清らかな花、斬撃
私だけもやもやした気分のなか、岩上もさぁちゃんもスポーツをやり終えた後のような爽快な表情で着席し、卒業式に向けたガイダンスが行われた。
清楽館の卒業式は、講堂で式典を挙行した後、敷地内にある『すみれホール』にて立食形式のパーティーが開催されるのが恒例。そこには父兄が多数現れるらしい。鈴木家からは五十路の母がそういう権威的なものが好きだから来るかもしれないが、来てもコミュニケーションは取りたくない。
ガイダンスの合間の休み時間、私は意を決して星組に向かった。
「さぁちゃんおはよ~」
「ああ、政子じゃないっすかぁ~」
なぜださぁちゃん。
いつもと全く変わらない笑顔なのはなぜなんだ。私の手をぺたぺた握る子犬はさぁちゃん。紙縒みたいな女の子。これこれ、これなんだよ。
「さぁちゃん、後で渡したいものがあるんだぁー」
「えぇ!? なぁにぃ政子ぉ?」
「『花円』に行ってからね♪」
さぁちゃんは私に何かくれないのかな?
おこがましいのかもしれないけど。
「何だろうなぁ。全っ然わっかんないよぉぉ」
嘘つけ。こっちの嘘は許せる嘘だが。
嘘と言えば岩上を思い出す。岩上のほうをちらりと見るが、こちらのことは何も気にしてはいない感じ。
私の居場所はさぁちゃんだけだよ。
「さぁちゃん。勉強は忙しい? 終わったら、卒業旅行行こうね」
私は信じているから。
だからさぁちゃんも、私を信じてほしい。
●
数日ぶりの「花円」が心を落ち着ける。カトレアの強い薫りも、さぁちゃん成分が不足する今の私にはちょうど良い。
さざれ石のベンチに腰掛けて、今日も私達にはストーリーは訪れない。今日もきっと、今までと同じ日々が続くと信じている。だってもう、本当はわかってるんだ。卒業が近いこと。そして。
いや、この先は例え心の中だけのことであっても、口にしたくはなかった。
「さぁちゃんは、『花円』の手入れはしていたの?」
「うん、塾に行く前かな。毎日じゃないけど水やりとかはしてたよ」
「へぇ。そうなんだ」
何だよさぁちゃん。
その余裕はあるじゃんか。
「政子は何してたの?」
「あたしは、ぶっちゃけ何もしてなかったな」
「車の免許とか取るのにちょうど良い時期じゃん。政子はもう一八歳でしょ」
「あ。そっか!」
そうだった。今の私には、できることがたくさ
んある。車の免許もそうだし、同じ大学に推薦入試で合格した人のSNSを見つけて交流を図ったりとか、本来やることはいっぱいあるはず。
「もう慌てる時間じゃないのぉ~政子。きっと時間の流れは早いよ。あっと言う間よ」
さぁちゃんは笑顔で喋ってるけど、カトレアの薫りが、今日は一段と強いわね。
それは、違和感のようなものに思えた。
「何かさぁちゃん。今日の『花円』、これまでと違う種類のカトレアを持ってきたのかなぁ? 匂いが、濃いよね」
別に嫌なんじゃない。ただ、これは私が落ち着ける薫りとは、ちょこっと違う気がする。
さぁちゃんは私の瞳を見ながら喋りだした。
「実は政子。
昨日あたしさ。洋ランの展示会やってるから行ってみたの」
へぇ。
随分と余裕がありますなぁ。受験生なのに。
「洋ランの展示会なんかあるんだね」
「そうだよー。世界中から色んなカトレアとかが集まるのよ」
なるほど。じゃあ連れてってくれよ私もそれに。
「楽しかった?」
「うん!」
なぜだろう。さぁちゃんが喜んでるのに、私は素直になれない。
「誰と行ったの?」
私の心が震えているのを察知したのだろうか、それとも私のことが怖いのか? さぁちゃんは口ごもってしまった。
