‐‐●1912年、春の第三月第二週、プロアニア、ペアリス‐‐
かつて大学特区としてカペル王国の学芸を支えた、古風なペアリス大学の前に、そこに通っていた学生達が集う。既に中年に足を踏み入れた者や、未だ若く艶やかな肌を持つ者など様々な年齢の者が在ったが、彼らが奪われた時間の数々は、その体に等しく刻まれていた。深い夜の霧に守られた学生達が夜明けの中で鮮明になっていく互いの顔を見合わせる。もう戻ることは無いかも知れない、その顔を記憶に叩き込んだ。
松明を片手に持つ学生が発つ。学歴が止まったまま流れた時間の重みは、その足取りに宿って厳かな列を作る。街路に不気味に浮かび上がる学生達の命の灯を、身支度をする人はしかと見た。
「人に自由を!我々に自由を!」
独りがこぶしを突き上げて叫ぶと、それに続いて続々と声が連なる。やがて学生達に行進を止めるように、拡声器を持ったプロアニア兵が行列について回る。その声は町に響くほど大きかったが、行列に参加する誰一人として、その声に心を留める人は居なかった。
学生達はカペラの立像の前を通りかかる。腕をもがれ、レールの敷石に混ぜ込まれた艶やかな女神は凛として立ち、欠けた花冠を被っている。その横顔は、夜明けに合わせて互いに確かめ合った人の顔によく似ていた。
「人に自由を!我々に自由を!」
力のある者などいなかった。日常的に用いるような生活魔法程度しか使えない、非力な学生達である。その行列を囲い阻むように、続々とプロアニア兵が集ってくる。
行列の征く道を阻むように、戦車が一台、市街地を進んでいく。天に剣を掲げ、騎乗するカペル王国の英雄フランツ・トゥアの凱旋門の前を戦車が塞ぐと、学生達はそこで立ち止まった。
「警告をします。これ以上の行動を続ければ、実力による解決は不可避です。賢明なご判断をお願いします」
プロアニア兵が丁寧に拡声器で諭す。言語学に関わる学生も当然あり、彼らはその意味が最後通告であると認識していたが、誰もそこを退かなかった。
ただ、学生達は互いの顔をよく覚えていた。やつれた者、髭をそる余裕も無くなった者、唐突に原理を否定された者、学術論文を塵屑同然に投げ捨てられた者、誰もが学歴だけが止まったまま、等しく年を取った。
「人に自由を!我々に自由を!」
魂の唸りに任せて立ち上がった。もう戻りはしない。
拡声器がゆっくりと下ろされる。プロアニア兵は互いの顔を見合わせて一斉掃射の合図を確かめた。
戦車が凱旋門を通過する。差し込む太陽が、英雄の剣に当たり、白色に染まっていく。
「人に自由を!我々に自由を!」
学生達は立ち止まり、声を張り上げて叫んだ。戦車は再びエンジンを蒸かす。市街地に隠れていた兵士達も広場へ乗り出し、学生達の列へ向けて武器を構える。
戦車が一気に加速して、学生達に突っ込んでいった。それと同時に無数の銃声が重なり合い、学生達の行く道を血で染め上げる。戦車を避け、弾丸を体中に受けた彼らは、地面に突っ伏したまま動かなくなった。
兵士達が公開処刑に熱中しているところ、彼らの背後からローブを着た者たちが迫り来る。彼らは音もなく忍び寄り、気配に気づいて振り返ったプロアニア兵の喉を掻き切った。
「助けに来たぞ!私達が君たちの自由を守る!」
野太い声が市街地に響く。学生達は戦車から逃げ惑いながら、必死に包囲の出口を探すような仕草をとる。武器を背後に構え直した兵士達に向けて、火球や氷の礫、吹き荒ぶ旋風が迫り来る。そこから逃れようとするのを、ナイフを持ったローブの男に拘束される。時にはローブの男ごと魔術が兵士を殺し、時には魔法がローブの男や兵士達だけを殺した。ナイフ一本で兵士の後ろに音もなく現れる者達に、戦車が照準を合わせようとする。その銃口の前に、学生達が立ちはだかった。
「俺達には、命より惜しいものがある!」
やがて広場を囲むように、ペアリスの市民たちがバリケードを作る。プロアニア兵が気づいたときには、2世代は前の銃火器で武装した市民たちに、彼らは包囲されていた。
「ちぃ、応援はまだか!」
「電車も来てません!食料も集まってない!」
どこからともなく飛び込んでくる火の粉から逃げ惑いながら、無線機に声をかける。戦車は相変わらず学生を轢き回しているが、学生と同じほどに首をかき切られた彼らの仲間が地面に転がっていた。
バリケードを登ろうとする歩兵に対して、道端の石が投げ込まれ、バランスを崩した歩兵に向けて、丸い弾丸が撃ち込まれる。バリケードの上を滑るように落ちていった彼らは、唐突に目前に現れたナイフの男に首をかき切られる。バリケードの中へと助け出された学生達も、渡された石を戦車目掛けて投げ込む。学生の波に押し戻される戦車の上をその石が跳ねると、バリケードの方へと照準が動く。しかし、学生達は銃身に飛び乗り、全体重で以てその武器がバリケードの向こう側に持ち上がるのを阻もうとした。小さな呻き声と共に、最も銃身に近い学生の腹が持ち上がるそれに挟み込まれる。努力虚しく持ち上がってしまった砲口に、学生の一人が腕を突っ込んで発砲を阻んだ。
本当であれば、そんなものは無関係に発砲すれば解決する話であった。しかし、搭乗していた兵士は明らかに動揺していた。
彼らが感じ取ったのは、自分の身を呈して集団を守るという不気味さである。同時に、先の戦争においてカペル王国の戦士たちにとって自分達がどう映っていたのかを悟った。その為に、彼らは一瞬身動きが取れなくなったのである。
戦車は高速旋回を繰り返し、圧し掛かった学生達を振りほどく。学生は吹き飛ばされるか撥ね飛ばされ、骨や内臓に様々な負傷を負った。彼らの動きが鈍くなると、ようやく戦車は戦線の突破に動き出そうとする。敵味方問わず多くの犠牲者が倒れ伏す血生臭い広場を、跛行するキャタピラが乗り上げて進んでいく。