‐‐1911年夏の第三月第二週、ムスコール大公国、ウラジーミル市外、平原‐‐
雪原には見様見真似で作られた大きなロケットが吊るされていた。一人の足では立てないロケットは、発明者の男たちから見れば、赤子のように可愛らしいものであった。
白衣を身に纏っていない彼らは、正規の研究者ではなかった。工場の下働きの者や、ウラジーミルで偶に見られるもの好きの若者たちであった。周囲に都市がないのも、それがこっそり建設されたために他ならない。初めてのこととは言え、彼らには、何としてもこのロケットを打ち上げたいという情熱はあった。資金も技術も寄せ集めではあったが、それだけは本物だったのである。
「よぉし、打ち上げるぞー」
「プロアニア人に負けてられないからなぁ」
ロケットを見上げる男は、腕を回して無意味な準備運動をする。彼らはそれぞれに持参した防護ゴーグルや分厚い手袋をして、吊るされていたロケットから距離を取った。
期待の眼差しを向ける者や、緊張した面持ちをする者、固唾を飲んで見守る者など、各々が我が子の晴れ舞台を心待ちにしている。距離を十分に置き、高い入道雲が伸びている空を向く我が子に、言葉に出来ない熱い情熱を送った。
言葉少なになって暫く、発射のカウント・ダウンが始まる。見物人のいないただ広がるばかりの草原の中に、小さな声が重なり合ってこだました。
最後のカウントと共に、発射のスイッチが押される。膨大な炎を地面に吹き付け、支えを外されたロケットが一瞬ふわりと持ち上がった。
大きな歓声が響く。それを聞きつけた野次馬が、初めて草原の中心に隠すように置かれたロケットが空に浮く姿を目撃した。
警察に通報が入り、近隣の都市から巡査が出動する。
それでも、一度浮かび上がったロケットが巣立つのは止められない。ひっそりと作られた装置が空へ旅立っていくのを、情熱だけは本物の人々がただ見届けている。
その瞬間を目の当たりにして、目を輝かせていた男が、その異変に気付く。彼は顔を青くして、中々巣立っていかない赤子の鳴き声に向かって指をさした。
何かを言っている、周囲にはそれしか分からなかった。次の瞬間に、彼らはそれが何事かを知ることになる。
滞空時間が想定よりずっと長く、船体が殆ど浮き上がらない。その足踏みの間に、第一段の躯体にある固形燃料が底を突きてしまったのである。枯渇した燃料により、扁平なノズルから放出される炎が弱まると、第一段の躯体が取り外される。地面に落下した躯体はすさまじい砂埃を巻き上げて、周囲の開発者達を飲み込んだ。
砂埃が収まると、そこには大きなクレーターが出来、開発者だったものがその面影を残すことなく切断や圧殺されていた。空には彼らの子が、操縦者のないままエンジンを駆動させて滞空しており、ゆっくりとその高度を持ち上げながら、炎を吐き出している。生存者がバランスを崩しながら逃走を始めると、姿勢の制御が不能になったロケットは炎を吹きながら北の方角へと姿勢を崩していく。やがて燃料の枯渇によりロケットは滞空力を失い、軌道を北方へと大きくずらした状態で、ほぼ横ばいになりながら自然落下を開始する。見物人が都市に向かって遁走し、それを接近しつつあった巡査が先導する。ロケットは空中でバランスを崩したまま滑空し、やがて凄まじい炸裂音と共に、爆発した。
鉄塊が周囲に飛び散り、貴重な森林地帯に大きな爪痕を刻む。打ち上げに携わっていた者のうち、生存者は巡査に取り押さえられ、手錠を掛けられつつ保護された。
黒い煤が立ち込める中、焦げた木々のにおいと墜落と同時に起こった烈風が運んだ鉄のにおいに、人々は口を覆っていた。