全ては1つになって(湖陽)
彼との2人きりの旅行から1ヶ月が経ち、チームの皆からのからかいも静まった頃。私達LTPにも明日から夏休みがやって来る。先月休みを頂いた立場としてはこんなに休んでいいものかと恐縮もするけど、
「休める時に休まないと忙しくなった時倒れちゃうよー。」
という沙希ちゃんの言葉にそれもそうだと納得する。噂では今年の末頃にかなり大きな仕事が来ると言われているから今が休み時かもしれない。
「菅野さん、金城さん。夏休みのご予定は?」
珍しく男性陣のいないブースで、夏依ちゃんが興味津々といった風に聞いてくる。予定、か。
「特には決まってないよ。」
「私もー。ちょっと遠出したいとは思ってるけど。」
そう答える私達に、思った答えと違ったのか夏依ちゃんが肩を落とす。そうですか、と言いながら遠い目をする横顔は1年前と比べてとても綺麗になったと思う。
「今年は皆で旅行はなさそうですね……。」
「どうして?」
「だって皆さん、カップルになっちゃったし。」
理由を聞いても私にはどうしてそれだから旅行がないと断定されるのか分からなかった。顔に出ていたのか、夏依ちゃんが苦笑する。
「皆さんが良いって言ってもこっちが気を遣うんで。」
「まぁ、それもそうだよねー。」
沙希ちゃんもそれに同調する。カップルとの旅行は何か気を遣う事があるのだろうか。そんな経験がないから分からないけど、そういうものなのかもしれないと無理やり納得する。そうしていると夏依ちゃんがまた声を上げる。
「林田さんと千果さんって今どんな感じなんですか?」
聞かれて2人揃って首を傾げた。林田君は毎日楽しそうだし千果さんも前以上に優しく笑う。だから良い方に向かっているんじゃないかとは思うけれど、本当のところはどうなのかは知らない。わざわざ聞くのも違うかなとも思っている。
「てんちゃん、他人の恋は気にしないのが大人よ。」
「何が大人だ。すぐ首突っ込む癖に。」
背後から声がして振り返ると、幸多さんがドアを閉めているところだった。他の2人の姿は見えないから先に戻って来たらしい。他の部署への引き継ぎを男性達に任せてしまって申し訳ないなと考えていると、目の前で口論が始まる。
「失礼ー、まるで私が人様の恋を荒らしてるみたいに。」
「面白がって根掘り葉掘り聞いてくる奴が何を偉そうに。
そっとしとけっての。」
「言っときますけど、立花さんを面白がってるだけです。」
「それが問題なんだよ!!」
そんなやり取りを聞きながら、この2人は仲良しだなと夏依ちゃんと一緒に笑っていた。
その夜、彼の家でいつもより真面目な顔した彼と向かい合っていた。
そろそろ帰る時間だと片付けをしていた私に話がある、と彼が声を掛けてきたのは数分前。テーブルの向こうに視線を彷徨わせている彼がいる。その空気が何とも言えなくて、一体何の話だろうと身構えた。
「……お願いがあります。」
「お願い、ですか?」
うん、と頷く彼が固い表情のまま、意を決した様に口を開く。
「この夏休みの間に……ご家族にご挨拶したい。」
その日を想像した事は勿論ある。家族と久しぶりに会って笑い合った時、実に彼の事を話した時。どんな私でも受け止めてくれた彼を、もう一度あの家に帰る勇気をくれた彼の事を、皆に知ってほしいと思った。私をこんなに大切にしてくれる人がいるんだよって自慢したいと思った。
「俺は君と、家族になりたいんだ。」
それを今、彼が現実にしようとしてくれている。寧ろ私の小さな願いを飛び越えて、もっと大きな幸せをくれようとしている。その彼の想いがこの上なく嬉しい。
「私からもお願いします。家族に会って下さい。」
「……ありがとう。」
安堵した様にはにかんだ彼が、もう一度顔を引き締める。
「……お義父さんは、怖い?」
「うーん、どうですかね?」
「うわ、殴られるの覚悟した方が良いかな……。」
皆は彼をどんな風に思うだろう。彼は私の家族をどんな風に思うだろう。大切な2つが1つになるなら、それってとても素敵な事だね。
その夜、お母さんに電話をした。彼との事を話すと、電話の向こうでお父さんと実に予定の確認をする声が聞こえた。
何事かと不安そうな低い声にお母さんの、
「湖陽が彼を連れてくるんだって!」
という溌剌とした声が重なった。来週の土日なら皆空いてるわ、と答えてくれる声の向こうで微かに唸り声の様なものが聞こえた。
「何か、大丈夫?」
「お父さんがショック受けてるだけよ。大丈夫。」
それが大丈夫なのかは分からないけれど向こうでフォローしてくれるだろう。最後に1つ確認しておきたくて、楽しみだと喜ぶお母さんに声を掛けた。
「お父さん、殴ったりしないよね?」
「何言ってるの。気弱な人だからないわね。
もしそんな事したら私がお父さんを殴ってあげるわ。」
「いや、それは可哀想だよ……。」
