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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1910年
303/361

‐‐1910年春の第二月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐

 宇宙飛行の達成に対する歓喜は、半年と続かなかった。市民には生活があり、一過性の娯楽にいつまでも縛られるわけにもいかない。未婚女性には生まれたばかりの子もあり、生活の負担を和らげるために、彼女たちの結婚ビジネスが急速に業績を伸ばしていた。


 集団見合い受付の貼り紙を見つめて、帰投した負傷兵はがっくりと項垂れて立ち去る。骨と皮だけになった彼は、松葉杖で片足を支えながら、安月給の国営工場に向かう。バスを降りた身なりの良い、疲れた顔の女性が、おんぶ紐で赤子を抱えながら、同じ貼り紙の前で立ち止まった。


 都市には咳き込む声が時折響く。相変わらずの曇天と、薄いスモッグに阻まれた空には、美しいものは一つとして照り付けなかった。


 アムンゼンは黒い車両を停めるように運転手に声をかける。車両は静かに速度を落とし、やがて貼り紙の前で停車した。


 扉を開け、広告の内容を確かめる。募集内容の中には、女性側に関する記載はなく、男性には、「負傷・奇形のない健常者であること」と記されていた。


 アムンゼンは口元を覆いながら首を傾げる。

 あまりにも、個人主義的な内容であったためだ。

 彼は助手席に戻り、写真機を取り出す。貼り紙の前に真っ直ぐに立ち、写真を募集要項が明確に映るように撮影をした。


 アムンゼンは再び助手席を開け、写真機を戻す。後部座席に座りなおすと、運転手に出発をするように声をかけた。



 宮殿に到着した車両から写真機を持って現れたアムンゼンを、官僚たちは首を傾げて見る。首に提げた写真機は高級なものではなく、簡素な代物であった。


「写真撮影がご趣味なのですか?」

「いえ、別に」


 無表情で即答するアムンゼンの姿に、官僚たちは益々首を傾げる。アムンゼンは「もう、よろしいでしょうか」と尋ね返し、官僚たちもそれ以上言及せずに各自の業務に戻っていく。アムンゼンは迷いなく、宮殿の自室へと向かった。


 途中、侍従に現像をするように写真機を渡す。侍従も困惑しながら写真機を受け取った。アムンゼンの、威圧感すら感じる無表情に気圧されながら、侍従は通常業務へと戻っていった。


 アムンゼンが通常業務を進めていると、電話機が鳴る。ベルが1コールを終える前に即座に受話器を取る。目にも止まらない速さで持ち上げられた受話器からは、国王の上機嫌な声が響いた。


「アムンゼン。おはよう」


「おはようございます」


 肩で受話器を挟み、中断された作業を再開する。王は浮かれた笑い声を受話器の外に零していた。


「いや、実はね。宇宙飛行について、もう一つ計画が進んだようだ。予算の都合もあるだろうから、そちらに計画案を届けようと思ってね」


「承知いたしました。すぐに確認いたしますので、こちらに届けさせてください」


「申し訳ないがお願いするよ。こちらは今ちょっと……手が離せなくてね」


 からからと笑う声が聞こえる。アムンゼンはじっとりとした目をして、受話器の向こう側で起こる笑い声に耳を傾ける。王の声のほかには特に奇妙な声はなかったが、衣擦れの音から、王の寝室から電話をしていることが分かった。


 気軽な挨拶をして受話器が置かれる。アムンゼンは取った際とは反対にゆっくりと受話器を下ろし、進行途中の業務を見おろした。


 彼は左右の手でペンを持ち、左手で簡単な署名作業、右手で複雑な業務をこなし始めた。


 サインは酷く不格好なものとなったが、アムンゼンの書類にはそうしたものも珍しくはないため、到着した侍従が簡単な業務のサインを目にしても、気にも留めずに処理済みのキャビネットに仕舞った。


 十分ほど経つと、ドアをノックされる。


「宰相閣下、国王陛下から、確認用書類のお届けです」


「入りなさい」


 短い応答をすると、入室してきた人物が業務中のアムンゼンに近づくより先に、侍従が近づき書類を受け取った。書類は厳重に封をされ、一度開けられていた形跡がある。雑な切り口を見ると、アムンゼンは王が封を切ったものだと即座に判断した。


