花は汚れて、甘い甘い雨が降る
私とさぁちゃんは親友。無二の親友。親友同士隠し事なんかないよね。嘘の親友ならアレだけど、ガチだったら。
さぁちゃんの笑顔は、今の言葉とは裏腹に何も変わっていない。互いが幽霊みたいな存在で、幽霊とまた別次元を生きる概念的なものが互いを認知はできるものの触れ合えないようなかんじ。
「政子さ。あたしは政子のものじゃないんだよ。
進路も恋も好きな歌も、全部あたしが決めるんだよ。政子に口出しする権利なんて、ガレットの原料に含まれる蕎麦の実一粒分すらないわよ」
さぁちゃんは多分怒っていない。ただ今まで言わなかったことを淡々と述べているだけなのだろう。眉間に皺も寄ってなければ、声も上擦っていない。
「あたし、安くんの告白を受けるよ。
今日バレンタインだし、あたし今から安くんにチョコを渡す。鞄にはもう安くんへのチョコが入ってるんだ」
嘘だろ?
安だぞ。
あんな奴と付き合っても有益なことは
何もない。そんな無駄な時間を過ごしてどうするさぁちゃん!?
「さぁちゃん!? 嘘でしょ!?」
そんなのダメよ。一瞬の過ちが一生の後悔になるなんて、高二の時に性教育の授業で習っただろ!? 変梃な感想文書かされたでしょ!?
「ガチだよ。あたしのことを好きでいてくれる人が現れるなんて、こんなありがたいことはないじゃん」
おかしいおかしいおかしい。安がさぁちゃんのことなんか愛してる訳がない。愛してるとしたら私だよ。断じて私のほうが考えてるし、付き合いも長いじゃん。
「私のほうがさぁちゃんのこと考えてるよ!」
触ったら消えそうなさぁちゃんの撫で肩を抱き寄せる。
「わかってるよ。政子の気持ちは。でも、政子は友達じゃん。彼氏って言うのはベクトルが違うのよ。政子はあたしの恋人になるの?」
そんな訳にはいかないのだが、でも!
「ほら。政子はやっぱり政子だね。そこが政子の良いとこだよ――でもね。判断するのはあたしなんだよ。
政子。大丈夫だって。あたしもともと美術系女子だから、少々の変態とかサブカルチャーは範囲内よ。
てか、もし安くんが悪い奴だったら別れるし、その時助けてよ」
さぁちゃんが微笑む。
それは、私に笑顔をもたらすことはない。
自分の言葉で、伝えるしかなかった。
「さぁちゃん。勉強はどうするの? 塾だけで大丈夫? 勉強も付き合うよ」
「ううん大丈夫。百パーセント勇気で頑張るから♪」
さぁちゃんはそう言うと、私の肩にもたげた。
「花円」は、外界とは遮断された、私とさぁちゃんだけの空間。
なのに、なんでだろう。
さぁちゃんを感じない。
さぁちゃんがもの凄く遠い。
いつもと同じことをしているはずなのに。
気持ちが重ならない。
何も満たされない。
「さぁちゃん。何でだろう。私怖い」
私の未来に、さぁちゃんがいない。
「あー!」
声を上げても解決しない。無為な一刻がまた一つ繰り返されるだけ。さぁちゃんの艶髪の匂いも、今は化学薬品のような不健康なものにしか感じられない。さぁちゃんは綺麗だけど……さぁちゃんを構成するものは、一体何なの?
「さぁちゃん……」
もうダメだ。こないだ安に感じた嫌悪感以上のものを、私は今のさぁちゃんに抱かざるを得ない。天国に潜む悪魔じゃん。
「政子は大丈夫だよ。政子だったら大学行ってもすぐ友達とか、彼氏もできるよ。政子はコミュ力担当だもん。にひひぃ~」
今の私にコミュニケーションのかけらもない。私の半分は今や失われた。さぁちゃんは、誰のものでもない。そんなことわかってたのに、私はさぁちゃんではない。私はさぁちゃんにはなれない。さぁちゃんになれない私は、さぁちゃんを感じることができない。
つまり、それって?
『チューしたげる』
いつぞやのさぁちゃんの言葉が、胸にこみあげてきた。
そうだわ。私はさぁちゃんの唇を奪う権利は有している。他の奴等に先んじて、誰にも渡せないものを、私は今すぐ手に入れることができる。
私は無言のままだった。
恋人繋ぎの指にこれ以上ないくらい力を込めて、沸騰する。沸騰しきった体は、瞳は。もう涙にすらならない。
大体さぁちゃんは羨ましいよ。可愛いもん! 可愛いから結局誰かが手を差し伸べてくれるもん。当たり前じゃん。ただふわふわしてるだけなんだからさぁちゃんは。空っぽなんだよ。だから安、岩上を受け入れてしまう。何なんだよさぁちゃんは。相手の思い通りじゃん。動かし放題じゃん。そしたら相手もそれで満足する。それってどうなのよ!?