一先ず、彼が心配する様な事はなさそうなので安心。来週、楽しい時間が過ごせればいいなと思いながら、おやすみを合図に電話を切った。
「車はここに停めて下さい。」
「分かった。どこでも良い?」
翌週の土曜日。彼の車で実家へとやって来た。公園の駐車場に車を停めると家までは歩いて1、2分の距離。様子が変わってしまっても見慣れた景色の中に、スーツ姿の彼がいるのは何だか不思議な光景で思わず笑ってしまった。
「何か俺、可笑しいかな? 変じゃない?」
「ふふ、大丈夫ですよ。」
「あぁー、緊張するなぁ。」
両手で顔を覆うその背中に手を当てる。いつかの様に力を入れて叩くとうぅ、と小さく声が漏れた。
「あ、またやりすぎました?」
「いや、大丈夫……。気合、入った。」
拳を握って応えてくれるけどやっぱり痛そうで摩ってみる。ありがとう、という声が降ってきて顔を見合わせて小さく笑った。
カシャリ、と音がして前方を見ると、カメラを構えた男性が数メートル先に立っていた。カメラを下ろして笑っていたのは、実だった。
「実!」
「良い被写体だけど、片方が姉だと思うと恥ずかしいな。」
「……姉?」
楽しそうに笑う実とぽかんとしている彼を交互に見て、紹介しないとと口を開く。
「あの、弟の実です。」
「こんにちは。勝手に撮ってすみません。」
口では謝りながらも悪びれる様子のない実。そんな弟に彼は戸惑いながらも笑って会釈する。
「こちらが立花幸多さん。」
「よろしくお願いします。」
「タメ口で良いですよ。兄ちゃんになるんだし。」
実の言葉を聞いて一瞬固まった彼が、本当に嬉しそうに破顔する。一人っ子の彼だから弟という存在が嬉しいのかもしれない。緊張の解けた表情に安心する。
実も加わり、3人で家までの一本道を進んで行く。
「あ、今日父さん厳格な父設定でいますけど、そんなに
気にしなくて良いですからね。」
「……それは聞いても良かったのかな?」
「僕も母さんも立花さんの味方ですから。」
「……それも聞いて良かったのかな?」
2人が早くも打ち解けてくれて良かったと、その会話に耳を傾けた。数年前はこんな事夢のまた夢だと思っていたのに、当たり前みたいに繰り広げられていて鼻の奥がツンとする。まだ早いと言い聞かせて2人の後を着いて行った。
家の前で立ち止まった実が先頭に立ってドアを開ける。幸多さんは大きく息を吐いて私を振り返った。
「大丈夫かな?」
「大丈夫です。」
私の返答に頷くと先に入る様促される。実の背中に続くと奥からお母さんが出てきたところだった。
「おかえり。」
「ただいま。」
未だくすぐったい挨拶はそこそこに、お母さんは後ろの彼を見ていらっしゃい、と声を掛ける。
「失礼します。」
「どうぞ、どうぞ。とりあえず入って。」
「はい。ありがとうございます。」
彼の声が少し硬い。何年も一緒に仕事をしてきたけれど、ここまで緊張が表に出ている事は珍しい気がする。尤も長い付き合いだから分かる事であって、その差は微々たるものだけれど。
そんな彼の緊張が私にも移った様で、少し早まる鼓動にふっと息を吐いた。
リビングへと入ると、腕を組んだお父さんがソファに座ってテレビを観ていた。そしてさも今気が付いた様に視線をこちらに向けると小さな声でおう、と呟いた。これが実が言っていた厳格な父設定らしい。イメージが違いすぎていつまでもつのかと違うところで心配してしまう。
「ただいま、お父さん。」
「あぁ、おかえり。……掛けなさい。」
テレビの電源を落とすお父さんは俯き気味で、彼を視界に入れない様にしているみたい。見上げた彼はどうしたものかと不安そうな顔でお父さんの方を見ていた。
見かねたお母さんが半ば強引に彼を座らせて、自分もお父さんの隣に座る。それを見て私も彼の隣に腰掛けた。
「こちらが立花幸多さん、です。」
挨拶の基本なんて知らないから、とりあえず彼を紹介する。それを受けた彼が立ち上がった。
「初めまして。湖陽さんとお付き合いさせて頂いております
立花幸多と申します。今日は貴重なお時間を割いて頂き、
ありがとうございます。」
頭を下げる彼をお父さんが横目で伺う。お母さんが肘でつつくけれど今のところ設定を変更する気はなさそうだ。
「そんな堅苦しいのはいいじゃない。立花さ、あぁ。
幸多君って呼んでも良いかしら。」
「はい、勿論です。」
「じゃ、幸多君。ほら座って。」
失礼します、と彼が座り直したところに実がコーヒーを持ってやって来る。配り終わると、
「これ、持ってきてくれたよ。」
と手土産に持ってきたクッキーの詰め合わせをテーブルに置く。お父さんは甘党で、昔からこのメーカーのクッキーが大好き。一昨日、彼と一緒に手土産を買いに行った時、真っ先にその詰め合わせを取った彼には驚かされた。自分も好きだから、と言った彼に意外と好みが合うかもとその後1人で考えたりした。
