‐‐おかえり。‐‐
目を覚ますと、その老人は、穏やかな草原の中で眠っていた。ただ穏やかで心地よい風が吹き抜ける、静かな草原である。そこには音も声もなく、水彩画のような淡い遠景だけがある。その中に、老人は孫の姿を見つけた。彼の孫は老人が目覚めたことに気づくと、大きく手を振って老人を呼んだ。
孫のもとへと向かうと、孫は老人の手を掴み、きらきらと光を映す川沿いの道へと、老人を導いていく。老人は状況を飲み込めずに孫の顔を見つめ、はらはらと涙を流す。孫は不意に振り返ると、歯を見せて、無邪気に笑った。
やがて老人は、真っ白な世界へと導かれていく。淡いオレンジの光が浮かぶ、澄み渡る世界の中心には、老人の両親と、おっとりした使用人が立っていた。老人の視界が霞む。孫はその手を離し、老人の両親の後ろへと駆け戻っていく。そこには、孫の両親、つまり老人の息子夫婦がいた。
老人の母の後ろには、老人の妻もいる。若く美しい昔の姿のままで、穏やかな表情を浮かべていた。
老人は自分の一族の前で崩れ落ち、地面に膝をついた。ボロボロと零れ落ちる雫で腿を濡らした。
項垂れて直視できないほどの眩く白い世界を涙で歪め、彼は静かに、地面に額をつく。
彼は口を開き、喉を震わせた。
‐‐私は、帝国を守り、臣民の為に尽くそうと決意して、皇帝として旅立ちました。しかし、臣民を守るということ、そんなことは、出来ませんでした‐‐
挫折を繰り返した老人は、憔悴し、年老いたその姿で、彼が別れを告げた頃のままの両親へと訴える。一族はただ静かに、老人の告白に耳を傾けていた。
‐‐多くの臣民が命を落としました。貴方がたの血を繋ぐことさえ、妻子を幸せにすることさえ、出来ませんでした‐‐
老人の告白を聞いた彼の妻は目を押さえ、息子夫婦はそっと視線を逸らします。視線の先には彼らの一人息子がおり、彼も眉尻を下ろして、老人の告白にただ耳を傾けている。
‐‐誰かを救うことも出来ず、自分の家族さえ守れず、臣民が悲しみに暮れる時にさえ、手を差し伸べる余裕もない。果たして、私は、皇帝としての役割を果たすことが出来たと言えるのでしょうか?‐‐
「あなた方が誇れる息子に、なれたと、言えるのでしょうか……?」
無音の世界で、震わせた喉から零れ落ちた音に驚く。彼らの足元から、厳かな演奏が奏でられた。
誰かの合唱が続いた。その声は幾つも折り重なって響き渡り、足元のずっと遠く、西や東や、北や南から、遍く場所から反響するように響いた。
それは、彼が守ろうとした全ての声だった。
老人は泣き崩れ、歪めた顔を持ち上げる。真っ赤に充血した目から雫が零れたかと思うと、彼の旋毛に温い雫が落ちた。
彼の父は喜びや悲しみややるせなさや、様々な感情が溢れる表情で息子を見つめる。彼の母は視線を外し、労うように優しい眼差しで遠くを見つめていた。
彼の孫は首を傾げておっとりとした笑顔を向けて、息子夫婦は穏やかな笑みで頷いている。そして妻は、そっと彼の肩に寄り添い、きめ細かな肌を、老人の頬に寄せた。
彼の父が感情一杯の笑顔で、彼に向けて言った。
「 」
老人はあどけない幼げな顔を歪め、声を張り上げて泣いた。
誰かの歌が響く。響く声は一族を包み込み、真っ白な景色の中へと溶けていった。