第83話・命の値段
「ハード、遅せぇぞ。なにやってたんだ」
オレの顔を見るなり、リーダーが悪態をついた。火のついていない葉巻をくわえ、暇そうにしている。
「油を売ってたんだよ」
「なっ……お前、HuVer用オイルなんて持っていたのかよ。ったく、そういうもんは先にこっちにまわせや」
勘違いも甚だしいが、日本のことわざなど知らなくて当たり前だろう。それでもジャックだけはわかっているようだ。苦笑いを浮かべ、リーダーの勘違いを楽しげに眺めていた。
「えっと……揃いましたね」
穂乃花は部屋を見渡すと、ヒビの入ったウォーターピッチャーから黒い飲み物をコップに注ぎ、アスマとともに配り始めた。
「これは?」
「ジャラブ、だそうです。ブドウの蜜とローズウォーターをミックスしたこの地域の飲み物らしいですよ」
戦場に出ている間、残った者たちで作ってくれていたものだという。この辺りではごく一般的な飲み物らしい。
「甘っ」
「―—賢ちゃん!」
あまりの甘さに眉をひそめた瞬間、アスマが頬をふくらませた。
「これすら口にできない人が大勢いるんだから!」
「あ、えっと……ごめん」
……十四歳の少女から、情けなくも人道的なお叱りを受けてしまった。
「じゃ、始めようか」
和んだ空気を引き締めるように、ジャックが静かに口を開く。しかし——。
――ごきゅっ、ごきゅっ。
静まり返った部屋に、エアコンの風音に交じって、ジャラブを一気に飲み干す嚥下音が響いた。
「兄貴、空気読め!」
アスマがガンッとリーダーの足を蹴る。一瞬何が起きたのかわからなかったのだろう、彼はキョロキョロと見回し、ハッと気づく。みんなの視線を察したリーダーは、『すまねえ』と照れ笑いをこぼした。
「それじゃ、改めて……」
居住まいを正して、ジャックは話し始める。
「あと一つ、必要なものがあるんだ。Spectrum Damper、砕けて言うと、妨害電波装置だね」
敵前逃亡を図る機体は、ドゥラ軍のレーダーですぐにバレてしまう。オレたちが逃げる時、その電波網を潜り抜けるために必須の装置らしい。
「そんなもの、どこにあるんだ?」
「ん~、ファトルさんが持っていそうですねぇ」
張飛が、タブレットを操作しながらつぶやいた。
「は? 誰だよそれ」
「市街地にある、資材調達屋さんですよ」
「おい、お前も同業だろ」
「守備範囲が違うので。ライトのイチローが三塁の球を取りにいかないでしょう?」
……こいつ、自分をイチローに例えやがった。
「張飛の言う通り、多分ファトルの店にあるよ。必要なのはAN/XLQ-13 、通称“ヴェール”と呼称されるタイプの物だ。こいつでしか、ドゥラの通信領域に干渉できない」
「なんで今なんだ? もっと早く準備しておけただろ」
「ハード、少し考えてみようか。|妨害電波装置《Spectrum Damper》の使用目的は?」
「レーダーの妨害だろ?」
彼はうなずき、まるで教師のような立ち振る舞いで言葉をつづけた。
「そこで問題になるのは、その妨害対象がどこなのかってことなんだ。ドゥラの通信領域に割り込める機種。そんなものを購入した時点で、必ずどこかからかハリファに漏れてしまう」
「疑われたらその時点でアウト――って、そうか! このタイミングで脱出を計画したのって……」
「うん、君の推測通りだよ」
米軍とNATOが攻めてきている今なら、こちらに注意が向く可能性が低い。装置を直前に調達するのは、この混乱でハリファにまで情報が届かない可能性もあるからだ。
……ジャックは、そこまで読んで計画していたのか。
「それで、いくらするんだ……?」
「二十年前のパキスタン事例に使われた物だと、当時で二百六十万ドルってとこ」
「……って、六億円!?」
「そもそも民間に出回らないものだから。企業同士の価格競争もほぼ起こらない」
「そんなもん買えるわけがないだろ」
正直、高額な数字に脳が追いついていなかった。……月々三十万に届かないサラリーマンには、縁のない桁数だ。
「軍の横流し品なら二百万ディルファムってところだろうね。五十年落ちのレガシーレベルだけど」
「それでも九千万円もするのか……」
「君と穂乃花、そしてアスマとタラール。四人の命がそれで買えるんだ。高いと思うのかい?」
部屋の隅でコッソリと手をあげる張飛。五人目の主張をしているのだろう。
「まあ、安心しろ。その金は俺らが出してやる。タラールやアスマの未来のためだ。その代わり、買いつけには自分で行けよ」
リーダーが男気を見せ、キングとジャックがサムズアップで答える。
「命の値段、か」
……たしかに、高いか安いかなんて問題じゃないな。
♢
HV倉庫から五分ほど歩いたところに、件の男の倉庫があった。鉄くずなのか、まだ使えるのか、わけのわからない物体がそこら中に積み上げられ、店内に太陽光が入るのを妨げている。
一歩足を踏み入れると、あまりの暗さに一瞬視界がゆがみ、思わず足を止めた。
「誰だ……」
奥の方から声がする。しかし闇に閉ざされ、姿は見えない。オレは一歩一歩床の感触を確かめながら、ゆっくりと進んだ。
「あんたがファトルか?」
目の前に現れたのは、マッシュルームカットの男だった。その鋭い眼光は、明らかにこちらを値踏みしている。
「……何の用だ?」
「ヴェールが欲しい」
――その瞬間、男に殺気のようなものが走った。
「何に使うつもりだ」
「それは聞かないのがルールじゃないのか?」
ファトルは舌打ちをして指を二本出した。これは一本あたり百万ディルファムを表す。ジャックの推測通りの金額だ。
―—だが、この金額を馬鹿正直に出すつもりはない。
「仕入れはその半分くらいだろ? ぼったくりすぎだと思わないのか?」
リーダーたちみんなで出してくれる金だ。申し訳ない気持ちが先に立ち、『少しでも値切らないと』と交渉を始めた。
しかし――男は黙ったまま、指を三本に増やす。オレの頬に、背中に、ツーっと冷たいものが流れた。
「ま、待てよ。軍の横流し品なのはわかってんだぜ? そんな禁制品を……」
スッと指がもう一本上がった……
「待て待て、待ってって!」
……どうやら、俺には交渉の才能なんてなかったらしい。
♢
「お帰り、どうだった?」
オレが部屋に戻ると、ジャックは偵察ドローンのモニターから視線を上げた。脱出作戦の肝となる機材だけに、相当気になっていたのだろう。
「ああ、あったよ……」
「大体相場通りだったでしょ」
オレは口に出すことができずに、恐る恐る小さく手を開く。
「え……五百万ディルファム?」
ジャックの目が、丸く見開かれたまま固まった。
「おまえ……おつかい一つ出来ねぇのかよ」
「お、俺の老後が……」
続けて聞こえたのは、リーダーの呆れ声と、キングの嘆き。
……面目ない。
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