵はすべて返り討ちにしてしまえばいい、などとは考えない。
俺も妹もボロボロである、というのが第一。
そもそも返り討ちにできる敵とは限らない。俺たちは生まれて間もないのだ。そうそう、返り討ちにできる様な敵ばかりとは思えない。ある意味、こちらを甚振った鮪ですら、倒せた、という事を考えると幸運だった、といえるかもしれない。
そして、どのくらいの数の敵が現れるかわからない。例え弱い敵であっても、囲まれてしまえば数で押し切られる。よほどの力、体力を持っていないと無双などできないだろう。
ベストは逃げる。次点で隠れる。
逃げるにしても、俺の右手(右の前足)は傷みがひどく使い物になりそうもない。正直、長距離の移動は無理そうだ。
よって隠れるしかないだろう。
どこに隠れるか?
あたりを見回していた眼がとらえたのが古木の洞。10mほどだろうか?よく見ると倒れた古木――――結構な太さの木――――が朽ち倒れており、どうも中に入れそうな洞がある。好都合だ。
このまま隠れても大丈夫だろうか?
何らかの偽装をしなければ危険では?
正直に言うとこのまま隠れるのは不安である。現場からさほど離れることができない、という事に加え、俺も妹も出血している。そして、汗もかいている。
鼻の良い獣であれば、感づかれてもおかしくないのでは?
しかし、方法もだが、そもそも時間がない。浪費してしまった時間を考えると今すぐにでも移動しておきたいところだ。
ではどうするか?
それが効果があるかどうかはわからない。しかし、短時間でできそうなことといえば限られてしまう。
俺は、その場で地面の上を転げまわる事で、全身に土を付着させる。無駄かもしれない、だけれどもやらないよりもましかもしれない。
一縷の望みをかけ、やれることをやっておこう。
当然のことながら妹にも同じようにするよう指示をする。遊んでもらっているとでも思っているのだろうか?若干、楽しそうな妹の姿が俺の焦燥を少しだけ緩和してくれた。
ふっと気が付くと、なんというか嫌な空気が流れてくる。
どういえばいいのだろうか?粘着質な空気?のしかかってくるような威圧感?
徐々に逃げ場がなくなっていくような、追いつめられるような感じといえばいいのだろうか?
なんにせよ、タイムリミットが近い。すぐにでも行動しなければ間に合わなくなる。
「・・・・・こっちだっ!!」
小声で妹に声をかけるとおとなしくついてきてくれる。良かった。
朽ちた古木は幸いなことに母犬の死体の反対方向にあった。少しでも離れられる。そう考えながらも、何事もなく隠れ続けることが可能だろうか?そういう疑問が出てきてしまう。
わからない。
どのくらい隠れていればいいか?
わからない。
わからないことだらけで、誰かに教えてほしい。
今まで勉強では明確な問題と答えが存在した。学生という立場では、それだけを考えていてさえも普通に生活はできた。
だから俺は世間というものはよく知らない。
本当に生きていく、というものがどれほど大変なことかを考えたことはない。
きっと生きていく上で、正確な答えなど存在しないのであろう。
できることは後悔をしないように1秒1秒を一生懸命に生きていくこと。
まさに一生分の命を懸けて生きていくこと、それしかないのだろう。
たとえ、ここで命を落とすことになろうとも。
答えの見えない闇の中、希望の見えない絶望の中。
俺は、ただひたすらに、生き延びるためにあがき続けていた。
空気が硬質化したかのように体の動きを阻害する。
背筋が凍ったかのようにひんやりとする。
恐らくはそんなに時間がないだろう。妹をせかすが、むしろ俺の方が足を引っ張っているようだ。右手(右前脚が)傷みがひどく使えない。もしかすると折れているのだろうか?
それでも止まることなく一歩、一歩、歩みを進めていく。
どんどんと強くなる圧迫感。呼吸がしづらく、自然と荒くなっていく。
少し進んではこちらを振り返り、と妹ははしゃいでいたが、流石にこの異常に気が付いたようだ。不安そうにあたりをキョロキョロと見渡す。
「・・・・良いから急げ!!」
小声で注意するとおとなしく従ってくれる。
あと三メートル、二、一。
時間が進むたびに強くなっていく絶望感。
生き残れるのだろうか?
