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それはきっと、番外編。  作者: 些稚 絃羽
立花幸多×菅野湖陽
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18/25

家族になるという事(幸多)

「素敵な人に、出会えたのね。」

そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみなかった。

家を出る前から緊張しっぱなしで、鼓動の速さを正確に測る事すら難しい程だった。彼女の家までの道を歩いているのは不思議な気分で、少しだけ小さな彼女を想像してみたりした。そんな俺の背中を彼女が叩く。相変わらず手加減なしで痛いけど、彼女の応援が伝わって本当に気合が入った。

カメラを向けた男を弟だと紹介されたのは驚いた。不意打ちに家族の1人と対面して緊張は増す。でも実君は好青年で、話してみると彼女の弟だなとすぐに納得できた。兄ちゃんになる、それが決定事項みたいに言われて家族として迎えられていると思うとくすぐったくも胸が温かくなった。僕も母さんも立花さんの味方、と言われた時は喜んで良いやら友行(ともゆき)さんに申し訳ないやらで複雑だったけれど。

友行さんとは殆ど目が合っていない。きっと娘の彼氏に良い顔をする父親は少ないとは思う。殴られるかもと覚悟はしていたけれど、避けられるくらいならいっそ殴ってくれた方が良いとまで考えてしまった。でもよく考えてみると何だか逃げているみたいで、そうされなくて良かったと思う。

両親の話が出て、自分でも驚く程落ち着いて話す事ができた。隣に彼女がいてくれたからだろうか、それとも彼女の家族だからだろうか。もしかしたらどちらもなのかもしれない。

実君の問いに答えた。どうして彼女が良いのか。伝えた全てが想いの全てではない。他にも沢山、挙げきれないくらいある。でもあの問いの明確な答えになったのかは分からない。俺は彼女を選んだ訳ではなくて、彼女に引き寄せられたのだと思うから。彼女が良いというよりも彼女じゃないと駄目だから。

それでも俺の拙い言葉を批難する事なく受け止めてくれた。彼女を甘やかしてやりたいのだという想いに心配までしてくれた。そして、素敵な人だと言ってもらえた。俺と彼女が出会えた事を喜んでもらえているという事が嬉しかった。そんな大層な人間じゃないけど、自分を褒めてもらえると父さんと母さんを褒めてもらえた様な気がして誇らしかった。初めてそんな風に感じたんだ。


その後、まりさんと湖陽は夕食の用意のため台所に入ってしまった。並んだ2人の背中はよく似ていた。その母娘の姿が愛おしく思えた。

リビングに残された男3人、空気は何とも言えなかった。友行さんとは言葉は疎か、目も合わないまま。瞼が閉じられているからどんなに合わせたくても合わせてもらえない。

見かねた実君がこれまで撮った写真を見せてくれた。今はカメラ会社に勤めていていずれはカメラマンになるのだと話す。中性的は顔立ちだけれど好きなものを語るその表情はとても凛々しく力強かった。そういうところも彼女とよく似ていると思う。広げられた写真はどれも、思わず顔が綻ぶ様な暖かくて幸せな場面が切り取られていた。走る子供達、手を繋いで歩く老夫婦、笑い合う家族、欠伸をする猫、飛び立つ小鳥達――。それは彼自身の優しさを映し出している様で、そしてこの家族への愛を表している様でそれが妙に羨ましかった。

「……幸多さん、どうかした?」

実君に声を掛けられてふと我に返る。心配そうに眉を下げる彼に、苦笑いに似た笑みを返す。

「写真がね、幸せそうですごくいいなって思って。

 そしたらちょっと両親の事を思い出したよ。」

「……どんな人だったか、聞いても良い?」

そんな風に言われて素直な気持ちで答えた。

「父さんの事は覚えてないんだ。でもその代わり母さんが

 父さんはすごい人だって何度も話してくれていたんだ。

 母さんは俺が18の時に亡くなるまで1人で頑張って。

 すごく愛情をかけてくれた事が分かっていたからこそ、

 何もしてあげられなかった事をずっと後悔してた。

 ……こんな風に世界が輝いて見える事はなかったな。」

実君の目には世界はこんな風に写っているんだね、と加えた。

小さな子供を挟んで3人で手を繋ぐ親子の後ろ姿を撫でる。微笑む横顔は何度撫でても消えなくて少しほっとする。平面で温かみもない紙の上で、その家族の幸せは確かにあって暖かくて、永遠であれと願った。