やっぱり、さぁちゃんの感性は危険すぎる。これではまるで私の父と同じではないか。変な奴に騙される。騙されたまま、麻痺した感覚を幸せと勘違いしてしまう。正しい人生を歩めなくなってしまう。「花円」の綺麗な花達が汚されてしまう。
――さぁちゃんの判断は絶対に間違っている。
「さぁちゃんは男子とか、人に対するセンスが無さすぎるよ」
何かもう、おかしい。私が見てきたさぁちゃんと何か違う。
「そうかもしれないねー」
しかしながら、さぁちゃんは遠慮の素振りこそ感じ取れるものの、悪びれることもなく、さぁちゃんは抵抗しなかった。
「それはわかってんだ?」
「わかってると言うか、ズレてるよね。あたしの性格と一緒で。でもあたし、芸術系志望だから、少々の変態は許容範囲よ」
さぁちゃんが芸術系志望だなんて知らなかったぞ。
「さぁちゃん、芸大行きたかったの?」
「いや別に芸大に的は絞ってないけどさ。そう言うことをしていたいの。『花円』もその一環だよ。芸術イコール絵とか彫刻だと思ったら甘いぜ政子さんよぉ」
そこ何でべらんめぇ口調になるのか意味わからないが。
でもショックだよ。
「こんなに一緒にいたのに、今まで何でその話がなかったんだろう」
お互いの進路の話をする時間ならいくらでもあったはずなのに。
「政子……」
「てかさぁちゃん。三月入試なんか本当に合格できる見込みあんの? 芸大だよ! 高校入学した時から対策しないとキツいじゃん!
こんなこと言いたくないけど、本当に勉強してんの? 嘘ついてない?」
こんなこと言うために二人きりになったんじゃない。でも、もうさぁちゃんを信じられないよ。
「三月入試は本当にやるよ。ダメなら浪人する。あたしは、嘘はつかないよ。
あと、さっき政子が言ったことだけど、あれはね。簡単なことなんだよ。
政子が聞かなかったからだよ」
よくもまぁあっさりと言ってくれるじゃないか。
「でも、さぁちゃんが教えてくれなかったから!」
苛立ち、貧乏揺すりも隠さない私に、さぁちゃんは表情一つ崩さない。その笑顔が今や沸々とこみ上げる腸の熱を感じるほどに。
だめだだめだだめだ。さぁちゃんに対して怒りなどこみ上げる訳ないじゃないか。さぁちゃんは女神。「花円」は天国。カトレアは天使。楽園が楽園であるために。私は口に出そう。父の二の舞のような人生を歩ませてはならない。これはきっと私に課せられた責任でもあろう。「さぁちゃんのセンスは危険なんだよ。安とか言うダサい男もそうだけど、今日の朝には岩上と仲良く写真撮ってたじゃん。
厳しいようだけど、このままじゃ高校卒業した後のさぁちゃんはヤバいよ。私もできるだけそばにいるけど、悪い人に騙されちゃうよ。さぁちゃんは家が金持ちだから何とかなってるだけで、このままだと単なるニートじゃん。ねぇ!? 安のどこが良いの!?」
どうか、どうか伝わってくれ。私はただ、さぁちゃんが正しい方向へ向かうことを願っているだけなんだ。
さぁちゃんはただただ天使なんだよ。
「あたし変な子だからね。あたしのこと興味持ってくれてる人いたら、すぐ好きになっちゃう」
そんなこと言わないでよ。私に全部任せろよ。
「でもさぁちゃんがそんなんで騙されたら、私、堪えられないよ」
さぁちゃんが私を見つめてくれる。それだけで、私は人生に意味を感じることができるんだよ。
「そうだね。政子。あたしって、ダメだよね。そーゆー思いとか、もっとちゃんと分かりやすく受け入れないとダメだよね。
でもね。
政子にあたしの全てを知らせないといけない義務あんの?」
私は声も出なかった。




