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第67話「平安組、大繁盛です」

桔梗の『ひろいん装束(桃色)』が完成した数日後。葵は、大商会の物流網と情報網をフル稼働させていた。


「これより、この『ひろいん装束』を、都の姫君たちに向けて売り出しますわ!」

朝の土間で、葵が高らかに宣言する。


「ええっ!? これを売るんですか!?」

吉平が驚いて目を丸くした。

「いや、葵様。いくらなんでも、都の姫君たちがこの丈の装束を着るのは……少し刺激が強すぎませんか? 礼法にうるさい人たちに、はしたないって言われそうですけど……」


「表向きの正装として売るから問題になるのですわ」

葵は涼しい顔で吉平の指摘を一蹴し、優雅に扇を広げた。

「これは、御簾の内で涼むための夏の略装。あるいは親しい者同士で楽しむ、新しい遊び装束として売り出します。見せる場所と相手を選べば、無作法ではなく『粋』になるのです。それに――」


葵は事もなげに続ける。

「この装束は、裾を引きずらないため埃を拾いにくく、風通しもよい。布が少ない分、洗う水と手間も少なくて済み、乾きも早い。つまり、蒸し暑い夏を快適に過ごすための、極めて合理的な『涼みの衣』ですわ」


吉平は反論しようと口を開きかけ、そのまま静かに閉ざした。

医学生としての知識と照らし合わせても、彼女の主張は的を射ている。確かに、長い裾を引きずって埃を集める装束に比べれば、裾が軽く、洗いやすく、乾きやすい衣は衛生面で理にかなっている。


「しかも、使う布地が少ないということは原価が抑えられるということ。そのうえ『涼しい』『軽い』『かわいい』という三つの付加価値までついている。利益率は最高ですわ」

葵は空の帳簿を撫でながら、ふふっと笑った。

「そして看板役は、考案者である桔梗さんにお願いしますわよ」


「わ、私がですか!?」

顔を真っ赤にする桔梗の姿を、葵が連れてきた絵師たちが猛烈な勢いで紙に描き写していく。

その見本絵を横から眺めていた結衣が、葵の耳元でふと悪ふざけのように呟いた。

「これ“桃色のカリスマ”の名前で売れるよ」


「かりすま?」

葵が、聞き慣れない言葉に反応して扇の奥で目を細めた。

「それは、どういう意味ですの?」

「えーっと……みんなが憧れて真似したくなる人、みたいな感じかな。前世だと、そういう人が着てる服って売れたりするから」

「なるほど。桃色のかりすま……響きがよろしいですわね。意味は少しわかりにくいですが、そこがまた都の姫君たちの好奇心をくすぐります」

「葵さん、まさかそれ本当に使う気?」

「もちろんですわ。流行とは、少し意味がわからないくらいがちょうどよいのです」


「てへへ。私、今ちょっと余計なこと言ったかもしれない」

結衣が小さく謝ったが、時すでに遅し。

翌日には、大商会の見本絵に『陰陽寮ゆかりの桃色かりすま、桔梗殿も愛用! 極楽のひろいん装束!』という触れ込みが添えられ、都へ運ばれていたのである。

陰陽寮とは、朝廷の暦や占いを司る役所である。そんな場所にゆかりのある桔梗の名は、都の姫君たちの好奇心をくすぐるには十分だった。


葵の商才は恐ろしかった。

その服は、まずは好奇心の強い姫君たちの間で密かな評判となった。最初は「はしたない」と眉をひそめていた貴族の姫君や女房たちも、御簾の内で一度その涼しさと軽やかさを知れば、元の重たい装束だけで過ごすのが急に億劫になってしまう。しかも、見本絵に描かれた桔梗の姿は、奇抜でありながら妙に可憐だった。


「陰陽寮の才女が着ているらしい」

「極楽の装束らしい」

「殿方にモテモテらしい」

噂は噂を呼び、ひろいん装束はまたたく間に都の奥向きで流行していった。


「桔梗、すごいことになってるぞ……」

後日、都から戻った大商会の手代から報告を聞いた吉平は、引きつった笑いを浮かべた。

「都の若い姫君たちが、桔梗のことを『桃色のかりすま』って呼んで憧れてるらしい」


「んー、みんなの憧れの的かー。桔梗ちゃん、完全に流行の中心だね」

結衣が茶髪のツインテールを揺らしながら、どこか得意げに答える。自分の悪ふざけがここまで商売を加速させるとは、さすがに思っていなかったらしい。でもこういうお祭り騒ぎは結衣の大好物だ。