 彼は受け取った封筒を裏返す。差出住所はケヒルシュタイン、差出人はフリッツ・フランシウムとなっていた。



 宇宙飛行成功に伴い、次の宇宙開発計画を実行するべく、現時点での必要な技術開発に関する説明を行います。

 現在、人工物を宇宙空間に送ること、即ち、宇宙空間への到達を達成した我が国の次なる目標は、言わずもがなこれを「未知の物質の探索と新規事業のために必要な開発事業を行うこと」であり、ここに至って初めて、宇宙飛行に実用的な意味が与えられることとなります。

 そこで、調査員などを宇宙空間に到達させることが次なる目標ということになります。


 しかし、即座に人間を派遣することは、リスクに対して明確なリターンが伴わず、合理性に欠けると言わざるを得ません。


 そこで、プロアニア王国国立科学コロキウムを招集し、討議した結果、先ずは宇宙空間に生物を派遣することを第一目標とすることが合理的であろうという結論に至りました。

 そこで、生物の宇宙空間への射出実験に必要な費用や技術について、別紙のとおりご報告いたします。これらの事業は科学的偉業である以前に国益に適うものでなければならないというのが私見でありますので、先ずは慎重なご検討の上で、本計画を実行するべきか保留とするべきか、ご判断願いたく存じます。


 以上の通り、御奏上申し上げます。


 プロアニア王国科学相 フリッツ・フランシウム


 流麗な手書きの便箋を捲ると、必要な各種の技術について記されたリストや、蒐集済みの技術について示されている。その科学分野は多岐にわたり、蒐集の困難さを如実に示している。


 第一に、宇宙空間が地上と大きく異なる点について、コロキウムの見解として課題を挙げている。次の計画を達成するために必要な事項として、生物の生存に必要な1、酸素の生成、2、水分の生成、3、温度の調整、4、重力に関する問題が挙げられている。

 そのうち、酸素の生成については水の電気分解により短期的には生命活動が維持できること、長期的には二酸化炭素による中毒の問題が発生するため、これを解決する必要があることが示された。水分の生成については、人間が排出する水分の再回収を可能にする必要があるが、尿などを分解することで対応できるとして、短期的に問題は発生しないとしている。3、の問題については、特に宇宙空間への到達の際に、強力なエネルギーが必要な点から、排熱の問題が発生すること、4、については、これらの問題を解決したうえで、重力負荷による装置の故障等の問題が発生する懸念があることを提示されていた。


 必要な技術に関して、多くの技術が殆ど網羅的に記載されており、それらの権利を利用するために必要な予算は莫大なものとなっていた。


(こんなものを、一年の予算内に収めるのは無理があろう)


 アムンゼンですらその懸念に即座に思い至り、科学省に配分された予算を確認した。

 添付資料の試算通りにいけば、予算では実行不可能なことは明白であった。宰相は科学省の予算が記された資料を下ろし、鋭い目を光らせた。


 彼は静かに受話器に手を伸ばし、片手でダイヤルを回す。3回目の呼び鈴の後、受話器の向こう側でフリッツが声を上げた。


「お待たせいたしました。フリッツ・フランシウムです」


「フランシウム閣下、アムンゼン・イスカリオです」


「ああ。宰相閣下。いかがなさいましたか」


 心を許した友人に向けるような、穏やかな声音である。アムンゼンは構わず抑揚のない声で続けた。


「宇宙開発事業に関して、ご提案をさせて頂きたく思い、お電話を致しました」


「やはり難しいですか」


「えぇ。ですが、民間からも資金を募るべく、別の予算で基金を設置するというのは如何でしょうか。国民はそれなりに宇宙開発に関心を抱いているようですので」


「なるほど。それならば追加の予算も最低限で済みそうですね。早速検討いたしましょう」


「それでは、陛下に御奏上いたしますね」


 流れるような会話が途切れる。アムンゼンは念を押すように「よろしいでしょうか」と聞き直した。

 沈黙の向こう側で、穏やかな息遣いが聞こえる。


「えぇ、お願いします。魅力的なご提案を有難う」


 受話器が静かに下ろされた。アムンゼンも受話器を下ろす。彼は眉間に皺を寄せながら、添付資料を眺めた。

 タイプライターで記された形式ばった文字の羅列が、莫大な資産を提示していた。


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