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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1910年
307/361

‐‐1910年夏の第二月第四週、プロアニア、ケヒルシュタイン‐‐

 海岸線には色とりどりの自動車が停車していた。ハンザラントワーゲン社の黒塗り車両のほかには、そこから独立した個人経営の車両が並ぶ。当国において色を好むというのはある種の異例であり、運転手自身も困惑しているに違いない。


 海原の上を鳥が北へ、北へと漂いながら飛んでいく。容易く大海原を渡る技術を持っていながら、人々は彼らの後を追うことが出来ない。船を浮かべ、北に旅立とうとすれば、かつての友人や取引相手に会おうとすれば、彼らは背中を射抜かれてしまうだろう。

 プロアニア王国にとっての国境線とは、世界の果てに他ならなかった。


 渋滞する海岸線の道を、一杯の総菜を詰めたビニール袋を抱くコンスタンツェが通りかかる。陽気な鼻歌を歌いながら、ハンザラントワーゲン社へと向かっていた。


(他人の金でロケットを作るのは楽しい!)


 彼はフリッツからの説明を受けて、既に改良機を仕上げていた。曰く、宇宙への生物の打ち上げという人類初の偉業を達成させること。これこそが、王国の次の目標なのだという。


 もっとも、彼にとっては王国の目標など問題でさえなかった。良い環境で研究に熱中できる、それだけで幸福ではないか。

 例えば色彩豊かな車両が続々と連なる姿がとても無意味であるように、種の繁栄を求める王国の希望など、彼個人にとっては何の意味もない。彼に金を渡し、場所を提供してくれるという結果にのみ、意味があるのである。


 ソースたっぷりのハンバーグを自費で贅沢に食べられるという喜ばしい出来事に自然と足取りも軽やかになる。民族衣装(スーツ)を身に纏った通行人がすれ違い様に振り向くほどの浮かれぶりであった。


 廃鉱山の前に迎えの車が寄せられている。彼はドアノブに手を引っかけて扉を開けると、するりと座席に座り込んだ。


「嬉しそうですね」

「今日はハンバーグだよ。ご馳走だ!」


 運転手はウィンカーを出し、狭い道に入った。山沿いの長い道路の先には、彼らの職場がある。一日中籠れるような最高の職場である。


 鼻歌は続く。陽気な音楽と、音の外れた軍歌が混ざり合って響いた。


「ナファルガーの進捗はどうですか」


「もう完成したけど、さらに改良したいところだね。安全性に懸念がある。中の動物が黒焦げになって戻って来るかも」


 浮かれ気味の声色に、運転手は思わず顔を顰める。コンスタンツェという人物は、時折常軌を逸した問題発言をする。


「……はぁ。ロケットの開発とは、難しいのですね」


「そうでもないよ、楽しいよ。あらゆる分野の学問を取り扱う、総合科学だ」


 彼は屈託のない笑顔を見せる。苦笑いで返す運転手に対し、彼は宇宙飛行の何たるかを伝えた。

 職場へと戻ったコンスタンツェは、車を飛び出して技術開発室まで一直線に駆けていく。彼の部下が粛々とナファルガーの試作機を組み立てる中、席に着くや否や、彼は袋一杯の総菜を乱雑に机の上に置いた。


 設計図の上に、濃い味付けの脂っこい料理が乗ったトレーがばら撒かれる。彼は設計図を引っ張り出し、商品の包装を取り除くと、化石燃料から作られたフォークで料理を串刺しにして口に運ぶ。


 きらきらと目が輝き、足をばたつかせて喜ぶ彼を、技術者たちは足場の上から睥睨した。


 ナファルガーには、幾つかの新技術が取り入れられていた。宇宙空間での生存を可能にするため、耐熱材を利用し、生命維持装置を設置した。宇宙空間で生体が活動できる機体を想定して作られていたが、軽量化のため必要最低限の空間しか設けられていない。少なくとも、人間が入るにはあまりに小さい。


 コンスタンツェが付け焼刃的な王国の指示を二つ返事で受けてしまったために、彼のもとで働く技術者たちは彼と同様に殆ど箱詰め状態で作業を続けることになってしまった。


 燃料は毒性の強いものであるため、深刻な労働災害も生じたことがある。それにもかかわらず、コンスタンツェは働き続けるので、従業員もそうせざるを得なかった。


 工場の駐車場には救急搬送車が常に貼り付いている。医務室には救命医が交代で派遣されており、致命的な事故は起こるものとして作業が続けられていた。


 食事を摂りながら作業を続けるコンスタンツェを、技術者たちはこぞって軽蔑している。銃殺事件のこともあり、誰も口出しはしなかったが、彼らとコンスタンツェの間には、致命的な隔たりがあった。

 コンスタンツェが咀嚼をしながら、フォークで作業員を指示する。


「ん。設計図と違う」


 指示された作業員は無言で設計図を開く。目の下に出来たくまははじめから描かれていたかのように濃く、頬のこけた顔によく馴染んでいた。


「もうすぐ発射実験の期日だから、気を付けてよね」


 頬張ったハンバーグから、肉汁が滴り落ちる。技術者は眉間に皺を寄せて上司を睨み、修正作業に戻った。


 作業は着実に進んでいく。終業のチャイムが高らかに鳴り、車両の生産ラインが一つずつ消灯していく。極めて明るい照明に目を窄めて、技術者たちは作業を続けていった。


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