「……じゃ、今は?」

「ん?」

「今は、どんな風に見えてるの?」

真剣な眼差しが向けられる。疑っている訳じゃなく、ただ純粋な疑問なんだと思う。でもその中に彼女の弟としての心配もあったのかもしれない。答えなんて1つしかなかった。

「輝いてる。彼女に出会えてからずっと。」

彼女がいてくれるだけで世界は違って見えた。自分から愛したくて堪らなくて、愛したら止まらなくて、そんな気持ち知らなくて。人は誰かを愛した時、こんなにも優しくなれるんだって知った。そして霧が晴れるみたいに自分を大切に思ってくれる人を鮮明に感じた。彼女と出会って全てが初めてで、やっと自分自身を見つけられた様な、そんな気がしている。

「そっか。良かった。」

「お待たせー!」

実君の呟きにまりさんの声が被る。それでもちゃんと彼の優しい声は聞き取れた。離れていた間もずっとこうやって姉を思い続けていたんだろう。またこうして2人が姉弟として肩を並べられている事が自分の事の様に嬉しかった。


5人で囲んだ食卓に不思議な感覚がした。ただ大人数で食べるからじゃなくて、1つの家族の中にいる事が喉を少し詰まらせる。1つ1つ箸を進める度、これは彼女の味だとかこっちは微妙に違うとか、そんな事を考えるだけでも目が熱くなった。進みの遅い理由に気が付いたのかは分からないけれど、隣の彼女が席を立つ度に俺の肩に触れてくれて気持ちが穏やかになった。


「泊まっていってよ。」

まりさんの御厚意に結局のところ甘える事になった。何の用意もしていなかった俺を実君が手厚くもてなしてくれる。新品の下着までくれて、寝巻きにと一番サイズの大きなジャージを出してくれた。押されて押されて一番風呂まで頂いてしまったし。軽くシャワーを浴びるだけにしようと思ったのに、実君が徹底的に教えてくれたおかげでしっかりと菅野家の風呂を堪能してしまった。

「お先に入らせて頂いてすみません……。」

本当に良いのだろうかと心配になる。もう今更だけど、友行さんは嫌がってはいないだろうか。それが一番の不安だ。

「あ、やっぱりそれでも小さかったか。」

俺のジャージ姿を見ながら実君はがっかりした様に言う。彼も170cmくらいはありそうだけど細身だから俺とは体型が合わない。でも手首と足首が覗くくらいなもの。気にする程ではない。

「大丈夫だよ、ありがとう。」

「いや、寧ろダサい格好させてごめんなさい。」

「え、気にしてないけど……。」

変なところまで気を遣ってくれて何だか面白い。もし自分に兄弟がいたらどんな風だったんだろうか。


「幸多君。」

唐突に名前を呼ばれて、俺だけでなくその場にいた全員が友行さんに視線を移した。目を泳がす様に俺をちらと見て座りなさい、と続けた。

遂に来た、と思う。あれだけ頑なに避けていた友行さんが俺を呼ぶ。何を言われたとしても真摯に受け止めよう、それが俺の責任だ。彼女と家族になるとはそういう事だと言い聞かせて、向かいのソファへと腰を落とす。

「お前達は出ていなさい。2人で、話がしたい。」

その言葉に3人の顔に戸惑いの色が見えたから、俺は振り返って小さく頷いた。俺は大丈夫。そんな思いを込めて。

向き直った背後でドアの閉まる音が聞こえた。リビングに2人、正直居心地の良くない時間が流れる。友行さんの次の言葉を待つ。外から鈴虫の鳴き声が聞こえてきた。


「……僕は湖陽を、ちゃんと愛せていた自信がなかった。」

やがて発せられた言葉は意外なものだった。こんなにも彼女への愛を感じるのに、自信がなかった?

