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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1910年
312/361

‐‐1910年秋の第三月第二週、プロアニア王国、アビス2‐‐

 憎しみを抱かないかと問われれば嘘になってしまう。侵略者が自分達の平和を壊したのだから。しかし、それを理由に反逆者として戦う覚悟があるかと問われれば、俺には無いと思う。


 兜を脱ぎ、名前も知らない相手と居を共にして長い時間が経った。彼が自分を呼ぶ際の鉄兜、つまりはちょっと高価な兜をかぶっている奴という言い方が、既に相応しくない見た目になって久しい。それほど時を経てから思い知るのは、自分には戦争の重みに耐えられる余裕はない、ということだ。


 先ほど広間に突然に現れた『大いなるアイリスを咲かせる』と叫ぶ人々は、戦う覚悟があってここに来たのだろう。自分にはない感性だったので、ふとそんなことを思った。


 兵士達が声質検査を行い、住民の声を拾っている。俺も協力を請われて声を出したが、何てことはない。彼らは記録を残して「どうもお疲れ様です」と伝えて俺を解放した。無秩序で愉快なカペル王国に、秩序を重んじるプロアニア人がやって来ただけの話だ。

 一人一人の声のサンプルを取り、蓄音機に耳を澄ます専門家の合図で住民たちが解放されていく。解放されて自室へ昇っていったあとで、別の兵士が一つ一つの部屋を訪問して聞き込み調査を続ける。少し時間が掛かったものの、それは俺の所にもやって来た。


 梯子を登り、「少し宜しいですか」と声を掛けられる。俺は無言で頷いて、入り口の閂を抜いた。


「失礼いたします。先程の件について、何か知っていることなどあれば教えて頂きたいのですが」


「何も知りません。突然市街地の方からやってきて、大声で何か主張されたあと、皆さんが来ました。それだけだと思います」


「その前後に誰か来ましたか?」


 俺は天井を仰いで記憶を呼び起こす。真新しい記憶なので、直ぐに答えが出た。


「そう言えば吟遊詩人がいましたよ。外で歌っていたのが聞こえました」


 機械的なペンで記録を取る兵士の手が止まった。彼は顔をこちらに向けると、怪訝そうに首を傾げた。


「吟遊詩人ですか?どのような歌を?」


「あれは多分、アビスでの戦闘の歌と、もう一つは、なんでしょうか。吹雪がどうのと言っていたので、国境での戦闘の歌ではないかと」


 断片情報を伝えると、兵士はメモを取り、やや前のめりになって再び質問をする。


「その人物の顔や声の特徴などは分かりますか?」


「顔は、すいません……。寝ていたもので。声はごく普通の声でしたし、先程の人物とは似ても似つかないものでした。あと、歌は下手でしたね……」


 兵士はそこまでメモを取って、何かに思い至ったように僅かに視線を上に向けた。暫くメモを取る無言の時間が続いた後、彼はメモを覗き込みながら続けた。


「ご協力ありがとうございます」


「お疲れ様です。今どき珍しいですよね、吟遊詩人なんて」


 何気なく呟くと、彼は含み笑いを浮かべたまま頷いた。


「きっと思う所があったのだと思いますよ。私も分からないではないので」


 よく見れば、その人物の首筋には蚯蚓腫れのような傷があった。彼は視線に気づいてか、傷跡を隠すように身動ぎしつつ立ち上がった。


「俺も、昔は研究者を目指していたんですけどね。色々あって、今はこうです」


 制服がよく見えるように両手を広げ、自嘲気味な笑みを零す。俺は何も言えなくなり、彼の手の中に、支給された煙草を一つ握らせた。


「頑張って」

「……はい」


 兵士は煙草をポケットの中に入れ、複雑な表情で答える。彼はそのまま階段を降り、次の部屋に登りなおして質問を始めた。


 住民への質問を終えて、兵士達が立ち去る頃には、夕陽は傾いて息を潜め、長い夜が始まっていた。その頃に疎らに帰宅する人の中に、同居人の姿があった。


「ただいまー」

「お帰り」


 気だるげに声をかけた同居人は、汚れた服のままでごろんと居間に横たわる。俺は支給品の水とパンを半切れ分に切り、それを相手に渡す。もぞもぞと起き上がった半目は水を一口飲み、硬いパンを水に浸して口に運んだ。


眠たそうな顔がもごもごと動く。戦場では案外逞しかったというのに、今の彼はとにかく気だるげだ。


「さっきさ、吟遊詩人が通りかかって、戦争の時の歌を歌ってたんだよ」

「ふぅん。珍しいね」


 半目は猫のように気ままに体を伸ばす。ぴったりと床に体を張り付けたまま、暢気な欠伸を零した。


「その後に、喧しい奴がきてさ。『王国の復興』を目指して決起しようとか、何とか言ってたんだよ」

「ふぅん。俺はどうでもいいかなぁ」


 半分のパンを頬張る。乾く口の中を水で流した。


「お前らしいな。俺は、戦う気力はないと思った」


 半目は少し間をおいて、もぞもぞと起き上がる。パンを嚥下し、細い目を更に細めて、悪戯っぽく笑って見せた。


「臆病だなぁ。でも、俺も疲れるのは嫌だからなぁ」

「ふん。ものぐさめ」


 苦笑で返すと、相手はハイタッチを促すように俺に掌を向けた。


「いえーい、お揃い」

「一緒にするな」


 俺は優しく頭に手刀を落とす。眠たそうな顔をした半目がなぜか楽しそうにふにゃりと笑った。


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