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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1910年
313/361

‐‐1910年、冬の第三月第四週、プロアニア王国、ゲンテンブルク‐‐

動物が被害を受ける回となります。閲覧注意です。

  凍てつく夜の空気は深く、年末の騒々しさに町も未だに眠りには至らない。新年だから、旧年だからといちいち騒ぐ都市ではなかったが、たまの休息を過ごせる日とあって、町には家族連れや友人らしい人々で溢れている。


 ゲンテンブルクの工場も徐々に年内の業務を終えて、家路につく人の足取りも軽い。息苦しさを齎す煤煙も幾らかは薄まり、薄い霧が足元を僅かに霞ませる。

 バラックの宮殿も、形式的な祭礼を終えて、御用納めとなった。多くの閣僚と官僚たちが恋しい家に戻る中、アムンゼンは背中を丸めて年明けの準備を続けていた。


 檻の中に数匹の犬が匿われている。命の気配が感じられない上級会議室の一室に、彼らはアムンゼンと共に押し込まれていた。


 丸い瞳の犬たちは、尻尾を巻き、沈黙を守っている。アムンゼンが身動ぎするたびに、彼らは視線を彼の方に向けた。


「こんな説がある。人間の白眼が大きいのは、自分の意思を視線で仲間に伝えるためだと。自然界では弱点になるのだろうが」


 アムンゼンがぽつりと呟く。怯えた犬の内一匹が、アムンゼンに向かって低い声で吠えた。アムンゼンは目にも止まらない素早さで銃を引き抜くと、吠えた犬に向けて発砲した。


 床に薬莢が落ちる。役目を終えた工場さえも立ち上げることのない煙を、宮殿の会議室が上げている。檻の中に蹲り、血だまりを作る一匹を覗き込み、アムンゼンは小さな声で零した。


「確かにこの仕事は、フランシウム閣下には少々酷だろうな……」


 ここに集められた犬たちは、元々は保護施設で殺処分を待つ犬たちで、数十匹もいた。厳しい審査を幾つも越え、恐怖でパニックにならない犬を厳選した末に、最終試験がこの暗い上級会議室であった。


 人間でさえ、暗い室内に何日も閉じ込められれば精神に支障をきたすだろう。これは、極限状態の中で、犬の忍耐を試す試験であった。


 殺処分を待つ犬とは言え、命を預かる仕事であることに違いはない。フリッツはその点においては軍人のように非情になれない男であるから、この仕事を断ったのであろう。


 銃声にパニックを起こし、こだまのように吠える犬を次々と殺処分していく。アムンゼンでさえ、動かなくなる犬たちを見おろして、僅かばかり憐憫の情を抱いた。


 上級会議室の赤いランプさえ灯されていない。夜目に慣れ、敏感になる耳に頼って行われる無慈悲な虐殺は、年の瀬に浮かれるどの人にも聞こえることは無かった。


 血が檻から滴り落ちないよう、アムンゼンは動かなくなった犬の檻を覗き込み、タオルで血を拭う。どくどくととめどなく流れる血液が、ほんの少しの光を反射して白っぽく輝いた。


 彼が近づくのに驚いて吠えた犬を処分する。そしてその血が零れないように檻を拭う。アムンゼンは、それをひたすら繰り返す。そのうちに、遠い空に向かって、晩鐘が鳴る。それは、神匠ダイアロスを崇拝していた当国の、数少ない信仰の名残であった。


 鐘の音を受けて、アムンゼンは懐中時計を確認する。時計は新年を告げる二刻前であり、実験の終わりが刻一刻と迫っていることを示していた。


 残りの犬は二匹。フリッツが犬たちを最後に見たときは、慈しみ深い笑みを浮かべて餌を与えていた。そのうちの半数が、今日の内に処分された。


 残りの二匹もすっかり恐れ戦いてしまっている。もしかしたら、声さえ出せないほど怯えてしまっているのかも知れなかった。


 アムンゼンは、流血の処理を終えると、雑巾を洗い、手袋を捨てて手を洗い直した。


「カペル王国人はあまり手を洗わないそうだが、ムスコール大公国のような細菌の生存限界でさえないのに、何故そのようにできるのだろうな」


 答える者などあるはずがない。ただ、秒針の時間を刻む音だけが、狭い室内に響いている。

 アムンゼンは手を洗い終えると、水差しに手を伸ばす。水を飲み、光の差し込まない室内でぼんやりと座り込んだ。


 彼の脳内では、次年の政策について、簡単な計画が進んでいる。王に何を奏上し、何を個人的な判断の内で処理するのか。また、今後も継続的に占領地を統治するために、どの程度の軍備を整えておく必要があるのか。エストーラやムスコール大公国に関することは、あまり眼中には無かった。


「国内で考えることが多くなりすぎたようだ……」


 彼は小さく零すと、再び水を口に運ぶ。舌の上で少し温めて飲み込んだ後で、彼は新しい手袋を嵌めた。


(ヴィルジールやレノーに、完全に統治を委任しなければ、陛下の身が持たないかも知れないな)


 時間はゆっくりと流れていく。目を大きくし、尻尾を丸める犬たちは、時計の針が動くだけでパニックになりそうなほど、ガタガタと身を震わせていた。


 やがて晩鐘が再び鳴る。アムンゼンが時計を見ると、年が明けていた。


 上級会議室の紅いランプを灯す。犬たちのために餌をやり、一服をする。

 五分ほどして、会議室の扉が開かれた。


「陛下……」


「アムンゼン、どれにするか決まったかい?」


 檻の中の犬たちは餌を貪り食う。アムンゼンが視線を向けた時、一匹の犬はいつの間にか失禁してしまっていた。


「……えぇ」


 アムンゼンはそう言って、檻の一つを部屋から持ち出した。それをヴィルヘルムに提示すると、彼は犬に冷たい笑顔を向ける。


「最期まで生き残れるとは、幸運な犬だ」


 アムンゼンは、上級会議室の中に戻っていく。部屋の中から、もう一匹の犬が、運び出された。


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