提起
古雅先輩のカミングアウトから数日後。
幼馴染が大人しくなったせいかそれとも関係ないのか、以前より静かになった気がする学園に、またしても騒ぎが起こった。
いや。騒いでいたのは、例によって一年生だけだったのかもしれない。
何しろ全校朝礼の生徒会の活動報告に、女装をやめて男子の制服を纏った古雅先輩が現れただけなのだから。
ふわふわ銀髪でいつもにこやかな副会長が居た位置に、黒髪で口を真一文字に結んだ厳しそうな印象の男子生徒。
一年生が「誰だアレ」とざわつくのを尻目に「ああ。久しぶりに見たなあの格好」とどこか生温かい視線を向ける二、三年生たち。
結局何の説明もないまま全校朝礼は終わってしまい、一年生は大混乱。
しかし昼休みになると、校舎内の掲示板に以前とは違う正規の学園新聞が貼られ、そこには古雅先輩が実は男であることと、女装をしている真面目な理由が書かれていた。
「え? これマジ?」
「いや。デマだろ」
「じゃあ副会長どこに消えたんだよ」
と、一年生はまたしても大混乱。
まあ確かに。あの古雅先輩が実は男でしたと言われても、証拠がない以上信じられない人は多いだろう。
案外このまま一年生の何割かは、古雅先輩が女だと思い込んだまま卒業を見送ることになるのかもしれない。
ちなみに古雅先輩と月島先輩の誤報についても触れられており、古雅先輩への謝罪も掲載されていた。
月島先輩への謝罪は当然のようになかった。
やはり月島先輩は新聞部の部長に嫌われているのだろうか。
公正な人だから、恐らくは逆恨みなのだろうけれど。
「うわあ、マジで副会長男だったんだ。股間触らせてもらってもいいですか?」
「寄るな痴女」
そして昼休みの生徒会室。
いつものように昼食を取りに来たのだけれど、入室するなりセクハラ発言をする桐生さんと、距離を取る古雅先輩。
桐生さんのうねうねと動く手が卑猥だ。間違いなく触るだけで終わるはずがない。
「確認するなら胸でいいじゃないか!」
「いやもしかしたらまな板かもしれないし」
「だからって、おまえには恥じらいというものがないのか!?」
「仕方ないなあ。じゃあ見せるだけでいいですよ」
「見せないから!?」
桐生さんの言葉にドン引きしながら叫ぶ古雅先輩。
何というか、女装しているときほど落ち着いた性格ではないらしい。
その代わりにつっこみ体質というかなんというか。月島先輩と同じで苦労人の臭いがする。
「あれ? 交渉するときは最初にハードル上げてから下げると上手くいくって聞いたんだけどなあ?」
「下げたつもりのハードルが高すぎるだろう」
一応話し合いは終わったのか着席する古雅先輩と桐生さん。
初対面に等しいというのに、相変わらず桐生さんの押せ押せコミュニケーション能力は凄い。
「夏になりゃ嫌でも分かるって。古雅さん着やせするだけで体バキバキだから。女装しててもよく見たら腕曲げたときとか力こぶ出てるし」
「桧。そういうことはバラすな」
桧さんの言葉に眉間に皺を寄せて言う古雅先輩。
否定しないということは本当らしい。ついでに桧さんを相手にするときだけ口調が少し荒くなるのだけれど、そこはやはり妹弟子だからだろうか。
「何で藤絵先輩は端に座ってるんですか?」
そして空気が落ち着いたところで、入室してからずっと気になっていたことを聞いてみた。
「……構わないでください」
何か前例がないくらいテンションが低い答えが返ってきた。
顔は俯き気味でどんよりとした空気を背負い、縦ロールも心なしか萎んでいる気がする。
何故テンションに比例して髪質まで変わっているのだろうか。実は生きているのだろうかあのドリル。
「ああ、藤絵さんは何というか……」
「!?」
そう言いながら立ち上がり、藤絵先輩へと近づいていく古雅先輩。
そしてそれに反応し、椅子から跳びあがり距離を取る藤絵先輩。
「古雅さんなんかやったんですか?」
「いや。信じられないだろうが、藤絵さん男性恐怖症なんだよ」
「……え?」
言われて私たちが視線を向けると、藤絵先輩はあからさまに動揺した様子で顔を反らした。
「というかそもそも俺が不本意ながら学校で女装するのを受け入れた理由の一つは、藤絵さんの男性恐怖症対策だったんだよ。女装してる俺は平気だったから、少しはリハビリになるかと思ったんだけど」
「でも月島先輩とは近距離で言い合ってましたよ」
「ああ。だから俺も男性恐怖症は治ったのかと思ってたんだけど……俺は月島ほど信頼されてないということか?」
「ち、違いますわ! 私は古雅さんほど信頼している殿方は他に居ません! むしろあの眼鏡を人だと思っていないだけですわ!」
藤絵先輩からきっつい言い訳が入りました。
月島先輩いい人なのに。いつか報われる日は来るのだろうか。
「大体何故いきなり女装をやめたんですの!? これでは古雅さんに抱きつけないではありませんか!?」
「うん。そういうことを気軽にやるってことは、藤絵さん俺が男だってこと忘れかけてたよね?」
