‐1911年春の第一月第一週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク‐‐
ムスコールブルクの新年は静かな始まりであった。古い土色の雪が降り積もり、止むことなく空から雪が降り注ぐ。春の訪れを感じられない強い豪雪は、空の最後の抵抗のように思われた。
薄着を着るにはやや肌寒いと市民が感じるような気温の中で、ラジオの周波数をいたずらに弄る人の中には、時折電波を届けるプロアニアの放送局からの配信に合わせる者もいた。
音質のひどく悪い、聞き取れるか否か判然としないほどの電波を受けて、ラジオは砂嵐の中から言葉を切り取ろうとする。
「……は……ナファルガー……打ち上……功を……しました」
何かの打ち上げに成功した、という断片情報を捕らえるなり、ラジオを弄っていた人物は慌ててデスクに人を集める。各階に散らばった同僚を集めるように声をかけた彼は、デスクに肘をついて忙しなく指を動かしながら、同僚が集うのを待つ。断片情報ではあったが、プロアニアからの情報が開示されるにつれ、彼の期待と焦りが徐々に増していく。
彼の周りに慌てて集まった数名に、彼は耳打ちをするような小さな囁き声で言い放った。
「これは飛ぶように売れるネタになるぞ!」
ラジオは新年の挨拶を伝える話題へと移っていく。彼はラジオから流れた断片情報を慎重に周囲に伝えた。彼の同僚の中には青ざめたり、あるいは項垂れる者も現れた。それを受けて、彼はデスクを一度激しく叩き、声を荒げた。
「そうだ!私達の使命は鮮度のいいネタを提供することだぞ!今すぐ速報の用意をしろ!各々の意思で言葉を組んで構わん!すぐに取り掛かるんだ!」
同僚たちは急いでデスクへ向かう。彼は休日で寝静まった小さな印刷所に電話を掛ける。何度目かの呼び出し音を苛立ちながら聞いた後、受け手が「もしもし」と言い切る前に、けたたましく声を張り上げた。
「臨時で印刷の発注をしたいのですが!大きな速報なので初動で一万部は刷りたい!」
掠れた声をした印刷業者は、慌ただしい音を立てて立ち上がり、衣服を取り換え始めたらしい。
「いつですか。即座に準備をしても二時間ほど掛かりますが」
「それで大丈夫です!出来次第、ご訪問いたします」
「分かりました。準備が出来次第、表を開けておきます」
何度かの応答の後、彼は受話器をそのままに電話を切る。続けざまに別の印刷会社に電話を掛け、同じように応答を待った。
三回の呼び出し音が鳴った後で、同様に受話器が取られる。捲し立てるように依頼を言い切ると、彼はもう一つの印刷所も強引に稼働させた。
年明けの休刊日であるはずの新聞社は、忙しく短い記事を書き切る。やがて出来上がった文章を推敲しながら貼り付け作業を行った男は、新入社員の一人に記事を放り投げた。
「そこの印刷所に届けてこい!お前はそっちの印刷所!」
慌てて飛び出した新入社員の後ろ姿を見送ると、男は同僚たちをデスクに集める。デスクのごく近くに置かれた、大きなラジオの周波数を整えると、彼は集った同僚に向けて歪んだ笑みを浮かべた。
「さぁ、とんだ副収入だ。新聞売りの子供をかき集めてこい!」
仲間たちが解散すると、今度は男の電話機が鳴る。男はラジオの音を下げつつ、受話器を即座に持ち上げた。
「はい!……お世話になっております。はい。はい。……分かりました」
男はメモの切れ端を鷲掴みにし、ペン先を曝け出したままのペンを取り上げて文章を書く。受話器越しの若い張りのある声を聞きながら、丁寧な口調で応答を続ける。そして、その声を聞いたままで、素早い動きで走り書きを続ける。やがて男が受話器を置くと、通りがかった部下の一人に向かって声を荒げた!
「印刷所行った奴らを捕まえてこい!この文章も追加するように伝えろ!」
彼は部下にメモ書きを投げると、再び印刷所に電話を掛ける。先程より長い呼び出し音の後に、「後続を送った」旨を、唾を飛ばしながら伝え、受話器を置いた。
「……よし。食いつきは最高のはずだ!」
彼は大笑するのを押さえて、次の根回しに入る。本来翌日に送付される文章の校正作業に戻った。
降りしきる雪の中を、若い新聞社員が駆けていく。教会に説教を聞きに行く人々が、この若い社員の慌てぶりに振り向いて、その背中を見送った。




