‐‐1914年冬の第四月第二週、ウラジーミル宇宙基地‐‐
激しい吹雪が晴れ、豪雪地帯のウラジーミルに一時の快晴が齎された。宇宙開発事業には少々厳しすぎるこの基地を選んだことに、安全性に懸念を示した国民たちは大いに後悔したことだろう。王国の存亡も定まり、激動の歴史にもようやく一つの区切りがついた今、ムスコール大公国に与えられた責任はただ一つであった。
ラジオ放送用の機材が運び込まれ、取材陣がテレビ放送用の荷物を満載した自動車が、宇宙基地の客人用駐車場を埋めている。取材陣は誘導に従い、報道者用の撮影室へと向かって行く。駐車場で生放送の中継をするアナウンサーは、簡単な解説と感想を伝えると、現場からの中継を一時終える。そして、警備員の誘導に従って、彼らも撮影室へと入っていった。
大きな窓の開かれた撮影室には、多くのカメラマンが陣取っている。報道官も情報交換をしながら、発射の合図を今か今かと待っていた。
開かれた大きな窓は強化硝子によって守られ、ロケットの発射装置がよく見える位置にあった。初期のロケットと異なり大型の機体は、地面に向かって末広がりになっており、バランスの悪い長身が、鉄塔によって支えられていた。
中継を渡した報道官も、大きな強化硝子の前に立つと、ロケットの相貌をじっくりと観察した。
機体の外観に目新しい装置はない。基本的には通常のミサイルなどの開発で使われた装置が使われているらしかった。一方で、ロケットに乗り組むために設けられたコックピットが必要なロケットの最先端部分はより大きく、着座の姿勢が取れるようになっている。自由な移動には窮屈ではあるが、操縦席として十分に快適な代物となっている。搭乗用の渡し橋が既に設けられ、背の高いロケットは乗組員の搭乗を待ち望んでいる。
そしてそれは、報道官も同じであった。人類初の月面着陸を成し遂げるであろう男は、エストーラから伝えられた航空機の操縦士であり、体格のいい人物であるという。『見栄えがする』ことは、報道陣にとって重要なことであった。
また、開発者のベルナールの撮影も、大きな成果となるだろう。彼らは人類の夢を乗せる宇宙船の威容を、しっかりと、フィルムに焼き付けた。
やがて、報道陣は宇宙飛行士の姿を撮影することに成功する。報道官の一人が大声で「宇宙飛行士だ!」と叫ぶと、カメラは一斉に搭乗口から下方へとレンズを動かす。レンズの先にあった米粒大の人物を必死に拡大すると、若い将校のような、あるいは人好きのする若者のような人物が、分厚い宇宙飛行用の服を身に纏い、ヘルメットを左手に抱えて登場した。彼の隣には開発を先導してきたベルナール名誉教授の姿もあった。
カメラマン達は、世紀の瞬間に向けて、この人物に全神経を集中する。彼を見送るために現れたベルナールと熱い抱擁と握手を交わし合った。
そして、ベルナールから古い書籍が彼に手渡される。宇宙飛行士は先ず、それを左手で受け取り、その表紙を、撮影室の方角に向かって掲げて見せた。
書籍の持ち主が誰なのか、彼らは釘付けになって撮影する。古く、簡素な装丁のその書籍が何なのか、アナウンサーは早口の解説を伝える。
宇宙飛行士は書籍を脇に抱え直し、ロケット乗り組みを見守る報道陣に陽気に手を振りながら、その肉体美をさり気なく示していく。
鉄塔の階段をゆっくりと登り、宇宙飛行士とロケットが同じ画角に収められる。カメラマンの緊張感は最高潮に達した。
興奮気味の報道官が行う解説も、二週目に突入する。そうだというのに、彼らの表情や言葉の運び方は全く異なってきており、自然と視聴者の興奮を煽るようなものになっていた。
やがて、ロケットのコックピットが開かれ、その中へと宇宙飛行士が入っていく。彼は外気に晒された機内から大きく手を振って、カメラに暫くの別れを告げる。そうして数分が経って後に、操縦席の扉は閉ざされ、大気圏を突破するための幾重にも重ねられた重厚な扉が閉ざされる。それは二度と開くことの無さそうな強固な扉であり、バルブを回すことによって機内を密閉することも出来た。
報道陣はそのまま期待の眼差しを向けて、ロケットの発射カウントが所内放送によって流されるのを待った。
音階が上下する独特で単調な音楽の後、しっとりとした口調の男性の声によって、所内放送が流される。
「間もなく、ウラジーミル宇宙基地、ユーグ・ノル発射のカウント・ダウンが行われます。危険ですので、発射場にいる所員及び関係者は、即刻退避をお願いいたします。繰り返します。間もなく、ウラジーミル宇宙基地、ユーグ・ノル発射のカウント・ダウンが行われます。危険ですので、発射場にいる所員及び関係者は、即刻退避をお願いいたします」
ベルナール教授が退避を始める。直前まで調整を行っていた工員も、機体の最終チェックを終え、発射場からの退避を始めた。
大きな広い窓越しに見えていた技術者たちの姿は、徐々に姿を消し、鉄塔もゆっくりと動かされていく。鉄塔が建物に張り付くように寄せられると、本当にそこに立つ物はロケット一つとなった。
そして、アナウンスが始まる。世紀の瞬間を完全に収めるために、カメラマンたちのズームが解かれ、ロケットの全形が映し出された。
「10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・0!」
カウント・ダウンの終了と共に、地面に向けられたエンジンが一斉に炎を放つ。はじめは飛行を抗うようにゆっくりと浮上していたロケットは、やがて地上に唸り声と陽炎を残しながら、真っすぐに、青く澄んだ空の彼方へと旅立っていった。