「湖陽が家を出て行った理由を聞いているかい?」

「はい。話してくれました。」

「そうか、君には何でも話しているんだな……。」

そう言って小さく笑ったけれど、そこに寂しさの様なものが見えた。彼女の事だから巻き込みたくなくて言わなかったのだろう。それでも家族からしてみれば話してくれない方が寂しい。そんな小さなすれ違いがあった事を知る。

「湖陽は親の贔屓目なしにも良い子でね、我儘を言ったり

 強請ったりする事も殆どなかった。

 聞き分けが良くて、大人しいけど明るく優しい子。

 でもそんな風にさせていたんだと分かったんだ。」

ふー、と長い溜息が吐かれる。

「必死だった。言い訳に過ぎないが、がむしゃらだった。

 仕事が大変な時期で、まだ小さい湖陽と実を満遍なく

 気遣ってやれなかった、今ではそう分かる。

 だけどあの頃は十分できていると思っていた。

 だからあの子の事を悩んだり深く話をする事もなかった。

 ……湖陽が手元を離れてきて、本を沢山読む様になって。

 いつの間にか表情の差も気付けなくなっていた。」

あの子に真剣に向き合わない間にあの子は表情を作るのが上手くなってしまった、とそう零す声が震えていた。俺はただ耳を傾けた。

「女の子が大人になるのは早い。そう言い聞かせて

 誤魔化して、気付いてからもそのままにした。

 どうすれば近付けるかなんて分からなかったから。

 ……だからあの子が。今にも泣きそうな顔で、

 好きになってくれた人を傷付けた、と話した時、

 何も言ってやれなかった。何もしてやれなかった。

 僕はあの子の事を何も分かってやれてなかった。」

閉じられた瞼には何が映っているのだろう。言葉で聞いても彼の蓄積した思いを知る事は難しい。

きっと彼女は何かをしてもらう事なんて望んでいなかったと思う。そう考えてしまうのは無責任だろうか。

「家を出ると決めた事、止められる訳がなかったよ。

あの子自身が望んだからじゃなくて、それ以上

何も出来ない自分を自覚するのが怖かった。

 だから平気な顔をして、送り出す事ができたんだ。」

ゆっくりと開かれた瞼の隙間から優しい色をした瞳が覗く。俺を視界に捉えて、彼女に似た柔らかな笑みを浮かべる。慈しむ様な、深い愛を湛えた笑みを。

「湖陽がこの家に帰ってきた日、玄関に立つあの子を見て

 幻かと思った。……そのくらいもう諦めていた。

 心から楽しそうに笑う顔をいつ振りに見ただろう。

 大切な何かができたんだろうと、すぐに分かったよ。」

――信頼できる仲間と、それから君と。

鋭さも皮肉も憂いも含まない、穏やかで優しくて、心地良いそよ風みたいな声が語りかける。目の前が自然とぼやけて、その笑顔がふるふると震えだす。今度は堪えきれずに一粒流れ落ちた。


「愛せていないなんて、そんな事絶対にありません。」

考える間もなく言葉が零れ落ちる。

「友行さんと彼女はとてもよく似ている。自分の思いを

 小さく見ては足りないって、もっともっとって。

 だけどちゃんと伝わってます。彼女の心にちゃんと。

 だから彼女はここに帰ってきた。受けた愛の暖かさを、

 その深さを心が覚えていたから。またそこにありたいと

 願ったから、彼女は自分でここに帰ってきたんです。」

言葉にする度、例え様のない思いが幾つも無言の雫となって落ちていく。もう伝え合えない思いとか、これから伝えられる気持ちとか。失ってから得るものだとか、持っているのに気付ないものだとか。

どうして人はこんなにも不器用で愛おしいのだろう。悲しくて、嬉しくて、幸せで、幸せで。

「……ありがとう。ありがとう。」

友行さんは顔をずぶ濡れにした俺を笑う事なく、ただそう呟いた。どんな表情をしているのか今の俺には分からなかった。それでもその声があまりに安らかで、暖かすぎてまた泣けた。



「はい、どうぞ。」

「ごめん、ありがとう。」

手渡された濡れタオルで目を押さえる。熱を持った瞼に冷たい感触が心地良い。

あの後、俺の涙が止まった頃に彼女が戻ってきた。控えめなノックの後に俺の泣き顔を見て何があったのかとおろおろしている姿に心が凪いだ。

友行さんと挨拶を交わし、連れられるまま彼女の部屋に入った。座らされ、待っていて下さいねの言葉に大人しくしていると彼女は濡れタオルを用意して戻ってきた。

「大分赤くなってますね。腫れるかな……。」

「今まで腫れた事ないし、大丈夫だと思う。」

俺の返答に、だと良いですけど、と呟く様に言う。そしてじっと見つめるから、その雰囲気に耐え切れなくなってどうしたのかと尋ねた。すると何も言わず、すっと手を伸ばされて細い指が瞼に触れる。