お父さんは無言でクッキーを1つ頬張って、その味を堪能している。沈黙したリビングにクッキーの砕ける音が響く。そして遂に咀嚼を終えたお父さんが、
「もうそちらのご両親には挨拶に行ったのか?」
と言う。そういえば彼のご両親の事を話すのを忘れていた。すっかり当たり前の事になってしまっていたと気付く。この事が彼を傷付けてしまわないだろうか。
「私の両親は既に他界していますので、代わりにお世話に
なっている人達に会って頂きました。」
説明を迷っている間に彼が言う。その声も表情も無理している様子はなくてほっとした。
「そ、そうか……。」
「ごめんなさいね。」
「いえ、もう随分と前の事ですから。」
お父さんが気まずそうに目を泳がせる。折角始まった会話も当然の事ながらそこで終わってしまう。時計の針の動く音だけがリビングを支配している。私がちゃんと話していれば良かったのにと後悔して、何とかこの状況を打破できないかと思考を巡らした。
「僕も、幸多さんって呼んで良い?」
「え、うん。良いよ。」
隣の食卓の椅子に掛けてカメラの手入れをし始めた実がそんな風に沈黙を割る。幸多さんも戸惑いながら答える。皆が小さく息をついたのが分かった。実の声があるだけで空気が明るくなるのは昔も今も変わらない。
「幸多さんはさ、どうして姉ちゃんが良かったの?」
「ちょっと、実?」
突然何を言うのかと止めようとした私をお母さんが制止する。私も聞きたいわ、なんて言い出すから謝罪の気持ちで彼を見上げた。さっきから彼には申し訳ない事ばかりだ。ふと目が合うと彼が楽しそうに柔らかく笑う。そしてお父さんとお母さん、そして実に視線を送りながら口を開いた。
「僕は彼女を尊敬しています。」
そんな一言から始まった彼の言葉に、それぞれが動きを止めた。
「人に対しても仕事に対しても、彼女は真面目で誠実で、
思いやりを欠かしません。1つ1つに真摯に向き合い、
どんなに難しく思えても全力を尽くしてくれます。
優しさと強さの両方を兼ね備えた、信頼できる女性です。
彼女に惹かれたのは必然だったと感じています。」
彼の声が凛とリビングを駆ける。言葉を切った彼が一度俯いて、それからまた顔を上げて話始めた。
「私は両親を失って1人になって、もう思い出さない様に
しようとずっと思ってきました。それでもどうしても、
自分勝手ですが彼女には聞いてほしいと思いました。」
あの日の事をまだ鮮明に思い出せる。淡く光る瞳も、苦しげな表情も、そして幸せだと言ったその優しい声も。
「そんな私の願いを、彼女は叶えてくれました。
黙って耳を傾けて、必死に涙を堪えて微笑んでくれて、
これからもっと大きな幸せがくる、と言ってくれて。
その時、やっぱりこの人だから好きになったんだと、
そう思いました。理屈じゃなく、確信したんです。」
彼の想いに胸が震える。足りない部分が沢山あるのに、それでも私だから好きになったと言ってくれる。ただ向き合って彼に応えたいと思ったその事が、間違っていなかったと思えるから私はまた少し自分を好きになれる。
「でも姉ちゃん、思い込み激しいから大変でしょう?」
水を差す様に実がそんな事を言い出す。折角素敵な話をしてくれたのに余計な事を言わないでほしい。隣でくすくすと彼が笑う。いつの事を思い出しているのだろう。……沢山あって恥ずかしい。
「うん、まぁ、そういうところもあるかな。
自分の事は後回しで良いって思ってるのは、見てて少し
心配になるけど、今はその分自分が甘やかしてあげれば
良いんだって思ってるから。」
「それ、しんどくないんですか?」
「全然。だってこんなにも幸せにしてくれているから。」
彼は何て事ない様にそう言った。さも当然だと言う様に。
少し間が空いて、それから実が声を上げて笑いだした。こんな笑い声を聞いたのはいつぶりだろう。
「……なんか、すごいな。幸多さんって。」
一頻り笑った後、実は言いながら目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「父さんも母さんも、そう思わない?」
ねぇ、どう思った? 私は正面の2人に視線を移す。お父さんは腕を組み目を瞑ったまま項垂れる様に頭を垂らしている。きっちりとセットされていない前髪で表情は隠れてしまっていた。今どんな事を考えているのだろう。想像すらできなかった。
お母さんに問う様な視線を向けてみた。目が合う。その瞳がゆらゆら揺れて見えた。
「素敵な人に、出会えたのね。」
その一言が胸に沁みる。彼と出会えたのはこの家族の元に生まれてこられたから、またこうして家族を取り戻せたのは彼がいてくれたから。全ての事が繋がって見えて、やっぱり幸せだなとただ思った。




