‐‐●1912年夏の第一月第二週、プロアニア王国、ペアリス‐‐
狭い街路に張り巡らされた瓦礫のバリケードを、遥か上空を行く航空機が爆撃によって破壊していく。戦車は足を止め、バリケードの内側から投げ込まれる古い手榴弾に慌てふためく歩兵達に向けて、氷や火炎の礫が降り注ぐ。歴史の都に僅かに残った築一千年の建物群は、跡形もない程に崩落して、ことごとくが廃墟となった。
敵味方問わない無常な破壊の雨が降る中で、若いプロアニア兵は身を寄せ合って打ち震えていた。
上空からは友軍が、動くものを見つけ次第機銃掃射を行うため、物陰から簡単に身を出すことも出来ない。ペアリス在住の原住民や、ゲリラ兵と同じように息を殺して身を守ることで、何とか命を繋ごうと足掻いている。
デフィネル宮の前に立てられた看板には、ペアリス市民に人権を与える勅令がつらつらと、プロアニア語で記されている。市民はこの看板を引き抜くと、上空からの爆撃を躱すために、道を遮る瓦礫の中へと投げ込んでいく。デフィネル宮の中では、腹立たし気に貧乏ゆすりをするレノーと、忙しく指令を飛ばす第二歩兵連隊長が、同室に立てこもり、壊れ行く市街地を見下ろしていた。
植物の茎や根が絡まりながら、屋根を突き破られているペアリスの宮殿は、空色の建物からは遥かに遠くにあるように思われた。この古い宮殿に向かって飛んでいく戦闘機が、ひとりでに爆散し、粉々に砕け散ると、レノーが短い悲鳴を上げて連隊長の方に圧し掛かった。
「ええい、何をしているのだ!鎮圧しろ!鎮圧ぅ」
レノーは肩に乗せた顎を縦横に大きく動かして、唾を飛ばす。連隊長は鬱陶しそうに彼の顔を押し退け、険しい表情で言う。
「あなたも少しは協力するということはされないのですか?ウァロー家の貴族出身なのですから、相当な手練れの魔術師なのでしょう?」
「私が戦ったら発覚した時に問題が起こるだろうが!馬鹿なことを抜かすな!」
連隊長はじっとりとした目を真横の老人に向け、乱暴に手で顔を押し退けて無線通信機に指示を出す。応答者達の声はどれも震えていた。
若くない連隊長からしても、若い兵士の憔悴は致し方ないことに思われた。あれほどの経験をした古参兵の方が異常なのだから、怯えるなという方が無理な話である。彼は可能な限り歩兵にストレスを与えない口調で、「勇気を出して、戦うように」と声をかけた。
宮殿の外で激しい爆発音がする。レノーが甲高い悲鳴を上げて窓に顔を押し付けると、一般市民が塀を破壊してデフィネル宮に侵入してきていた。
「ひぃぃぃ!何とか、何とかしろ!お前!」
連隊長は無線機に声をかける。レノーの両手が彼の双肩に乗せられており、彼は始終不機嫌な表情を浮かべている。
「デフィネル宮に侵入者、鎮圧のために増援を要請します」
「何としても死守しろ!絶対だぞ!おぉい!」
レノーが無線機を奪い取って怒号を浴びせる。敵か味方かも判然としない服装の市民たちが宮殿の扉目掛けて突進を始めると、ついにレノーは短く、先端に琥珀のついた錫杖を掴みとって振るった。
市民たちは突然唸りながら蹲り始め、やがて肉体が変形するほどに圧し潰された。
「やればできるではないですか」
「ああ!神よ、お許し下さい!これは単なる自衛のための不可抗力なのです!嗚呼、嗚呼!」
手を合わせ、天を仰いで叫ぶレノーの背中に、連隊長の鋭い視線が飛ぶ。彼は無線機の通話口に声を当てた。
「状況、終了。通常任務に戻ってください」
連隊長は深い溜息を一つ零し、背もたれに靠れかかった。無線機からは様々な指令や会話が飛び交っているが、あれこれと指示を出すようなものばかりでもない。合流したはずの兵士達の通信が突然途絶することもあり、市内はますます混沌としていることが予想された。デフィネル宮の上空を警護する二台の航空機が、けたたましい音を上げて、時には低空飛行を始め、機銃掃射を行う。彼らのすぐ足元まで、暴動の危機は迫ってきていた。