それに引き換え私は全く――友達とか便利な言葉を使って、互いの体を擦りあって、神経を気持ちしているだけ。そんなのいつか虚しくなる。心がないなんて悲しすぎる。だから心を注ぎたい。唇に幾重にも連鎖する青春を手に入れさせてあげたい。
私は、さぁちゃんに猛烈なものを伝染そうとしている。この精神の火照りを、肌や身体の穴という穴を剥き出しにしてさぁちゃんに注ごうとしている。巻き込ませようとしている。そしたら違うものが見えるかもしれない。てかもう、見えないとヤバい。さぁちゃんの、続きを。心の中を――
「どんな常識とかも、無視しちゃっていい?」
今、私が考えていることは、世の中の流れには全く望まれていることではない。
さぁちゃんの瞳は探求の瞳。生きる力そのもの。
空の青が全部剥がれる。私の中へと注ぎ込む。その青を全て足しても青いままの感情の吹き出しとして、何でそう言ったのか、全くわからない。たださぁちゃんは可愛いという現状と、唇の未来、そしてシチュエーション。
「花円」に秘められた二人だけの宇宙がなぜ宇宙かと言うと、息ができないから。息ができないから、私は? くる・し・い……?
離れていく。何が?
何って――さぁちゃんが。
「政子。何してんのよ? 無理だよ」
嘘でしょ?
「さぁちゃん!」
「ごめん。そう言うことじゃないんだよ政子。ごめん。カトレアは手向けておくから。ごめん」
ええっ!?
えええっ!?
ええええっ!?
ここは「花円」。さぁちゃんのもの。さぁちゃんのものなのに私だけが置き去りにされていく。ビニルハウスの薄い扉の音だけが僅かに通り過ぎて、本当に私だけが取り残されていく。
嘘だろ?
嘘って言ってくれよ?
なぁっ!
一瞬の過ちは一生の後悔――一瞬の同情で一生を棒に振った父の二の舞にはさせないぞ!
さぁちゃんの背中を掴み、持っていた学校指定の鞄を奪う。
「な、何すんのよっ」さぁちゃんの眉間に皺が寄るも、そんなことは知らない。運動部だった私にお花畑の女の子が勝てるはずはない。さぁちゃんの鞄から、多分さぁちゃんが安に渡すために拵えたチョコを取り出す。何だよもう。バレンタイン用に包装されやがって。包みを両手で引きちぎり、箱の中身をとにかく口いっぱいに頬張る。どんなチョコレートかなんかどうでも良い。少しでも早く味よなくなれ。安にあげる!? そんなことは認めない。さぁちゃんは私のものなんだよ。私が認めた人じゃないと、愛を注いじゃいけないんだよ。父のように素敵な人だからこそ、毅然とすべき時は毅然としなきゃいけないんだよ!
カカオまみれになったであろう私の唇の色は、想像もしたくないほどに汚い色。
さぁちゃんの目つきは完全にいつものものとは違っていた。瞳の下には隈が涙のように現れ、眉間の皺は地割れのように濃い。小さな口を半開きにして、放心状態。私が母を見るような、きっとそんな表情。
私は、やってしまった。
一瞬の過ちは一生の後悔――
●
数分後、私が引きちぎった包み紙を、さぁちゃんは何も言わずに拾い始めた。私は汚い色の唇を拭うこともできず、路傍の糞と化した。包み紙を粗方拾い終えると、さぁちゃんは去っていってしまった。一縷の涙すら見せずに――
二人だけの「花円」だった場所に、私だけ閉じこめられてしまった。
カトレアの強い薫りに吐きそうだ。
今目の前にある一輪のカトレアが、今はさぁちゃんを讃えている。
さぁちゃんは、この一輪のカトレア。
ただそばにあって、それだけで意味がある。
一輪のカトレアのように、いつまでもいつまでも意味があって欲しかった。いつまでもいつまでも――
私のために。
何でだよ。
何で安とか、あんなしょうもない男を好きになったんだよ。これからの人生、お先真っ暗じゃないか!?
さぁちゃんの頬には伝わなかったものが今、私の頬を幾重にも流れている。唇にこびり付いたチョコレートにも伝い、咽ぶと、悲鳴が心の底から溢れ出た。「花円」にこだまする私の声は、叫びは、ただただビニルハウスのなか、私に跳ね返ってくる。私の行いが私を傷つける。私は、私なんだよっ!
気付いてしまった。
私はさぁちゃんではなかった。
私は綺麗でも可愛くもない、鈴木政子じゃん。
「花円」は、私には荷が重すぎる。出ていきたい。でも出ていったらどうなる!? 「花円」に込められた二人の日々は? 私達の気持ちは偽物!? 追
っても間に合わない。安はさぁちゃんを手に入れる。大丈夫か安は!? さぁちゃんと付き合うということは難しいことなんだぞ。まるで今日のように、太陽を盗まれた女がここにいるように。
命がいつか終わるように、清楽館からも出ていかなければならない。さぁちゃんは誰かのものになって、私は大学生になる。
涙とチョコレートと湿気だらけの「花円」にいた私の腕には、汗が染みつき、今もまだ噴き出していた。不意にその汗を拭い、舌を伸ばしてみた。
これは汗じゃない。
蜜だ。
さぁちゃんが残していった、可憐な蜜。
鈴木政子と言うしょうもない女獣を、何とか人間の形にしてくれる奇跡の一滴。
私は気付いてしまった。
何でこんなことに今まで気付かなかったんだろう。この答えさえあれば、私の気持ちは全て語り尽くせる。心の中はさぁちゃんでいっぱい。気になって仕方ない。全部知りたい。触りたい。抱きたい。抱き潰したい。堕ちたい。一緒にいたい。先を知りたい。誰よりも早く、誰よりも深く、誰よりも誰よりもーー
私はさぁちゃんが好き。