「……」
「せめて言い訳してよ」
古雅先輩の指摘にそっぽを向いて沈黙する藤絵先輩。
二人がレズカップルだというのはデマだったけれど、藤絵先輩がレズだという情報には信憑性がでてきた。
「じゃあ古雅さんが女装やめたのは、自分が男だって忘れられそうだからですか?」
「それもあるけど。俺が女だと思われてるせいで発生した問題も幾つかあったしな。特に新聞にされたやつなんて、月島が可哀想だったし」
「ああ……」
確かにあれは可哀想だ。
新聞を作った本人は古雅先輩への攻撃のつもりだったのだろうけれど、古雅先輩が男だという前提があると月島先輩へのダメージの方がでかい。
いや古雅先輩もダメージは大きいけれども。
「まあそれ以上に俺自身への負担もあったしな。俺はこれ以上一年生の男子に告白されたくない」
「……」
古雅先輩の独白に全員何も言えなかった。
確かにそれは古雅先輩も嫌だろうし、告白した男子からしても悲劇だろう。
むしろ既に告白してしまった男子生徒たちは、古雅先輩が男だと知ってどんな反応をするのか。
「彩月さんみたいなのが大量発生……」
「やめろ馬鹿!?」
ぼそりと呟いた桧さんに本気で嫌そうに叫ぶ古雅先輩。
何というか、ご愁傷さまです。
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「なんじゃ。結局ばらしたのか」
「半分は爺様のせいですけどね」
鉄之助が残念そうに言うのに、古雅は呆れた視線を向けながら茶をすすった。
高市家の屋敷。以前璃音が通された部屋で、二人は向かい合って茶を飲んでいた。
茶道などという堅苦しいものではなく、ただ台所にあった日本茶なり紅茶なりを適当に入れて飲むだけの場。
孫に構いたがる祖父を鬱陶しく思いながらも、妥協した結果生まれた時間である。
「俺の知ってる他の女性とは違って、素直でいい子くらいに思ってたんですけどね。気付かないうちに一気に懐に入られていたみたいです」
「ハッ。そんなだからおまえは半人前なんじゃ。女は鬼にも仏にも化ける強かな生き物じゃぞ。そうして化けて角隠し、阿呆な男を立ててやる気にさせるのをいい女というんじゃ」
「女の黒さは知ってるつもりですが、それでも踊るのがいい男ということですか?」
「カカッ。そうそう。男も女も阿呆は承知の上。恋は盲目、小さな事には目をつむって踊るのさ。おまえも精々踊ればいいさ。女遊びも芸の肥やしというしの」
「俺はこう見えてロマンチストなので、そんな打算塗れの恋は遠慮します」
「ハッハッハ。青い青い」
愉快そうに笑う鉄之助を尻目に、古雅は茶請けの栗羊羹を一つ摘まむとゆっくりと租借し、次いで緑茶で舌に残った甘みを流す。
こうして古雅が鉄之助と話をするようになってからそれなりに経つが、それによって分かったのは、この芸には厳格な当主殿が平時はちゃらんぽらんだということだ。
若い頃から問題ばかり起こしていた鉄之助が問題なく宗家を盛り立てられたのは、奥方が陰日向に支え時に尻を蹴り飛ばしたからに他ならない。
自分とこの爺は生き方も考え方も違いすぎる。故に助言は八割聞き流すくらいでいい。
歌舞伎のことならいざ知らず、私生活において古雅は鉄之助を欠片ほどしか信頼していなかった。
「大体いくら歌舞伎が伝統芸能で時代錯誤な慣習が許されているからと言っても、今の時代に女遊びは破滅と同義ですよ。考えなしの学生がやった度の過ぎた悪戯が、数日後には地球の反対側にまで広がる時代なんですから」
「おお、バカッターというやつじゃな。最近の若者はネチケットとか知らんのかのお」
「……」
一体この爺はどこからそういう知識を引っ張って来るのだろうか。
ネット上でも何かやらかしてないか監視した方がいいのかもしれない。そう古雅は義理の祖母に伝えておこうと判断した。
「しかしおまえさんやけにあの娘をきにいっとるようじゃがのう――」
「……?」
不意に、鉄之助の声色から遊びの色が消え、緩んでいた目元に力がこもる。
「――おまえさん。このままあの娘と結婚しようなどと無謀なことは考えておらんだろうな?」
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「はじめまして山田璃音さん。お時間よろしいかしら?」
「はい?」
突然知らない女性に声をかけられて、私は思わず間の抜けた声で返事をしながら首を傾げた。
学校からの帰り道。路肩に停められた黒塗りのいかにも高級そうな車から降りてきた女性。
腰まで届く濡れ羽色の髪のその女性は、私の姿をゆっくりと眺めると、何かに満足したように頷く。
「……あの?」
「あらごめんなさい。私ばかり知っているのも不公平ね」
戸惑う私にくすくすと笑う女性。
何故だろう。その聖母のような暖かな笑みに、底知れぬ恐怖を感じてしまうのは。
「私の名前は九重葵。貴女の通う学校のOGで、貴女もよく知る古雅稜くんの婚約者よ」