桔梗は恥ずかしそうに頬を染めながらも、まんざらではない顔で桃色のひらひらした袖を握りしめた。

「私が、都の姫君たちの憧れ……ふふっ。師匠、私、ひろいんとして一歩前進しました!」


平安京のかりすまとなった桔梗をうれしく見守る一方で、吉平の胸の内には、実は別の切実な課題が浮かび上がっていた。


(桔梗さんの服が売れて、涼しく清潔に過ごせる人が増えるのはいいことだ。でも……問題は『心』の方なんだ…)


平安時代は、現代に比べてあまりにも不安定な世界だ。こうした楽しい文化や流行も、少しの流行病や不作があると、人々はすぐに「誰かの呪いだ」「祟りだ」と怯え、深く塞ぎ込んでしまう。精神的な不安や過度な緊張が、結果的に身体の調子まで崩してしまう例を、吉平は村の診療で何度も目の当たりにしてきた。

現代であれば、心療内科やカウンセリング、薬による治療といった選択肢もある。だが、この時代にそんなものはない。


「前世レベルの精神薬は作れない。でも……恐怖で息が詰まり、夜になっても心が高ぶったまま眠れない者を、少し楽にすることはできるはずだ」


吉平は、生薬を前にして小さく頷いた。


紫蘇の香りで浅くなった息を通し、生姜で冷えた腹を温める。陳皮、つまり蜜柑の皮で胸のつかえをやわらげ、甘草で苦みを丸める。夜には棗の種を少し加え、眠りに入りやすくする。


「息をほどき、眠りに寄せる散薬……これなら、祟りや呪いに怯える人たちにも使えるかもしれない」


吉平は手ごたえを感じつつも、すぐに眉を寄せる。

「でも、患者に配るだけの良い生薬を安定して集めるには、金がかかる。これまでの収益や俺の小遣いじゃ到底無理だ」


吉平がため息をついた、その時だった。


「資金の心配など無用ですわ、吉平様」

ふわりと成熟した甘い香りを漂わせて、葵が土間へと入ってきた。その後ろには、商会の男たちが抱えきれないほどの麻袋を次々と運び込んでくる。中からは、上質な薄荷や紫蘇、さらに唐渡りの珍しい香草の香りが漂っていた。


「葵様!? これ、全部……!?」

「ええ。あなたが『心を落ち着かせる薬』を作りたいと悩んでおられると耳にしましたので。大商会の力で、今集められるよい素材を揃えておきましたわ」

葵は吉平に向かって優しく微笑んだ。


「でも、こんな大量の薬草、とんでもない額になるんじゃ……」

「お気になさらず。すべて桔梗さんの『ひろいん装束』で得た利益ですのよ」

「えっ」

吉平は思わず絶句した。


「桔梗さんの人気は凄まじいですわ。布地が少ない分、利益率は高く、都の姫君たちは競うように買ってくださる。その有り余る富を、私は惜しげもなく吉平様の医療支援に投資いたします」

葵は吉平の顔を覗き込み、熱い声で囁いた。

「恋敵を看板にして稼いだお金で、愛する殿方の理想を叶える……これぞ完璧な資金循環。最高の投資というものですわ」


「葵様……あなたって人は、本当に……」

吉平は、葵の商人としての凄まじい才能と、自分に向けられる愛のスケールの大きさに、完全に圧倒されていた。彼女のおかげで、間違いなく村の人々の心は救われる。


「ありがとう、葵様。これで、みんなの心を少しでも明るくできるよ」

吉平が真っ直ぐに見つめて礼を言うと、葵は一瞬だけ頬を赤く染め、扇で口元を隠した。

「礼など不要ですわ。……投資ですから。つまりそれ相応の見返りも……」


「師匠ーーっ! 見てください、かりすまな私の新しい立ち姿を!」

良い雰囲気になりかけたところへ、改良されたひろいん装束を着た桔梗が、謎の決めポーズをしながら元気よく土間に飛び込んできた。


吉平は、見事に看板役として踊らされている可愛い一番弟子と、それを利用して莫大な富を生み出す最強の商人の令嬢を交互に見比べた。


この時代に強い根を持ち、前世の運命の外にいたはずの『平安組』の二人。それでも二人は、泣いたり、笑ったり、商いに変えたりしながら、今世の力で吉平の隣に立とうとしている。その逞しさとひたむきさに、吉平は感謝せずにはいられなかった。

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