トトトッ。わずかに聞こえてくる足音。
しかも一方向からだけでなく、四方八方から聞こえるように感じる。
急げっ!急げッ!!
焦る気持ちに後を押され、洞に飛び込む。
聞こえてくる息づかい。
間に合った!!
歓喜にも近い感情があふれてくるが、同時に絶望的な気持ちがこみ上げてくる。
殺気というものだろうか?
今にも首に死神の鎌が押し当てられているような、今にも刃が心臓をえぐりそうな感覚で、体の震えが止まらない。
おびえる妹をなだめるように、そして外から隠すように覆いかぶさる。
荒い息は無理やり抑え込む。
できることはやった。あとは運を天に任せるだけだ。
気付かないでくれ。
そして死神たちは現れた。
どのくらい大きいのかもわからない。どのくらいの数がいたのかもわからない。確認しようと思った瞬間、恐怖で目を開けておくことができなかった。
気付かれないよう、祈りながら、ただひたすらに目をつぶって息をひそめていた。
気付かないでくれ!!
聞こえてくるのは争う声、そして悲鳴。
吐く息は荒々しく。
鈍い打撃音。空気を切り裂く音。
水の飛び散る音、だけでなく、なぜか爆音、それに伴い熱気が押し寄せてくる。
気付かないでくれ!!!
戦いは終結したのか?
いつまでも消えない気配。だけれども、殺気と呼べるような気配はなりを潜めていた。
やがて布を裂くような、水をすするような音が響き渡る。
ばりっ!!がりっ!!ずずぅっ!!
臭ってくるのは生臭く、そして鉄のような香り。
気付かないでくれっ!!!
どれほどの時間、そうしていただろうか?
どれほどの時間、祈っていただろうか?
何の音も聞こえなくなったころには時間の感覚がマヒしていた。
終わったのだろうか?
それとも、まだいるのだろうか?
怖くて目を開けることができない。
だけれども、確認しなければ安心できない。
葛藤に葛藤を重ね、勇気を振り絞り少しづつ目を開く。
と
10mほど先に
漆黒の狼がたたずみこちらをじっと見つめていた。
ぞっとする。
死を覚悟する。
その巨体は俺の何倍もあり、
その足はしなやかで、力強く
何よりもその瞳は静謐で、王者の風格を備えていた。
死
今晩、何度目の感覚だろうか?
だけれども、いま味わっている感覚は、
初めて感じるほどに強烈な死のイメージを俺に与えてくる。
戦うか?
戦いにすらならないだろう。
命乞いをするか?
言葉が通じるのだろうか?鮪の前例があるのでとても通用するとは思えない。
逃げるか?
予想できる。五体満足であったとしても、とてもではないが逃げ切ることは不可能だろう。
どうする
どうする、どうする
どれほどの時間、自問自答していただろうか?
一瞬か?それとも一時間だろうか?
ふっと
狼は、こちらに興味を失ったかのように踵を返した。
徐々に遠ざかっていく狼。
引いていた血の気が戻ってきていたころには
俺も妹も気を失っていた。
森はあらゆる生命に恵みと死を与える。
それは、どんな生命に対しても平等であり、絶対だ。
この世界にきて初めての夜、俺は己の未熟さと醜さを自覚することとなる。
森は俺の弱さを浮き彫りにする。
それは森からの手痛い洗礼。
そして、無事に夜は明けたのだった。
今回まではどうしても主人公は自虐的になっています。やや、鬱陶しい部分や、自己満足的な部分がありますが徐々に成長していってくれる事を祈ります。
次回からは少しは明るくなる予定です。
最初の予定ではどんどんお話を進めていこうと思いましたが、主人公が己の能力を考察するためのお話を何本か差し込もうと思います。前章、幕間のお話はいらなくなるかもw




