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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1911年
324/361

‐‐1911年夏の第二月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐

「……足りない」


 山積された報告書の中から、カペル王国から運搬されてきた食料品の報告書を眺めて、アムンゼンは間髪入れずに呟いた。

 報告書に記された全地域からの運搬総量自体は決して例年と変わるものではなく、その数字上からは報告の不備など読み取れるはずもない。しかし、アムンゼンはその数字から、強烈な違和感を覚えたのである。


 彼は資料の提出者に連絡をつけ、各都市からの徴収量の総数を纏めて報告するように迫った。暫くして、ファクスが送られてくる。彼はまだ熱いままの感熱紙を取り上げると、総量の内訳を隈なく確認する。幾つかの都市で視線を止めたアムンゼンは、報告書を持ったまま、口に手を当てた。険しい表情を浮かべたまま、アムンゼンは再び席に着く。ゆっくりと受話器を手に取ると、彼はヴィルヘルムに内線を繋いだ。


 五回の呼び出し音の後、ヴィルヘルムが気だるげに返事を返す。アムンゼンは眉尻を持ち上げて、はきはきと要望を告げた。


「国王陛下。騎兵部隊を幾らか、お借りしてもよろしいですか?」


「どうした?宰相閣下が慌てているようだけど……」


 王は茶化すように聞き返す。


「カペル王国から供給される食糧が、どこかで『中抜き』されているようです。隠蔽の手法が巧妙なようですので、計画的なものと思われます。その調査のために、警察部隊ではなく騎兵部隊を動員したいのです」


 ジジジ……と夏の日差しの擬音に似たノイズが受話器から届く。僅かに拾われた衣擦れの音で、王が足を組み変えたことを、アムンゼンは読み取った。


「いいだろう。信用しよう」

「有難うございます。早速、動員の手配を行います」


 アムンゼンは受話器を置くと、即座に軍本部に連絡を入れる。突然の連絡に動揺した受話器越しの陸軍相は、荒々しく息を立てながら、アムンゼンの指図一つ一つに相槌を打った。


「はい。予備兵力の中から、騎兵部隊を一部隊動員し、調査と鎮圧にあたる、ということでよろしいですね」


 アムンゼンは徐に俯くと、猫のように鋭い瞳を資料に向けた。彼は資料から察するに、何らかの大規模な組織が絡んでいることを、よく覚えていた。


「調査の跡が残っては困るから、部隊数は大規模にしたくないが、あまりに小規模では意味がない。場合によっては2、3部隊、それ以上の規模を動員しても構わない」


「わ、かりました……。では、そのように手配いたします」


 陸軍相が応答したことを確認して、アムンゼンは受話器を置く。暫く受話器に手を添えたまま思索に耽っていた彼は、「あれは駄目だな……」ぽつりと呟いた。


 彼の脳裏にはエーリッチの姿が過ぎる。考えてもやむなしと気を持ち直し、受話器から手を離した。


 彼は日常の業務に戻る。時を刻む機械時計が、中天の位置を指し示した。



 その電話を取ったヴィルヘルムは、受話器を置くなり緩んでいた口元を一文字に引き結ぶと、玉座代わりの質素なソファにもたれ掛かった。

 人形のように固まった表情で、父から受け継いだ私室の壁を見つめる。模様の一切ない無機質な壁面に、王国の地図と世界地図、半期ごとに更新される王国の諸報告が記されている。

 人の息吹だけがひしひしと感じられる数字と線描の羅列に、彼は偏頭痛が起こるのを抑えられなかった。


「全部が、あのヘルムートのせいだ……」


 左手で頭を抱え、右手で腰に帯びた拳銃に手を伸ばす。冷たい感触が右手に伝わると、彼はそれを勢いよく引き抜き、地図の上に照準を合わせた。


 照準の先にはゲンテンブルクがあった。


 異様に見開いた瞳を震わせて、うまく合わせられない照準の先に動揺する。王国は絶頂を極めたが、大いなる秩序が動き出すよりも先に、無秩序の足音が近づきつつあった。


 ‐‐あらゆるものは整然と合理的に秩序立てられなければならない‐‐


 魔術不能が身を寄せ合い、身を寄せ合って死守したプロアニア王国がここまで肥大化したのは、その規律正しさの成果であった。

 偉大な先達によって作られた「ルール」に則り、世界は王国にとって都合の良い方向へと導かれていく。秩序は、神の天蓋をも打ち砕く力へと躍進した。


 その中に、旧カペル王国という無秩序があり、それが足並みを揃えて迫って来るとしたら、それは王国にとって最悪の事態であって、秩序の乱れは滅びの兆しでもある。


 ゲンテンブルクに突き付けられた銃口を、ゆっくりと下ろす。極限まで高まった動揺が静まっていく。

 王の秩序を守るアムンゼンがいる。彼は高鳴った心臓の音が落ち着いていくのを感じて、余裕のある笑みを取り戻した。


「そうだとも。まだ根は張っていない。果実のままで摘み取れば、あとは朽ちていくだけだろう」


 これまでも、危険の予兆が摘み取られれば秩序は強固になってきたように、この問題も解決すればカペル王国鎮静化に一歩近づくことだろう。

 現に、カペル人達の多くは最早従属の意思を固めている。少なくとも、ヴィルヘルムにはそのように見えている。


 凝った首をソファに預ける。偏頭痛が収まり、余裕のある時に脳裏に浮かぶ音を口ずさんだ。


 個人の自由や平等とは、無秩序な領域である。ヒトを種と見て、自由な領域を狭められれば、種は平和の内に過ごすことが出来る。つまり、ヘルムート・フォン・エストーラの考えとは平和へ対する抵抗であり、自ら闘争を求める姿勢であるともいえる。ヴィルヘルムは満足げに目を細めて、平面的な天井に視線を向けた。


 ただ一色で統一された、遊びのない天井である。無駄も遊び(即ち自由)もない、完全に秩序だった天井が広がっている。歴代の王の執務室であり、常に技術によって合理化され続けた、最も平穏な空間に、彼はその身を埋めた。僅かな胸騒ぎと針を刺すような胸の痛みに苛まれながら。


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