‐‐●1913年秋の第三月第四週、プロアニア王国、ペアリス‐‐
燻る煙は花の都を死の町として演出した。半壊していた王宮は完全に倒壊して瓦礫と化し、各所のバリケードとなって道を塞ぐ。歪な凹凸で埋め尽くされた道の中を、戦友たちが這いつくばり、市民たちがそれを踏みつける。袋小路に追い詰められたボロボロの軍装を纏った兵士は、壁から引き剥がされ、古代の方式にちなんだ処刑を施される。
様々な形の死骸が町を埋め尽くした。もう誰もそれを気にはしない。敵味方問わず、破壊の限りを尽くした不毛の大地に、ただ、粗野な侮蔑の声が響き渡る。
デフィネル宮を囲みこむ民衆たちを、一番奥の部屋で見下ろす私とレノーは、最早逃れられぬ運命に身を寄せ合って震えていた。私が彼を突き放そうとしても、恐らく彼は私に寄り付いてくるだろう。私は成されるがままに任せて、とうとう命運の尽きた自分の生涯を走馬灯のように振り返った。
思えば苦しい人生であった。戦争に次ぐ戦争、喪失に次ぐ喪失に喘ぎ、その果てに得たものはこの困窮である。この戦争で得した人は多くあったが、自分はその一人では断じてない。ただの加害者であり、ただの侵略者だ。
宮殿を闊歩する薄汚れた足音。町を往来する時よりも力のこもった声音。兵士達との銃撃戦の音。幾つもの音が重なり、徐々に私達の元へと近づいてくる。ついに運命の扉が開かれて、武装した平民たちが私達の元へと飛び込んでくる。
刹那、レノーは私の首を思い切り締め上げ、人質でも取るかのように市民に向けて叫んだ。
「動くな!」
一瞬市民の動きが止まる。その一瞬で、レノーは口元を歪めて何かを施した。
市民は銃を落とし、大岩が天井から降って来たかのように、一斉に床に突っ伏した。声を上げることさえも許されない何らかの圧力によって、市民たちはひゅう、と苦しげな呼吸音だけを上げる。レノーは一筋の汗をかき、不敵な笑みを更に歪めて、市民たちが苦しむのに向かって叫んだ。
「汚い足で踏み入るな、下郎が」
市民たちが最後の呻き声を上げて血を吐き出す。どろどろとして濁った赤い血が床面を伝い、腹部が極端に歪み、顎が砕け、頭が凹んだ、見るに堪えない姿の遺体がそこに残された。
レノーは冷汗をかき、荒い息遣いで私の首を締め上げる。困惑する私に向かって、三日月の弧のように目を細めて笑った。
「さて、君には世話になったからね。ナイフを一本貸してくれれば、私は君を殺めないと決めたよ」
裏切られるにせよ、なんにせよ、その言葉には脅迫の意思しか感じ取れなかった。無力だと分かり切った私は懐を探り、レノーにナイフを手渡す。レノーはそれを奪い取ると、一目散に自分の腕を刺した。
聞くに堪えない悲鳴が部屋に響き渡る。息も絶え絶えになりながら、彼はナイフを引き抜くと、狂気に満ちた爛々たる瞳をぎらつかせながら、私を抱えて歩き出した。
宮殿にレノーの血が滴り落ちる。それよりも濃く鮮明に、敵味方問わない犠牲者たちが倒れ伏した血だまりが幾つもあった。息を切らせながらも勝利を確信しているレノーは、乱暴に城門まで私を引き摺り、扉を開け放った。
扉の前には烏合の衆が集っていた。レノーを見るなり罵声を浴びせた市民に向かって、レノーは息を切らせながら怒号を浴びせた。
「激しい戦いだったが、私達の勝利だ!」
思わず信じられないと目を見開いてレノーを見た。滴り落ちる汗が、いかにも英雄が大業を成した時のように誇らしく輝いている。彼の腕の傷を見た市民たちは歓声に沸き、レノーを礼賛し始めた。
レノーは私を市民の前に放り、拳銃や小銃の類を地面に放り投げた。
その時、私はレノーの交渉の意味をよく理解した。
群衆は私を羽交い絞めにし、あばらを殴り、二、三度往復ビンタをした。腕の応急処置を受けるレノーは市民たちに柔和に微笑み、そして汗の滲んだ襟の先を見下ろすようにしながら、私へ向けてほくそ笑んだ。
既に空には無数の星々が瞬いている。満天の星空を埋め尽くすように、市民の嗜虐的な笑顔があった。
視界を埋め尽くす邪悪な嘲笑の隙間を、通り過ぎていく一筋の流れ星がある。流れ星は真っすぐに天に向かって伸び、彗星の尾のような細い雲を吐き出した。
あれは、何という鳥だったか。
顔の骨が歪むほどの殴打と、腸が破裂するほどの蹴りを受け、痣だらけになる体は痛みすら伴わない。ただ、自分の手元から命が奪われていくという確信だけが、戦友たちのもとに戻っていくのだという確信だけが、視界を歪め、口の中に鉄の味を感じさせる。
白い星は雲を伸ばして飛び去り、やがて満天の星の一つに紛れて視認できなくなる。薄れゆく意識の中で、私は平原を行く戦友と肩を並べて飲むスープの味を噛み締めていた。
そうだ、思い出した。ヨダカだ。