おふふふふふんおふんおおおおふふん
ボルダリングで新しいスポーツとの出会いと、新しい問題との邂逅を果たした夜。俺はただぼんやりとベッドの上に寝ころんでいた。
「マジでどうしよう」
もちろん、全裸である。
自宅だしな。
まあそれはいいとして。
俺は昼間の衝撃的な爆散を思い出して苦悶する。
美里を知ることで解決すると思っていた問題が、まさかの方向に飛び火してしまったのだ。
これが苦悶せずにいられるだろうか。
いや、ないぐほぉ……。
何より、こちらが距離を詰めれば美里の方も詰めてくる。
いや、それは当然か。
美里は自身を見てほしいと言っていて、俺がそれに応じて見ようとしている。
それなら、美里も距離を詰めるのが普通なのだろう。
これが、まっとうな人間関係なのか。
ずっと人と一定距離を保ってきた俺は、突然の近距離戦にうまく対応できない。
「一体全体、どうすれば……」
ぎゅり、と唇を噛みしめる。
コロリと寝返りを打った。
ふと視界に入り込んだ机。
そこには三人の絆の証としてのサングラスがあった。
あの破損の後、改めて購入したのだ。
けれど、サングラスは……学校ではできない。
してしまえば、きっと美里や麗奈も蓮に合わせてサングラスをオンするだろう。
そうなると、麗奈なら「うん、仲良きことは」的なテンションで皆が見過ごしてくれるかもしれないが、まだ俺と出会って日の浅い美里が変な目で見られてしまうことは、火を見るよりも明らかであった。
かと言って、美里との関係を思えば、視線をしっかりと合わせていかないといけない。
休むなど、これまでの皆勤生活を思えば、皆を心配させてしまうだけ。
噛みしめた唇からは、微かに血が滲む。
一体どうすれば……。
悩み続ける俺を置いていくように、夜は更けていった。
☆
「おっはよー蓮!」
朝。
校門から下駄箱までのストローク。
私は蓮を見つけて全速力で駆け寄り、後ろから声をかけた。
「おふん麗奈……おはよう」
「おふん? どした? 変な声出して」
私はなんだか様子のおかしい幼馴染の前に回り込む。
いついかなる時も、しゃっきりとしている蓮。
けれど、今日の顔はなんというか、生気がなかった。
こちらの挨拶に反応はしてくれたけど、目は虚空を見つめ、やや下あごが持ち上がり、口は半開きとなっている。
「おおーい」
私は目の前で両手を振る。
「おふん」
「いや、だからおふんて何さ」
私は思わず吹き出してしまう。
いや、こんな蓮は初めて見るし、きっと彼なりに何か大変な状況なのだろうけど、それでも、いつもしっかりしている彼のやや間の抜けた姿に、私の口元は思わず緩んでしまった。
「麗奈ちゃん、蓮君、おはよう」
私が一人で蓮のレアな状況を楽しんでいると、美里ちゃんの声が蓮の後ろから聞こえてきた。
「あ、美里ちゃん、おはよ」
私は蓮の肩越しに挨拶を返す。蓮も美里ちゃんの挨拶に反応して振り返る。
「おふん美里、おはよう」
「おふん……美里?」
美里ちゃんも瞬時に蓮の様子がおかしいことに気づき、小首を傾げる。
「あ、なんか蓮のやつ、調子悪いみたい」
「そうなんだね。昨日のボルダリングで疲れちゃったのかな?」
そろりと美里ちゃんも蓮の顔を覗く。
相も変わらず締まりのない顔に、美里ちゃんもやや驚いた顔をする。
「えっと、大丈夫?」
「おふん大丈夫」
「たぶん大丈夫ってことかな?」
「たぶんね」
私と美里ちゃんは顔を見合わせて笑う。
そんな私たちをしり目に、蓮は再びふらりと歩き出した。けれど、一歩目でつまずいてしまった。
「きゃっ!」
そして、そのまま目の前にいた美里ちゃん、そのお胸に顔をダイブさせた。
