‐1911年春の第一月第一週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク2‐‐
細い指先でシューアイスを摘まんでいた手は、プロアニアから直通のホットラインが激しく揺れながら鳴くのを目にして、ゆったりとした動きで受話器を取った。
齢は50をすでに超えた壮年の男が、艶やかな巻き毛を構いながら目を細める。
「これは、これは。お久しぶりです、国王陛下。本日は御日頃も良く、最近は日も長くなりましたね……」
悠長な挨拶を零しつつ、国王の声を伝え聞く。彼は巻き毛を整えると、その手でシューアイスを持ち直し、それを口に運んだ。
相手の長話は何となく理解している。プロアニア人の君主たるもの、相手へ伝える情報は可能な限り詳細であるべきだからである。
手に付いたクリームを舐め取り、少し口角を持ち上げたユーリーは、話し終えた相手が完全に沈黙するのを見計らって、慈しみ深い表情を零した。
「それは、それは。科学技術の発展は両国にとって喜ばしいことです。そうそう、原子力事故の件は残念でしたが、その為か我が国の国民もこの新たな技術の開発に警戒を強めておられますよ。……もっとも、アーニャ閣下は強行稼働させる方針のようですが」
彼の周りには甘味の袋が散乱している。記念品のように棚に並べられた土産物の箱には、独特の表現で味が記録されている。癖の強い、強烈な甘みのある土産物は特に厳重に保管されているらしい。
相手の長話を待つ間に、シューアイスを口へと運ぶ。小さな口で咀嚼をしつつ、眉を上下させて相手の要望を品定めした。
そして、プロアニア王国特有のルールで指図された要望を、改めて脳内で自国流に微調整を加える。ユーリーという人物は、他国に比類する者もないほど、「優秀な政治家」であった。
「畏れながら、国王陛下。我が国では我が国らしい国民が多数おられるわけですね。私もご要望にお応えしたいのですが、陛下の御考えを尊重するのであれば、我が国らしい方法でするのが、そう、合理的ではないかと思われます。信頼して頂けますか?」
受話器越しの声を聞き、彼は目を細めて笑った。
「それでは、お任せください」
受話器を置くと、彼はすぐに国内用の電話機に持ち替える。考え得る限り最も情報の早いであろう新聞社に電話を掛けると、慌ただしい編集者の乱暴な応答が返ってきた。
「お世話になっております。お忙しいところ大変恐縮ではありますが、今日の内に素敵な記事を書かれることを予想しておりますので、是非ともこのような文言を加えて頂きたく存じます」
ユーリーは右手でペンを持ち、科学界の重鎮・ベルナール・コロリョフへの手紙を認めつつ、受話器に向けて文言を伝える。
「『我が国の技術の後進が決定的となれば、いずれカペル王国のような結末が待っているかもしれない。このような平和的な方法で我が国の技術を示すことこそ、プロアニア王国増長の歯止めに繋がるのではないか』」
言い終えるのと同時に、ユーリーはペンを置く。女々しく丸い文字で書かれた文章には、自国の技術を表明する良い機会であるという旨の文章が見られた。
「有難うございます。くれぐれも、お願いしますね」
受話器を置くと、ベルが高い悲鳴を上げる。彼は暫く何もない壁面をぼんやりと眺め、背もたれに身を預けていたが、やがて机に置かれたシューアイスの箱を手に取る。そのまま椅子を半回転させて立ち上がると、土産箱の並んだ棚を開けて、その箱を中に仕舞った。
一歩後ずさり、棚一面をうっとりとして眺める。上々なコレクションに箔が付いたことを喜びつつ、彼はゆっくりと踵を返した。
上衣掛けに掛かった毛皮のコートを取り、分厚い帽子を被る。下駄箱の上に乱暴に置かれた鞄を持ち上げて、よく手入れされた革製の靴を履く。扉の鍵を開けると、鼻歌交じりに議事堂へと向かった。