ガルブレイス、ケインズ、マルクス
歪み第3宇宙の片隅、ネオンの光がぐにゃりと曲がって降り注ぐ路地に、その店はあった。店の名は「奇妙奇天烈ハイレモン酒場」。
自動ドアがシュールな音を立てて開くと、カウボーイハットをかぶった店主のジョン・ケネス・ガルブレイスが、カウンターの中で静かにグラスを拭きながら目を細めた。
入ってきたのは、宇宙服のヘルメット越しに鋭い眼光を放つカール・マルクスと、最高級のシルクで仕立てられた特注の宇宙タキシードを完璧に着こなすジョン・メイナード・ケインズの2人だった。
「やあ、ガルブレイス。相変わらずこの店の重力配分はめちゃくちゃだね。私の投資ポートフォリオくらい予測がつかない」
ケインズが軽やかに笑いながら、浮遊するカウンターチェアに腰掛けた。
「フン、資本の歪みが宇宙の時空まで歪ませている好例だな。おい、店主。一番安い、だが最も労働者の血と汗が染みたレモンサワーをくれ」
マルクスが分厚い髭を震わせながら、隣の席にドカリと座る。
ガルブレイスは、机の上に置かれた「ゆがんだレモン」を触手のようなマドラーで潰しながら、深い声で応じた。
「お二人さん、ようこそ。うちのハイレモンは、そんじょそこらの市場原理じゃ動かないよ。何しろ、需要と供給がシンクロニシティを起こす前に、広告代理店が味覚を支配してしまうような代物だからね」
「おっと、豊かな社会の皮肉かい? 気に入ったよ」
ケインズは、目の前に差し出された、激しく発光する黄色い液体――『流動性選好ハイレモン』を一口すすった。
「素晴らしい。喉越しが実物資産のように確実だ。ガルブレイス、これなら政府がいくら公共投資をして店を拡張しても、乗数効果で客が溢れるに違いない。不況なんて、この一杯のレモン汁で吹き飛ばせる」
「おいおい、ケインズ」
マルクスが、自身の『プロレタリア・ハイレモン(搾取度ゼロ)』を濁った目で見つめながら、拳を机に叩きつけた。
「お前のその『政府がちょっと介入すれば資本主義は救われる』というお気楽な幻想には反吐が出る。このハイレモンの甘酸っぱさの裏で、どれだけのレモン収穫ロボットが低賃金で労働価値を過小評価されているか分かっているのか? 根本的な矛盾は、政府の微調整ごときでは解決しない。この酒場自体を、客全員の共有財産にするべきだ!」
ガルブレイスは、2人の天才の議論を面白そうに眺めながら、バーボンを少し混ぜた自分のグラスを傾けた。
「まあまあ、マルクス。君の言う通り、古典的な市場の神話はとっくに崩壊している。だがね、現代の巨大企業は、君が考えているよりもずっと巧妙に消費者を洗脳しているんだ。彼らは労働者を搾取するだけでなく、彼らに『ハイレモンを飲みたい』という欲望そのものを製造して植え付けているのさ」
「欲望の製造か。実に不愉快だが、一理ある」
マルクスは愚痴りながらも、レモンサワーを豪快に飲み干した。
「でもね、マルクス」ケインズはグラスの縁を指でなぞりながら、ウィンクした。「私たちは長期的に見ればみんな死んでいる(In the long run we are all dead)。だったら、この歪んだ宇宙の片隅で、今夜くらいはガルブレイスの気色の悪いレモンサワーに、国庫から補助金を出して飲み明かそうじゃないか」
「チッ、今日の支払いは、お前の『有効需要』とやらで奢れよ、ケインズ」
「喜んで。中央銀行にツケておくよ」
ガルブレイスは静かに微笑み、3杯目のハイレモンを注ぐために、さらに歪んだ形状のレモンへと手を伸ばした。第3宇宙の夜は、まだ始まったばかりだった。




