すれ違い
「好きなものを頼んで構わないわよ」
「……はい」
先日古雅先輩と話をした喫茶店。
その一番奥まった席に、私は先ほど出会ったばかりの女性と向き合って座っていた。
九重葵。うちの学園のOGだという女性。
そして古雅先輩の婚約者だと名乗った女性。
考えてみれば、そういう存在が居てもおかしくはなかったのだ。
以前桐生さんが古雅先輩に「彼氏はいないのか?」と聞いた時の反応。
あの時の桧さんのバレバレな嘘は、古雅先輩の性別を隠すためで間違いないと納得してしまい、当初の疑問をすっかり忘れてしまっていた。
しかしだからと言って目の前の九重さんがそうだとは限らない。
騙り。古雅先輩の婚約者だと嘘をついている可能性もある。
そう考えるべきなのに、それはないと思えてしまうものが九重さんにはあった。
「ふふ。混乱しているみたいね。まずは私が本当に古雅くんの婚約者かどうかの証明からすべきかしら」
そう言って見ている人を安心させるような笑みを浮かべる九重さん。
その笑顔が、あまりにもそっくりなのだ。
古雅先輩。恐らくは彼が理想として演じている、私が憧れた少女の笑顔に。
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「別に結婚とか考えてませんけど」
「……なんじゃと?」
孫の意外にあっさりとした返答に、鉄之助は驚いたように目を丸くし、珍しく厳粛だった空気をひっこめた。
「いや当たり前でしょう。俺はまだしも山田さんは高校に上がったばかりの十五歳の女の子ですよ。爺様の若い頃ならいざ知らず、結婚適齢期まであと何年あると思ってるんですか」
「いや、おまえさんそこは結婚できる歳まで大切にするとか誓って見せるところじゃろ」
「高校生の恋なんて成人までもつか怪しいでしょう」
「えー?」
恋に恋する年頃のくせに冷静すぎる古雅の意見に、鉄之助は本気で困って情けない声を漏らした。
「え? 何? そんじゃあ何か? おまえさん成人までにあのお嬢ちゃん弄んで捨てるつもりなんか?」
「誰がそんな不誠実な真似をしますか。捨てられるなら俺に決まってるでしょう」
「えー?」
一見誠実に見える古雅の意見だが、山田の自分への思いを信頼していないあたり、相手に失礼だし卑怯ではないだろうか。
しかしそこをついたらまた感情抜きの理屈で返されそうな気がする。
鉄之助は目の前の孫が自分と違う常識で生きている地球外生命体に見えてきた。
「大体山田さんがこのまま俺を好きでいるかどうか怪しいでしょう。山田さんなりに俺を受け入れようとはしているみたいですが。彼女が好きなのは俺じゃなくて、いつも笑みを絶やさず優しくて素敵な生徒会副会長様なんですから」
「ああ、そういうことか」
ようやく納得のいく言葉が出て来て、鉄之助は頷きながら少し安心する。
同時に、最近やけに冷静で淡々としているこの孫に、そんな年頃の男らしい悩みがあるのだと知り安堵した。
「自分で言うのもなんですが、俺は爺様の言う通り完璧な女子を演じていました。同級生の女子には男子だということを忘れられかけるし、下級生の女子にはお姉さまと呼ばれるし、もうこれ高校在学中に彼女とか絶対出来ねえなと諦めました」
「ちなみにおまえさん彼女とかいたことあるのか?」
「彼女いない歴イコール年齢ですが何か?」
「あ……その、なんつーか。すまんかった」
遠回しに「おまえが変なことさせたせいで彼女できなかったじゃねえかボケェ」と言われ、さすがの鉄之助もばつが悪くなる。
もっとも、古雅が学園で女装を始めたのは二年の半ば辺りからなので、半分は自業自得なのだが。
「実は藤絵さんに友達になってくださいと言われたときは、年頃の男子らしく浮かれたんですよ。このまま上手くいけばそういう関係になれるんじゃないかと。けどあの人俺のこと完全に女子として認識してるし、女装やめたら涙目で距離とられるしどうしろと」
「おまえさんもう女装姿の方が本体なんじゃないか?」
「そんな危機感が芽生えたので、日替わりで女装をやめることにしたんですよ」
実際古雅の人間関係は歪んだものが多い。学園内でまともな関係と言えるのは、以前から親交のあった桧と蘇芳、それに性根が似た友人である月島くらいだろう。
他の人間は女子として古雅を慕うか、少数ではあるが変人として忌避するか。
男としての古雅稜を見ている人間など数えるほどしかいない。
「ん? でもおまえさんにはあの子がおるじゃろうが」
「あの子?」
「ほら。九重さんとこの葵嬢ちゃん。あの子はおまえさんにべた惚れじゃろう。おまえさんも満更でもないから婚約の件受け入れたんじゃろ」
「ああ、葵先輩」
かつての先輩であり、憧れの女性。
そんな人の話題が出たというのに、何故か古雅は疲れたように視線をどこか遠くへと投げかけた。
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「でも実のところ、婚約者というのは自称に近いのよね」
