第45話・優しい手
※閲覧注意。♦~♦の間はセルフレイティング・R15レベルの残酷描写が含まれます。♦の間は、読み飛ばしても話が繋がるように構成してあります。
近づいてくる爆撃の振動、絶え間なく続く銃撃の響鳴。逃げ惑う足音で埃が舞い、悲鳴と共に病院内に入り込んでくる。
タラールは窓を閉め、外の爆音を遮断した。
「お母さん、手伝うよ」
母は一瞬振り向いて、困ったように笑う。
「……ありがとう。でも危ないから。ライラと隠れていなさい」
お母さんが口にしたのは、語尾に力が入った『反論を許さない』という意思が籠った言葉。しかしタラールは首を振り、黙ったまま手を動かした。
ここで育てられた孤児たちは素直だったが、この場面で『やめろ』と言われてやめるような、薄情な人間でも根性なしでもない。タラールは、よくも悪くも育ての母である女医の性格を色濃く引き継いでいた。
「ライラ、お姉ちゃんの手、ぎゅってしてあげて」
「わかた~!」
ライラはつま先立ちになって手を伸ばし、ベッドに横たわるお姉さんの手をしっかりと握った。子供なりに気を利かせたのだろう、小声で『がんばれ、がんばれ!』と声をかける。
「あっ……」
ライラは、大事なボロ布人形をその場に落としてしまった。
「大丈夫だよ」
タラールは妹に声をかけながら、片膝をついて人形を拾い上げた。ちょうどライラと同じ目線になり、安心させるつもりでニコっと微笑みかけたその時——
――耳をつんざく破壊音が響いた。
タラールは咄嗟にライラを抱きしめ、守るように覆いかぶさる。直後、横から物凄い力で押され、そのまま病室のドアを突き破って廊下の壁に叩きつけられてしまった。
「ライ……ラ」
タラールは声を絞り出し、腕の中の妹に視線を向けた。かなりの衝撃を受けたせいかグッタリとして動かない。全身から血の気が引く。しかし、直後その目に映ったのは、ライラの口元で揺らぐ埃。『息がある』タラールはホッと胸を撫で下ろした。
部屋の中から煙が噴き出している。入口は横たわったベッドが引っかかって塞ぎ、自分たちを部屋の外に弾き飛ばしたのは“これ”なのだと、すぐに察しがついた。
壁に叩きつけられた時に頭も打ったのだろうか。ガンガンとした頭痛が耳に響き、吐き気を感じる。タラールは頭を振り、立ち上がろうとしてライラの身体を抱き上げた。
♦
ズズズ……と、ライラがなにかを引きずっている。
「――っ」
タラールは息を呑んだ。妹の小さな手に握られていたのは人間の手――肘から千切れた、お姉さんの手だった。
咄嗟に足で踏みつけると、ベチャッと音を立てながらライラの手から“それ”は離れた。
「……ごめんなさい」
大好きだったお姉さんの手なのに、今は怖くてさわれない。
足で踏みつけた事をひたすら謝りながら、その脳裏にはいつもお菓子をくれたその優しい手と笑顔が浮かんでいた。
泣き出したいのを必死で堪えながら、ライラとボロ布人形を抱きかかえてタラールは立ち上がる。
――お母さんは?
部屋の中を確認しようと、入口を塞いでいるベッドを肩で押し倒した。埃を立てながらガシャンッと音を立て倒れる。埃と煙にむせながら視線を部屋の中に向けると、そこに広がるのはまさしく地獄絵図だった。
所々に火が見え、黒い煙を吐いていた。窓ガラスは割れて散乱し、崩れた壁や薬品棚が無造作に倒れている。
部屋の左隅には、真っ赤に染められた床の上に真っ黒な塊。
すぐにわかった。——お姉さんだ。
それには片手がなく、お腹からは、小さな足のようなものが……見えた。タラールは目を逸らした。いろいろな物が焼けるにおいが混ざり、吐き気がこみ上げる。
……世界が、ドス黒く壊れた。
「タラール……」
あまりに凄惨な光景から目を逸らした時、お母さんの声が聞こえてきた。声のする方を見ると、そこには崩れた壁に押しつぶされて息も絶え絶えの女医がいた。
「――お母さん!?」
「ライラをお願い……」
タラールは母の手を取り引っ張り出そうとしたが、すぐにその手を止めた。瓦礫の下の夥しい血が見えたからではない。母の身体があまりに軽かった事に、恐怖を覚えたからだ。
「絶対に、ライラの手を離さないで……」
その言葉を最後に、二度とその目が開く事はなかった。
♦
それからはどこをどう逃げたか覚えていない。走っている最中に抱きかかえたライラは意識を取り戻し、お母さんとお姉さんが視界の中にいない事で泣き出してしまう。
それでもタラールはホッとしていた。あの地獄を、妹は見ずに済んだのだから。
――オレがこの話を聞いたのは昨日。つまり、傭兵部隊に入って一夜明けての事だった。
ジョーカーの十三歳という若さが気になってしまい、『なんで傭兵部隊に入ったんだ?』と軽い気持ちで聞いてしまった事を……正直今は後悔している。
穂乃花は、タラールに抱きつき頭を撫でながら号泣していた。『お姉ちゃんって呼んでいいからね、タラちゃん』と、この時タラちゃん呼びが定着したのだった。
「というか、国際機関が入っている建物に攻撃するなんて国際法違……反……」
そこまでいいかけて、オレは言葉を切った。ここにきて、“安全な場所から唱える平和的理論なんて、まったく役に立たない”って思い知らされたばかりだったから。
「ふうぅ……」
オレは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら気持ちを落ち着かせた。三つ子の魂というものだろうか、どうしても平和的思想というものが頭の片隅にしがみついている。
そして、その考えも間違いじゃないと信じる心も残っていた。
ジャックは、そんな葛藤する俺の顔を見て察したらしい。
「立ち直ったから話せる事なんだよ」
――だからもうこれ以上は触れるな。ジャックの目は、そう語りかけていた。
「ひとつ、僕から言える事はさ……ジョーカーも、リーダーやクイーンと同じように、復讐のためにここにいるんだよ」
「復讐って、攻撃を仕掛けてきた国に対して?」
ジャックはオレの問いに対してイエスともノーとも言わず、意味深なひと言を返してきた。
「……それも、その相手はすぐ近くにいるんだ」




