部末閑話 同じ場所へ
第一部部末閑話です。
第100話と章末閑話「残っている匂い」の、そのあと。
雨や落ち葉で消えても、また同じ場所へ重なっていくものがあります。
夜。
空き地の火が、小さく揺れている。
ぱち。
乾いた枝が一度だけ鳴った。
その近くに、ユウマがいる。
少し離れたところには、白い身体。
ハクアは前脚へ顔を乗せ、もう目を閉じていた。
昼までここにいた銀色の人は、いない。
森の向こう。
自分の場所へ帰っている。
それでも。
空き地から、すべてがなくなったわけではなかった。
◇
棚の端。
小さな容器。
布。
筆記具。
少し前にはなかったものが、そのまま置かれている。
雨を避ける屋根も。
以前より少しだけ広い。
その下には。
一人分増えても濡れずに物を置ける場所がある。
近くには、粗い腰掛け。
表面は平らではない。
削った跡も残っている。
立派なものではない。
けれど。
何もなかったものでもない。
◇
地面にも。
以前とは違うものが残っている。
よく歩くところは。
周囲より少しだけ土が固い。
火の近く。
水を置く場所。
棚。
屋根。
そこを行き来するところ。
何度も。
何度も。
同じ場所が踏まれている。
雨が降れば。
表面は柔らかくなる。
足跡も崩れる。
落ち葉が落ちれば。
隠れる。
それでも。
次の日には。
また新しい跡がつく。
◇
最初。
この空き地に残る人の跡は。
一つだけだった。
森から来て。
森へ入って。
また戻る。
一人分の靴跡。
水のある方へ向かう。
戻る。
別の方向へ歩く。
戻る。
石を持ってくる。
枝を運ぶ。
濡れた木を置く。
乾いた木を積む。
何度も。
同じ場所へ戻ってくる。
そのたび。
空き地には。
少しずつ違う跡が増えた。
◇
火が使われた。
灰が残った。
雨が降った。
水が溜まった。
土が削られた。
浅い溝ができた。
次の雨では。
前とは違うところへ水が流れた。
枝が切られた。
木が削られた。
石が動いた。
乾かすために置かれたものが。
朝には別の場所へ移されている。
森の中では。
どれも小さな変化だった。
少し離れれば。
同じ木々が続いている。
同じ土。
同じ葉。
同じ根。
空き地を離れれば。
人の手が入っていない場所の方が、ずっと多い。
それでも。
この一角だけは。
前と同じではなかった。
◇
やがて。
一人分だった跡の近くへ。
小さな四足の跡が加わった。
最初は。
遠いところにだけ。
木々の近く。
茂みの向こう。
空き地の外側。
それが。
少しずつ近くなった。
火の近く。
倒木の近く。
乾いた草の上。
今は。
空き地から森へ続く小さな足跡も。
森から空き地へ戻ってくる小さな足跡も。
珍しいものではない。
白い身体は。
昼にいないこともある。
長く戻らないこともある。
それでも。
陽が傾いたあと。
火の近くには。
また小さな四足の跡が増えている。
◇
もう一つ。
違う靴跡もある。
最初の一人とは。
歩幅が違う。
踏み込む場所も。
少し違う。
その跡は。
毎朝つくわけではない。
ない日もある。
一日。
何日か。
新しい跡が増えない。
雨が降れば。
古い跡は薄くなる。
それでも。
しばらくすれば。
また同じ種類の靴跡が、森から空き地へ入ってくる。
そして。
その跡がなくなったあとにも。
棚には物が残る。
腰掛けも残る。
広げられた屋根も残る。
来たものが。
すべてを持って帰らなくなった。
◇
夜の森で。
枝が折れる。
遠く。
何かが歩いている。
葉が擦れる。
少しして。
音は違う方へ消えていく。
空き地までは来ない。
別の小さなものが。
木の根元を走る。
立ち止まる。
火の光が届かない場所から。
少しだけ空き地を見る。
それから。
また森へ戻る。
前から。
そうだった。
何かが近くまで来ても。
そのまま空き地へ入ってくることは少ない。
理由は。
夜の中には残らない。
ただ。
火があり。
人がいて。
白いものがいて。
時々。
もう一人が来る。
その状態だけが。
何度も繰り返されていた。
◇
夜が深くなる。
火が小さくなる。
ユウマが一度起きた。
灰の中を見る。
枝を足す。
火が少し戻る。
その音に。
白い耳が一度動いた。
それだけ。
また静かになる。
雨避け。
棚。
火。
浅い溝。
削られた木。
置かれた道具。
休む白い身体。
火のそばの人間。
どれも。
最初からここにあったものではない。
そして。
どれも。
森全体を変えるほど大きなものではない。
◇
夜露が降りる。
葉の先に。
小さな水滴が集まる。
土も湿る。
昨日ついた足跡の角が。
少しずつ崩れる。
一人分。
小さな四足分。
もう一人分。
重なっていた跡も。
少しずつ形を失っていく。
そのまま。
夜が明ける。
◇
鳥の声。
薄い光。
湿った土。
火の残り。
ユウマが起きる。
灰の中へ枝を入れる。
息を吹く。
小さな赤が。
また火になる。
ハクアも顔を上げた。
「おはよう」
声。
白い耳が動く。
ユウマが立ち上がる。
水の容器を持つ。
歩き出す。
湿った地面へ。
新しい靴跡が一つ。
また一つ。
昨日の跡が薄くなった上へ。
新しい跡が続いていく。
少しして。
白い身体も立ち上がった。
地面を踏む。
小さな四足の跡が増える。
今日は。
もう一つの靴跡はない。
けれど。
棚の端には。
置かれたものが残っている。
◇
今日。
どこへ歩くのか。
まだ決まっていない。
水へ行く。
火を見る。
何かを直す。
森へ入る。
休む。
何もしない時間があるかもしれない。
それを。
朝になってから決められる。
昨日までの跡が消えても。
今日の跡がつく。
今日の跡が消えても。
また。
同じ場所へ新しい跡が戻ってくる。
森の中の。
ほんの小さな空き地。
そこには。
戻ってくるものがいた。
第一部部末閑話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
森に最初に残ったのは、ユウマ一人分の足跡でした。
そこへハクアの足跡が加わり、やがてエルネアの足跡や、本人が帰った後にも残る物が増えていきました。
雨や落ち葉で痕跡は消えても、また同じ場所へ新しい跡が戻ってくる。
第一部「森に居場所をつくる」は、ここで終了です。
第二部では、この場所を捨てるためではなく、この暮らしを続けていくために、少しずつ森の外へ目を向けていきます。
第二部は10月19日開始です。