「……こうやって家族になっていくのかな。」

「ん?」

「家族って、明確な形はなくて名称みたいなものだけど、

 笑い合って、その人の為に泣いて。大切にしたい気持ちが

 人を家族にするのかなって考えてました。」

誰しも気付けば誰かの家族でそれを当たり前に過ごしていく。だけど『家族』という枠組みがあるから家族になれるんじゃなくて、心に育つ想いが家族にしてくれる。確かにそうかもしれない。

不安がない訳じゃない。未来を考えるといつだって不安や戸惑いは付き纏う。けれど正解なんてないからこそ、俺達は俺達なりの家族にきっとなれる。完璧になんてなれないのだから、欠けていても歩みが遅くとも俺達にしかなれない家族に、なっていこう。

コツン、と触れ合わせた額から体温を分け合って静かな部屋で2人、少し先の未来を互いに思い描いていた。



翌朝。用意を整えて連れ立って降りたリビングは朝の匂いがした。味噌汁の香りに包まれて、母さんとの食卓を思い出す。

「おはよう。」

「おはようございます。」

口々に挨拶が返ってきた。用意された朝食を有り難く頂く事にする。

「実、寝癖ついてるよ。」

「だから姉ちゃん、それは良いんだって!」

いつまでも子供扱いするなと、味噌汁を啜りながら顔を顰める。流石に24で姉にそんな注意を受けるのは恥ずかしいだろう。姉弟の会話に笑みが溢れる。

「ほら、笑われたじゃん!」

「いや、いいなって。姉弟の会話。俺、一人っ子だから。」

そう言うと実君は箸を置き姿勢を正して俺に向かい合う。

「やっぱり、兄ちゃんって呼んでも良いですか?」

え、と間の抜けた声が出た。純粋に嬉しい。『弟』の存在が少しくすぐったくて照れくさい。自然と手で頭を掻いた。

「……うん。」

「あ、照れてる?」

「や、そんな事は。」

しどろもどろに返すと笑われてしまう。彼女といる様になってからキャラが変わったと千果に言われるのは、多分こういうところなんだろうと思う。誤魔化す様に咳払いをする。

「兄ちゃんができるの嬉しいな、本当に。」

「まだそんな話は聞いてないぞ?」

友行さんが仏頂面で新聞を捲りながら実君の発言に異議を唱える。話す機会を作ってくれようとしているのが分かった。不器用で、何とも可愛らしい人だ。

俺は居住まいを正す。友行さん、まりさん、実君。1人ずつ、今日この日を心に刻む様にしっかりと呼び掛けた。それぞれ合わせた瞳が窓から差し込む光を写して輝いていた。最後に隣に座る愛する人を見る。その瞳に自分の真剣な顔が写って少し自信がついた。


「彼女と出会って、人を愛する気持ちを学びました。愛して

 もらえる事の尊さも。全ては彼女が与えてくれました。

 私はそんな彼女と、湖陽さんと、家族になりたい。

 私達なりの家族の形を作っていきたいと思っています。

 ……そして皆さんとも家族になりたいんです。」

この4人の輪の中にありたいと思うから。不要だとしてもどうしても伝えたかった。

「夫として息子として兄として、家族になりたい。」


「こんな挨拶、初めて聞いたな。」

今の気持ちのまま言葉にしたら、友行さんの言葉が耳に刺さる。でも謝る事はしない。偽りない気持ちをなかった事にはしたくなかったから。胸を張って受け止めた。

「初めてで……何と言うか、心に残るな。」

「嬉しいわ。私達にもそんな風に思ってくれて。」

「兄ちゃん……。」

やっぱりこうやって家族になっていくんだな。そんな思いで彼女を振り返る。見上げるその睫毛が濡れていて、俺は愛おしくて笑いかけた。応える様に笑ったその顔は涙を堪えているのかぎこちなかったけれど、大好きな笑顔に変わりはなかった。



絵空事みたいな幸せが目の前にあって。それは蜃気楼みたいに不確かではなくて。

触れた手を握り合う様に、濃く柔らかく暖かで甘やかな、揺るぎない幸福。

永遠を願うよりもただ今を、この一瞬一時を両手で掬うみたいに愛し大切にしていきたい。

そう思うから今日もまた、手を取り合って微笑み合う。


 

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