‐‐1911年、夏の第二月第四週、プロアニア王国、ペアリス1‐‐
幾つかの戦車が首都の市壁に迫り、広大な農園の中にある農道に轍を付けていても、レノー・ディ・ウァローの心は不思議と凪いでいた。
従属の意思を示し、恭順の意を示していれば、プロアニアは彼らをむしろ優遇する。契約に不慣れだったころが懐かしく思い出され、旧カペル王国時代の理不尽な追及のないことに安堵感を覚える。朽ちた樹木の前に設けた玉座に腰を据えたまま、連絡の通りにペアリスの調査隊が集まるのを、自分の兵士の報告から受け取った。
彼は強張る兵士達の表情を、気だるげに見下ろす。天を貫く樹木の朽ち木に守られたことを確信しているレノーは、間の抜けた声で報告に応じた。
「構わない。通して差し上げなさい」
戦車が市門の前に集まる頃、レノーの兵士達はその分厚い木製の門を解放し、鉄製の落し門を巻き上げた。レノーは兵士の担ぐ輿に揺られながら、支配者の入場を待つ。戦車が市内に入市すると、兵士は輿を下ろし、轅から手を離した。赤い軍装の騎兵が下車をすると、レノーがその太い足を地面につける。鈍重な動きで輿から降りると、騎兵は先ず第一に敬礼をし、レノーはこめかみを押さえて祈りの仕草を返す。その仕草に動揺した騎兵は顔を見合わせる。レノーは腰を低くしてデフィネル宮を指差した。
「王宮では少々お見苦しいので、デフィネル宮へとご案内いたしますね」
「ご高配痛み入ります」
レノーは輿に戻ると、兵士達に「おい」と声をかける。兵士達は再び轅を掴むと輿を持ち上げ、東に向かって歩き始めた。騎兵達も戦車に乗り込むと、輿の速度に合わせて同伴する。資源の運搬や製造を監視される一般市民たちは、戦車が輿の後ろについて回るのを、不気味なものを見るように見送った。
こうした大きな送迎があれば、カペル王国ならば追随するように市民が集まったものであるが、プロアニア兵に監視されながら仕事をする市民たちでは、建物の外に出ることも出来ない。ただ、僅かに顔を持ち上げて流し見るばかりである。
煉瓦の街並みに虫の音が鳴り響く。レノーは壁面を削られた家屋が流れていく光景を見つつ、蒸し暑さに大粒の汗をかいた。
侵略され、屈服した都市の中で、殺風景な日常が流れている。この都市にあった文化の名残だけが、亡霊のようにその場所に佇んでいる。
「此度の不穏な動きとは、一体どのような形で判明したのですか?」
輿から身を乗り出し、戦車を囲んで歩く兵士の一人に声をかける。兵士は鉄兜をぎらつかせながら、真正面を向いて歩くばかりである。
「なるほど、機密事項ですか」
レノーが声をかけると、兵士は控え目に頷き、無言の行進を続ける。
やがてデフィネル宮に至ると、その優美な佇まいにプロアニア兵でさえ僅かに顔を持ち上げた。薔薇や朝顔の花が代わる代わる庭先に咲き、役割を終えたミモザの木の周りに、緑の草木が生い茂っている。
兵士達が歓声も上げずに口を半開きにして、見上げる高い空とよく似た空色の外壁を眺める。輿から降り、のっそりと身を乗り出すレノーには、彼らがどうして間抜けな顔で鼻の穴を晒しているのか、理解に窮した。
「見事な居城でしょう。以前はもう少し空も澄み、賑わいもあったのですが……」
レノーが得意の皮肉を交えて声をかけると、兵士らはようやく仕事の表情に戻り、どこか不機嫌な様子でレノーの後を追った。
輿はその場で片付けられ、戦車とその周りに警備兵が数名待機している中で、レノーはプロアニア兵達を連れ立ってデフィネル宮を案内する。屋根は付き抜けて明るく、また優美な彩色と絵画に溢れた内装も兵士達を釘付けにし、レノーはあれこれと蘊蓄を垂れ流した。
応接室に入ると、兵士の数分だけ用意された椅子に彼らを座らせ、レノー自身は羊毛の詰まったクッション付きの座椅子に腰かける。兵士達の前に飲み物が運ばれてくると、レノーは一つ咳払いをして切り出した。
「さて、皆様にはここをご自由に利用して頂いて宜しいのですが、先ず第一に確認したいことがございます。この調査に協力した場合は、どれほどの……」
「報酬金は勿論、閣下については最高の名誉ある賞を与える方針である、とのことです」
兵士の抑揚のない返答とは対照的に、レノーは跳ねて喜ぶほどであった。手を揉みながら兵士達から調査の説明を改めて受ける。レノーはわざとらしく頷いたり、大仰に身動ぎをして見せながら、その仔細に耳を傾けた。
曰く、市民の日常業務に支障をきたさない程度の聞き取り調査や資料の監査を行うこと、これにはレノーも一応は調査対象であることなどが説明された。レノーは一瞬顔を強張らせたが、即座に曇った表情を隠し、大仰な仕草で調査内容の概要を聞く。穏やかな夏の日差しに乗って、建設的な質疑の応答が行われた。