表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/38

第38話「呪いの歯食い虫」

「ううっ……なんか歯がしみるよう……。あごがジンジンする……」


ある春の朝、サチが右の頬を両手で押さえ、部屋の隅でうずくまって涙ぐんでいた。

原因は明白だった。先日、吉平が保存食として作った「木の実の蜂蜜漬け」を、甘くて美味しいからとサチが夜な夜なこっそりつまみ食いしていたからだ。


「サチ、しっかりなさい! これは邪悪な『歯食い虫』の仕業です。あなたの口の中に潜んだ虫の妖怪が、今まさに歯をかじって穴を開けているのです!」


サチの隣では、桔梗が大真面目な顔で呪符を何枚もサチの頬に貼り付けていた。

「今すぐ私が強烈な陽の気で、口の中の虫ごと呪いを焼き払って……急々如律令っ!」


「ストップ! 桔梗、お前それサチの口の中で爆発させる気か!」

吉平が慌てて駆け寄り、サチの頬からお札をペリペリと剥がした。


平安時代、歯の痛みは「歯食い虫」という小さな虫の妖怪が引き起こす呪いだと信じられていた。そのため、医者ではなく陰陽師や僧侶が祈祷で治そうとするのが当時の常識だったのだ。


「吉平ぃ……助けて。痛くてご飯も食べられない……」

「ちょっと口の中を見せてみろ。あー、してごらん」


吉平はサチの顎に優しく手を添え、口の中を覗き込んだ。至近距離に吉平の顔が近づき、サチは痛みに顔を歪めながらも、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「……あー、右の奥歯が少し黒くなってるな。初期の虫歯だ」

「むしば? やっぱり虫がいるの!?」

「いや、目に見える虫じゃないんだ。甘いものを食べた後、口の中に残った汚れから酸が出て、歯を溶かしてる状態のことだよ」


吉平はため息をついて立ち上がった。

「俺は医者の卵だったから、内臓や怪我のことはある程度わかるけど、歯学部(歯科医)の専門じゃないからな。現代の機械がないと、削って詰めるような本格的な治療はできないんだ」


「えっ……じゃあ、サチの歯はこのまま溶け落ちてしまうのですか!?」

桔梗が青ざめ、サチが「いやだぁぁっ」と泣き声を上げる。


「大丈夫だ。まだ初期だから、これ以上進行しないように清潔に保てば進行は止められる。痛みを抑える薬草もあるしな。……よし、お前たち全員に『歯磨き』の習慣を教えよう」


吉平はすぐに作業に取り掛かった。

まずは細い竹の先端を細かく砕いて繊維状にし、そこに煮沸消毒した豚の毛を短く切り揃えて縛り付けた。現代の歯ブラシの原型である。

さらに、粗塩を細かくすりつぶしたものに、薄荷ハッカの汁と、貝殻をすりつぶした粉末(炭酸カルシウム)を混ぜ合わせた。特製の天然歯磨き粉だ。


「できたぞ。これで口の中の汚れを物理的に落とすんだ。サチ、ちょっとこっちに来い」


吉平はサチを縁側に座らせると、自分もそのすぐ後ろに回り込んだ。

そして、サチの背中を自分の胸にもたれかけさせるようにして、彼女の顎を後ろから優しくホールドしたのである。


「えっ……ちょ、吉平? なんで後ろから抱きしめるような体勢に……」

「こうやって顎を固定しないと、奥歯までよく見えないし、口の中を傷つけちゃうだろ。ほら、口を開けて。あーん」


医学生としての実習経験(小児科の口腔内チェックなど)に基づいた、極めて合理的な姿勢。

しかし、される側のサチにとっては、かつてないほどのゼロ距離スキンシップであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