「れれれれれれ、蓮君!?」
驚きのあまりフリーズする美里ちゃん。
けれど、そのままだと胸を離れて地面へと向かってしまいそうな顔面を、美里ちゃんは思わず両の腕でギュッと抱きしめる。
「れれれれれれ、麗奈ちゃん!」
こちらにヘルプを求める美里ちゃん。
私はすぐに蓮の腕を掴み、なんとか態勢を立て直そうとする。
「ちょ、蓮! 何してんの? え、ちょっと待って! 蓮、このまま寝ようとしてる!」
私は蓮を引きはがそうとするけど、しっかりと鍛えぬいた彼の肉体は、細く見えても、そこから想像できないほどの筋肉密度を有していた。
その上、寝付こうとなんてしてるものだから、力も抜けていってしまっている。
当然、重い。
「こんの馬鹿蓮……」
蓮は美里ちゃんの胸に埋もれた首だけを動かし、こっちを見る。
こちらの呼びかけに微かな反応を示した蓮は笑みを浮かべる。
「おはようおふん麗奈」
「いや、儚げな笑顔作りながら、変なミドルネームぶち込むな。挨拶もさっきした! ていうか、早く美里ちゃんの、その、それで寝ようとするな。離れろこの変態」
「わかったよおふん」
うつろな目はそのままに、蓮はぬるりと美里ちゃんの胸から離れると、まるでゾンビのような足取りでフラフラと進む。
「あ、ちょ、蓮」
「蓮君!」
私と美里ちゃんは顔を見合わせて、とりあえずは彼が倒れないように、横を歩くことにした。
☆
「なんだか蓮君、相当疲れてたね」
昼休み。
私と美里ちゃんで机を挟んで昼食をとっている。
「だね。蓮があんなになるなんて珍しい」
私はちらりと隣の席を見る。
そこには、机に突っ伏し睡眠を摂る蓮の姿。
常に全力で生きる蓮。
そんな蓮のこんなあられもない姿を見たのは、幼馴染の私でも初めてだった。
うん、新鮮。
「昨日、ボルダリングに誘ったの、駄目だったかな? ほんとは体調悪くて、でも、無理してたのかな?」
美里ちゃんは朝から蓮に胸ダイブされたにも関わらず、それを一切に感じさせないほどのピュアさで蓮の心配をしている。
美里ちゃん、いい子。
「いやいや、美里ちゃんのせいじゃないって。基本的に蓮は体力有り余ってるタイプだから、おおよそ夜更かしでもしたんでしょ」
私は隣にいる蓮をバシバシと叩く。
「おふんおふおふんんんんん」
蓮は私のビートの合わせて声を上げる。起きては、いないみたいだけど。
「おふふふふふんおふんおおおおふふん」
つい面白くなって、私はそのまま蓮の背中を連打する。
「ちょ、麗奈ちゃんやめて。笑っちゃう」
「ごめんごめん。なんか、すっごいいい感じに声出してくれるからさ」
言って、私は蓮の背中を撫でた。
「ま、すっごく真面目な奴だからさ、もしかしたら、私たちの知らないところで頑張ってたのかもね。心配だから、今日は送っていってあげようかな」
それは本当。
いつも真面目でまっすぐで、それでいて不器用な蓮がここまで疲弊しているのは正直気になる。
心配になる。
あんまりキャラじゃないけど、送って行ってあげよう。
「あ、じゃあ、私も送っていくよ。もし放課後までこのままだったら、麗奈ちゃん一人だと大変だろうし」
美里ちゃんはやる気に満ち満ちた瞳をこちらに向ける。
胸前に添えられた握りこぶしがなんとも愛くるしい。
「あー、うん。じゃあ、お願いしちゃおっかな」
ニコリと、可能な限り柔らかな笑みを私は浮かべる。
そんな私の笑みに、美里ちゃんも笑顔を返してくれる。
けど、彼女は気づかない。
ううん。気づかなくて当然。
ずっと、私が抑えてきた感情に気づくことはない。
だって、蓮にだって気づかれてないんだから。