「え?」
あっさりとしたその言葉に、私は知らず間の抜けた声で返していた。
てっきり古雅先輩の婚約者として、悪い虫を退治しに来たのかと思っていたのに、そのための一番のアドヴァンテージを捨ててしまっている。
「だって古雅くん私のこと全然好きじゃないもの。私も私で自分のコンプレックスをあの子に押し付けてるだけなのは自覚してるし。婚約したのはお互いが恋愛結婚なんてできるかどうか怪しいから、お互いに妥協しただけ」
「それは……」
理屈は分かる。けれどそんな簡単に、まだ成人もしていない子供が結婚という人生を左右する問題を諦めることができるのだろうか。
「ふふ。分からなくてもいいのよ。私と古雅くんの関係は特別なものだから」
「ッ……」
まるで惚気るように放たれた言葉に、私はうめき声を漏らしそうになり咄嗟に歯を食いしばった。
嫉妬したからじゃない。それならまだよかったとすら言える。
恍惚と、嬉しそうに古雅先輩との関係を語る九重さんの笑顔。
それが先ほどまでの古雅先輩と同じ慈愛に満ちたものではなく、熟れすぎて吐き気を催すほどの甘味に濡れたような女の顔だった。
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「あの人男嫌いだから俺を女装させて興奮してるだけですよ」
「今さらりと衝撃の事実を告げられてわし困惑しとんじゃが」
未来の孫の嫁候補であり、ご贔屓さんの娘さんのまさかの性癖を暴露され、鉄之助は本日何度目かの度肝を抜かれていた。
「確かにおまえさんの女装にやけに理解があるというか、可愛がってるとは思っておったが。何をどうしてそうなった?」
「葵先輩には彩月さんっていう幼馴染が居るんですけど、この人が女嫌いのホモでして。俺に告白してきたんですよ」
「おまえさんの交友関係どうなっとんの!?」
男性恐怖症の友人に男嫌いの女装男子好きにホモ。
もはやその中心にいる古雅は変人ホイホイと言っても過言ではない。
どちらかと言えば類は友を呼ぶという方が正しいかもしれないが。
「で、葵先輩はその彩月先輩にずっと片思いしてたんですが、まさかの裏切りに男性不信になり、同性愛に走りそうになったところで、俺の女装を見て何かに目覚めたそうです」
「おー、アウト寸前で踏みとどまったわけじゃな。……いやセーフかこれ?」
「ぎりぎりアウトでしょう」
一周回って冷静になってきた鉄之助に、古雅も冷静に自分の婚約者にアウト判定を下す。
古雅にとっては多大な世話になった憧れの先輩であり、理想の女性像として演技の参考にまでした相手ではあるが、その性癖には完全に辟易していた。
「まあ自分が変人だというのはお互いに理解しているので、婚約を受け入れたのはお互いに他に結婚できそうな人が居ないので妥協したというのが大きいですね」
「そんな理由なんかい。ん? じゃあ葵嬢ちゃんはともかく、おまえさんは何で妥協したんじゃ」
「分かってるから山田さんとの結婚を無謀だと言ったんじゃないんですか?」
「ほう?」
古雅の言葉に、鉄之助は感心したように声を漏らす。
「歌舞伎の宗家の嫁なんて面倒くさい立場。葵先輩くらいの才媛じゃないと務まらないでしょう」
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「梨園の妻というのを知っているかしら?」
「いえ」
りえんのつま。
聞いたことのない言葉だけれど、話の流れからしてつまは妻、りえんは歌舞伎役者のことだろうか。
「ふふ。察しがいいのね。その通りよ。元々は梨園の語源は中国にあるのだけれど、日本では一般社会の常識とはかけ離れた場所を示すの。そんな言葉が使われるくらい、歌舞伎の世界は特殊だということね」
確かに。伝統芸能を守るために様々な制約や慣習のある歌舞伎の世界は、一般とは違う特殊な世界なのだろう。
では梨園の妻。歌舞伎役者の妻というものが何を意味するのか。
「歌舞伎役者の妻の仕事というのは、行ってみれば秘書のようなものね。夫の仕事の手配やスケジュール管理。経費管理などの事務作業。もちろん歌舞伎役者の妻として恥ずかしくない教養が求められるし、挨拶回りも妻の仕事。中でもご贔屓筋と呼ばれる常連さんへの対応は、並みならぬ記憶力と配慮が必要と言われているわ」
聞いているだけで眩暈がしそうだった。
一つ一つだけでも専門の人を雇ってやりそうなことを、一人で全てやるなど時間は足りるのだろうか。
教養というのも単なる知識ではなく、茶道や華道といった文化的なものも含まれるのだろうし、常連さんとはどれくらいの人数になるのか。
「大変そうでしょう? やれと言われたら尻込みするのが当り前よ。きっと愛だけでどうにかなるような問題じゃないわ」
そう言葉を続ける九重さんの声は、まるで私に「諦めろ」と言っているようで――。
「だから、古雅くんは私で妥協したのよ」
――しかし寂しそうに、諦めたのは己であるかのように告げた。




